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生き生きとした構造をデザインする

クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡を読みました。

この本は「クリストファー・アレグザンダー」という人の著書を引用しながら、彼のデザインに関する研究内容とその遷移をまとめた本です。

デザインをその成果物だけでなくプロセスやデザイン行為そのものを論理的に分析して理想的な「構造についての統一概念」を追い求めるストーリーですが、最後の章のタイトルが「Battle(闘い)」で締めくくられています。

2012年に出版した「Battle」でデザインの目的についてこう表現されているそうです。

すべての建築の目的、その幾何学的構成の目的とは、生き生きとした場所をもたらすことである。(p.11)

ここに至るまでの試行錯誤やその思考の遷移がどういったものでしょうか。

あらすじ

彼の活動は(現在をふくめ)一貫してすべての領域においてのデザインを「構造についての統一概念」で説明しようと試みと言えます。それは「美しいもの」の構造であり、自然物にみられる構造や人の視覚的な構造、その関係性を明確に記述し、操作することで、音楽や社会などすべてに共通する「調和の理論」を構築を試みている。

デザインは人の求める「形」と(求められる状況としての)コンテクストの関係で成り立っている。その間の適合性をもたらす行為といえる。としたうえで、その解法としてのデザインプロセスを構築していく。

モダニズムの特徴である「合理的」「客観的」「機能主義」「装飾の排除」といった特徴を受け継ぎ、「手法における革命」としてさらに発展させようとした。「形の合成に関するノート」ではこの論理と手法を突き詰めたが、このアプローチは分析した結果に形とコンテキストを結ぶ情報が得られない場合効果を発揮できないという問題があった。

「都市はツリーではない」という論文では、長い時間をかけて構築された年にはわかりやすいツリー構造はなく重複を許すような構造になると指摘している。そこで暮らす人々の活動もきれいなツリー構造には当てはまらない。

「ノート」の枠組みを自ら否定するかたちとなったが、人が美しいと感じる環境の構造は何かというテーマにつながる。

認知心理学のアプローチによる研究の中で、人が美しいと感じるのは、全体の中の部分的なパターンの構造である「サブシンメトリー」という視覚的な入れ子構造によるという発見をする。

また統合の拠りどころして主観的な「ニーズ」を計測しやすく客観的な「傾向」として捉え、傾向が複合的に衝突してしまう場面を「コンフリクト」と呼び、それを解消するがデザインの役割とする。

ニーズが起こる環境を「フォース」と捉え、「ルール」、「システム」、「パターン・ランゲージ」という枠組みで、証明可能で再現性のある方法論を構築していく。しかしパターンランゲージは失敗する。

これは「形」の問題と「価値」の問題に集約される

機械論的自然観で世界を見たとき「形」と「価値」は分断してしまう。統合される「形」に対して文脈的に何らかの意味付けがなされて「価値」が生まれる。この失敗から、形と価値を統合を追求する。

しかし「価値」はもともと主観的な感覚だが、どうやってそこに客観性を見出すのか。

人は自分と対象が似ているかどうかに「価値」を見出すという主張(自己を映す鏡テスト)を元に、多くの人が普遍的に感じる中心的な価値基準(=偉大なる自己)に客観性を求める。

それを「生きた構造」「生き生きとした構造」として認識することにより、機能やルールに従うだけでは得られない深い秩序の基盤を「全体性」の中に求めた。

ある全体の中に領域の重なる複数の「センター」がある有機的で生きた構造が形成されることでサブシンメトリー的な構造になるため、多くの人が美しいと感じるものを設計したり、また判断することが可能になる。

「センター」の特性も幾何学的に分類され分析・統合可能なものとして研究されるが、構造と調和というテーマを維持しながらも、パターンの行き着く先として形而上学的な世界観に着地していく。

最後の「Battle」では「生命」を追求する新しい方法と「効率」を追求する既存の方法が文字通り衝突し、プロジェクトが立ち行かなくなる日本の施工現場のエピソードが紹介される。進め方や費用や施工中の変更と、あらゆる面での既存の方法論から逸脱したやり方が摩擦を起こす。そして今もなおその可能性を世界に知らしめるべく闘い続けている。

感想

「パターン・ランゲージ」というテーマについて様式的なメソッドを求める気持ちで読み始めた。

アレグザンダーが通った機械論的自然論により効率化していくがゆえに、それが適応できない場面に遭遇する一連の流れは、自分がこれまで経験してきたフレームワークや設計手法がうまく機能しなかった経験と一致する。

何をモデリングするのかという見立てが適切でないと形骸化してしまうだろう。

システマチックな手法的な特性についても理解した上で「生き生きとした構造」という理想のつくりかたを考えることは意味がありそうだと感じた。

筋トレやストレッチをいくらやっても「健康」であるとは限らないように、あらゆるもののデザインにおいて目的と手段を上手に統合することが大事なのかな、と理解しました。

なんか完結した漫画だから読めたみたいな内容だった。

一緒におすすめされた「デザインの自然学」もこれから読みます。



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