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LEICAと人生を楽しんでみる #3

LEICA Q3と歩くようになって1ヶ月ぐらい経った。

明らかに変わったのは「歩くようになった」ことだろう。

「そこで撮る!」という明確な意思と目的を持って目指して歩いているのでは全くなく、たまたま用事があって訪れた先でその街並みや雰囲気がふと気になって出会ったものを撮っている、そんな感じ。ちょっとカッコよく言えば「感じたものを切り取っている」、そんなところか。

意識の奥底に「Q3を持ち歩いてるやん?だったらなんか撮れよ?」というのがあって、フラフラと歩いている、それが正しいのかもしれないけど。

昔から日本でも海外でも、地元でも出張先でも街を歩くのが好きで。それもいわゆる観光マップを見て有名な場所を探すというよりも気の赴くまま、鼻の利くままに面白そうなところへ漂っていることばっかりだった。そのせいか、誰でも行ったことのあるような「定型観光地」の写真は皆無に等しい。

この辺りは仕事の選び方と一緒だ。「面白そうなことを楽しんで更に面白くする」「つまらなくなったらパフォーマンスは出なくなる」、ただそれだけ。

思い返せばはるか昔、ボストンに留学していた頃に大学の寮が「独立記念日中は閉鎖になるから、お前らどこかに行け」と突然言われ貧乏学生だった僕は途方に暮れて、ふと思い立ち、当時一番旅費が安く、そして誰も行ってないからというだけの理由でニューオリンズに一人旅をしたぐらいなので、昔からそういったのが好きだったのかもしれない。当時はお世辞にも治安がいいとは言えない地域だったからいかに何も考えていなかったことがわかる。

そして今日はそれが遊園地だった、そう、今日はそれだけの話。

遊園地と言ってもその範囲はまさに「ピンキリ」。ディスニーランドやUSJのような「この世の楽園」みたいなところもあれば、小学校の遠足や子供会の行事で行くような「地域の集会所」みたいなところもある。そして今日訪れたところは明らかに後者だ。

僕は後者の方が好きだ。東京や大阪、そしてフロリダのディスニーランドやユニバーサルスタジオ等に遊びに行ってどれも本当に楽しかったけど、後者には「身体にスッと溶け込む」ような、穏やかで緩やかな時間が気持ちをほぐしてくれる、不思議な効果がある、そう感じているからだ。

幼稚園では遠足で、小学生の頃には子供会で、中学生では初めてのデートで、それこそ幾度となく通った遊園地はアップデートされてすっかり変わっていた。それを悪いとは言わない、ただ「変わっていた」。

変わらなければいけない、変わらないと進化がない、と思いながらずっと走ってきたけど、ふと立ち止まって後ろを振り返ると、果たしてそれが正しいかったんだろうか、そんなふうに感じることが無いとは言わない。でも自分が大人になったから、もしかしたら過去を過剰に美化しているだけなのかもしれない。

自分でも分かっているんだろ?どうせ過去には戻ることなんてできやしない。だったら、未来、と夢、を語ろう。

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