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因果応報はあると思いますか?父から聞いた不思議な体験から考察してみた

因果応報、信じますか?
悪いことが起これば「あの時のあの行いが原因かも」と思うことがあるかもしれません。
しかし、日々起こる理不尽な事件事故・・・
因果応報なんてあってたまるものか、と思うことも事実です。
今日は父から聞いた不思議な話から、因果応報についての自分の考察をまとめてみます。

因果応報とは

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

goo辞書より

元々は仏教用語ですが、悪い行いの報いとして多用されるようになったようです。しかし、良い因縁により良い結果を導くという意味もあります。

因果応報はある?ない?世の中の反応は

ヤフー知恵袋などでは、因果応報が実際にあるのか?ないのか?というテーマでたくさんの質問やコメントが集まっているほど、興味関心は高いがはっきりとどちらかとは言えないのが現実です。
ある人にとってはあるし、ないと思う人にはない。
きっとその時の心の持ちようによっても変わるものだと思うのです。
つまり、悪い行いへ進もうとする時の抑止力・良いことを行う原動力となる名言、とも言えますね。

父が体験した不思議なエピソード

先日父から、面白く興味深い話を聞きました。
それは因果応報としか思えないものでした。

両親は、引退後みかん作りの傍ら、四国八十八ヶ所参りをしています。
その中の徳島のお寺を巡っていたときのこと、山頂のお寺を目指す途中、天からひらひらと舞い落ちてくるものがあったそう。
それはなんと一万円の紙幣!
父が5枚、近くにいた人が1枚拾い、合計6万円もあったそう。
困惑した父は、とりあえず寺の納経所へ持っていくことにしました。
そこでお寺の方と話し、落とし物かもしれないからと預かってもらい、参拝を続けていたところ、そこへ老人が来られました。
財布に入れてあった紙幣がなくなっているとのこと
これはもしかして・・・
どうやら財布を開けた時に風で紙幣が飛ばされたようですが、御本人は気づかず、後で再び財布を開けた時に気づいたそう。
老人いわく、7万円が入っていたそうです。
納経所から無事お金を返してもらえたのですが、結局残り1万円は見つかっていないそうです。

これだけでもそんな事ある?という感じの話なんですが・・・
その数日後、父が町民運動会に参加したところ、なんと優秀賞で3万円分の羽毛布団をゲットしたそう!

これってまさに、あの時お金を拾った因果応報では?!
黙って自分の懐に入れたら、間違いなく悪いことが起こっていたと思うのです。

因果応報に対する私の考察

単なる不思議で面白いエピソードにしてはよくできてるなあと感じます。
思うに、これは神様に抜き打ちで試されたのではないでしょうか?
そんな突拍子もない・・と感じたらごめんなさい。
お金を飛ばされたことに気づかない老人、お金が天から降ってくるという嘘のような話、納経所に預けた途端、現れる老人、今まで当たったことのない豪華景品(しかも町民運動会で羽毛布団??)
これは、人間の善悪を試す抜き打ちテストのために神様が老人のふりをしてお金をばらまいたのではないか?
・・・スピリチュアルな話かーい!と突っ込みたくなりますが、それだと合点がいくのです。
というのも、実はある本でこんな話を読んだから。

神様が相手するのは何しろ「森羅万象」である。だから我々に与えられる時間はたったの0コンマ秒しかなく、しかも常に抜き打ちなのである。(中略)この「神様のエレベーターテスト」に合格するためには、片時も忘れずに願い事を単純に凝縮した状態で強く心に思い続けることが必要なのだ。

「地頭力を鍛える」細谷功

願い事に限らず、常日頃の信念や思いやり、正しい行動が最も大切で、気づかず神様から抜き打ちで「ちゃんとできてる?」と試されているのかもしれない。
そのテストの結果、合格なら果報がもたらされると思えば、因果応報はあるのだ、と思えるのです。

まとめ

つまり因果応報とは、善い行いをした見返り、または悪い行いをし
た報いということではなく、普段からの心がけが大切なのだよと教えてくれる言葉といえます。
人は、悩んで迷うし過ちも犯す。
それでも真っ当に前に進もうとすること、人を思いやることを忘れずに生きていくことが重要なのです。
正しく進んでいれば、神様の抜き打ちテストには余裕で合格できるはず。
そんな事を考えたエピソードなのでした。

最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m


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