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放心


何もしたくないとかとにかく眠りたい、そういうことが鬱の自分には多いのだけど、今はそれとも違って、何かしようと思っただけで時々涙が出る、頭に何も入らない状態。カフェで寛ぎたいよりもただ座っていたい。新年が始まってひと月も経たないうちに、燃え尽きてしまったのかな。原因はなんとなく分かってるし色々あるけど、今はそれを考えられる状態ではないと思う。
 何かやらないと、とか、このままじゃだめだと思いすぎていたかもしれない。そう思っていないともっとだめになるような気がして怖かった。いつも力が入りすぎてそれもこうなってる要因なのだろう。なんでこんなことも分からないんだろうってまたループしてしまう。気がつくといつも自分を否定してる。
 自分を否定するのは自分が空っぽだと思っているからで、足りないものを見つけよう、見極めよう、ちゃんと考えようってどんどん自分を追い込む方向へと進んでしまう。そうすると緊張した毎日になって、気も抜けない。鬱が少し落ち着いたりしたときに、鬱でできなかったこと=本を読む、人とつながる、病気のことを勉強する、をやらなければ、できなければ、また鬱に戻って何も進まない自分になっていく…そんな風になってしまっていた。
 リラックスする方法が未だに分からないのも、自分が悪いからだと思いすぎていた。機能不全家庭で育ったことを言い訳にしては、と思っていたけど、自分の根っこは多分そこにある。
 こうしている今も、今、何をしたらいいのか?と、よい悪いで考えてしまっている。したいことをしてもいいのに、そのエネルギーも無いから厄介。ひたすら休んでも、回復できるかの見通しも経たない。鬱を繰り返したこれまでの経験さえ、自分を苛むものに感じられてつらかった。
 書いている今も時間は進んでるので、意識しすぎると動悸がしてくる。自分を責める意味じゃなく、何なら今できるか、をぼんやり考えてみる。できることは浮かばない。でも、うれしかったことが浮かんできた。最近SNSで出会ったひとがフォローのお礼をしてくれて、言葉を交わせたこと。
好きな作家さんのトークを聴きに行けることになったこと。
何かを無理にしなくても今はいいかもしれない。出来ないし、多分そんな自分を許したいのだ。涙が出てくるのはそういうことだという気がする。
 ゆっくり休めるかな?分からない。休めなくても、だめな気持ちになってしまっても仕方ない。空さえ見ることができなくても、目を閉じたまま空を思い浮かべることもできる。どんなかたちでもいいから、自分の気持ちに寄り添ってみよう。泣き出した、空の下。

書きながら、誰かに読んでほしいと強く思いました。
読んで下さった方に、感謝です。
 


 

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