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「他人の変化を拒む気持ち」って、ある?/2018年4月8日【第41週目】

私は、「イシューを見定める→解決手段を段取る→段取どおり実行してみる」というプロセスが大好きで、

今は、「体重はそのままに、体脂肪率を落として筋肉量をアップさせる」という、健康的な遊びに没頭しています。

去年半年間ほどは、「おデブな私が、筋肉量を出来るだけ落とさず、体脂肪だけを落としていく」という企画に没頭していた(そして、相当成功した)ため、1年前と比較すると、見た目も数値も大きく変わっているのは事実なのですが…

先日、1年ぶりくらいにお会いした方に「病的」と言われたのが不本意なのです。
今の私のBMIは20ちょっと。1年前の肥満度が高かっただけなんですよね…。

頻繁に顔を合わせる方には、このようなことは言われないのですが、そうでない方にとっては、私の変化は大きいようで。

「確かに、1年前からの変化は大きいよなぁ」と、自分でも認めるところではあるのですが、それにしても「病的」の連呼は…(早く職場の健診を受けて、健康の証明がしたいなぁ…)。

と、ここまで書きながら思ったのですが、仮に「健康の証明」ができたところで、「病的」を連呼された方など、一部の方には、「そもそも、急激に変化することは、よくないことなのよ」と言われてしまいそうな気がします。

気にも止めていなかった他人が、ふと気づいた時に「変化」していて、しかも楽しそうにしている、という事実を目の当たりにした時に、そのことを居心地悪く感じる、ということは、ありそうです。

他人を決して比較対象にはせず、過去の自分と今の自分を比較して、その成長を喜ぶ。併せて、自分の成長を喜んでいる人を見かけたら、一緒になってそのことを喜びたい。

そういう生き方が、一番幸せな生き方のような気がします。

#エッセイ #変化