「犠牲」の本質は、「関心の毀損」にある。(2019年2月24日(日))
先日のEssential Management School で「○○すればするほどよいという発想は、知らぬところで誰かに犠牲を強いる可能性がある」と学んだのですが、これに対して「犠牲って具体的になに?」「具体的に指すものがイメージできないとマネジメントできなくない?」という議論も一部にあって、
これに対して私は、「犠牲」とは「価値(関心)の毀損」と定義してよいのではないか、このように定義すればマネジメントの対象にしうるのではないかと考えています。
つまり、「○○すればするほどよいという発想は、知らぬところで誰かに犠牲を強いる可能性がある」ということを忘れずに覚えていることによって、
自分が何かを「マネジメントしよう」とした時に、その行為がステークホルダーになる人たちの「関心」を踏みにじったりスルーしたりしていないかということに思いを馳せることができ、
その可能性(予兆)を捉えた時には、その「関心」を丁寧に包含してものごとを進める手法(スモールステップに改めて、共感の得られる部分だけ進めるとか)を立案できるんじゃないかと思ったのです。