夕方前からすごく辛い 久々に苦しい鬱が来た 助けてと夜に言う 朝は何事もない顔を しているかもしれないから
春は調子を崩す人が多いと、ツイッターの投稿などを読むと感じる。自分もそうなんだろうか?忙しい三月を終えたが、寝ても寝ても疲れが取れない。気分もほとんど晴れることがない。冬の時のような苦しい鬱は弱っているのに、冬より今が辛い気さえする。自分はもうどこかの時点で変わってしまって、元には戻れないんじゃないか、鬱のなかでも時々は得られていた歓びも、もう味わうことは出来ないんじゃないか、そう最近は感じてしまう。喜びや回復が長続きしない。すぐに疲れ切って、ダウンする時間が長くなっている。
疲れると何も見たくなくなるし、感じたくないと思う。人から遠ざかりたくなる。外の世界から逃げたくなる。疲れないようにするのも難しく、どうしたらいいかわからない。トンネルを抜けてもすぐにトンネルに入ってしまう、そんな鬱状態が続いている。
今日の世界には色がある。 昨日、一日眠っていた。ひどい鬱という訳ではなかったけど、何をする気力と体力もなかった。さすがに夕方には起きて珈琲を飲みに行こうと思っていたが、ずるずると眠りに引き込まれていった。夜は少しMLBを見たものの、楽しいという感情はほとんど湧かなかった。昔はあんなに野球が好きだったのに。ダルビッシュも大谷も生で見たことがある。野球も本当に観に行かなくなってしまった。 とはいえ昨日一日を眠りに費やしたからか、体力の方が戻ってきた感じがして、今日は忙しい一日だ
少し大きめの春物のコートに包まれて歩くのが好き。10年以上着てる。着てなかった時期があるからすごく古い訳でもない。 そういったひとつひとつのことに助けられたり、ふとした優しさに涙したり。心はすぐ欲しがるけど、喜びをもっと噛みしめたい。 これまでのことも。 どうなるかな。
私は緊張しやすい。というかいつもどんなことにおいても緊張している。人に対してもそうだけど、物事に対しても緊張している。この考え方は間違ってるんじゃないか、こんな風な思いを抱いてしまうのは相当に病んでるからじゃないか。自分が間違ってることが前提になっていて、気の抜ける時間がない。鬱になったのはひとつにはこういう気質が原因にあるのだろうけど、鬱になってからはよりそれが強固になった気がする。 緊張はおそれと繋がっている。何かを失うこと、変わることをおそれている。変わることで未来
辛さを辛いという言葉でしか表すことができないのは、苦しいからだ。 どうあがいても、水の底に落ちていってしまう時。それが今なのかもしれない。
月曜日が無事に終わった。最近は無理しないことを一番に考えて過ごしている。鬱じゃない時も普通にある。でもひとつひとつの鬱がつらい…こんなに鬱のことを言い続けたくないけれど、やっぱりそれが自分にとって大きなことなのかな。 今日は文房具屋に寄ったのが楽しかった。 自分の言葉を書こう。
何もしたくないとかとにかく眠りたい、そういうことが鬱の自分には多いのだけど、今はそれとも違って、何かしようと思っただけで時々涙が出る、頭に何も入らない状態。カフェで寛ぎたいよりもただ座っていたい。新年が始まってひと月も経たないうちに、燃え尽きてしまったのかな。原因はなんとなく分かってるし色々あるけど、今はそれを考えられる状態ではないと思う。 何かやらないと、とか、このままじゃだめだと思いすぎていたかもしれない。そう思っていないともっとだめになるような気がして怖かった。いつも
昨年、noteが自分の辛くとも正直な思いを書く場所になりました。 読んで下さり有難うございます。 先月京都にて、恵文社、ホホホ座、誠光社で一冊ずつ本を買いました。良い本ばかりで、今は『さみしさは彼方』という本を読んでいます 今年も宜しくお願いします🍀
昨日久しぶりに高円寺に行った。 上京した時に最初に選んだ街。 住んでた頃、一時期毎日の様に通ったカフェがあった。そこに行けば誰かに会えた。知り合いが一人もいない街で、そこにいるのは救いだった。 もうそのカフェはないけど、同じ場所にできたお店で、想い出を辿りながらお酒を飲んだ。
夏に買ったリュックが使いやすくてずっと使ってる とてもとても手頃 三千円しなかった 前はリュックを日常使いすることはなかったけど、今はもう手放せない そんな感じで 気がつけば変わっていくこと あるのかな
note、色んな方の文章を読むのが支えになっています。 昔から日記とかを読むのが好きだった。 山田かまち、高野悦子さん etc… 今夜自分の投稿履歴を見ていたら、削除したものが残っていることに気づいた あの日(11/8)確かに感じたことを残しておきたくて、再投稿しました。
最近noteに書くのもつぶやきばかりで、長めに書くことをしばらくやっていなかった。他のSNSに書いているのもあるけれど、調子が良くないのが続いている。調子が良くないからこそ、ここでのつぶやきが増えたのかもしれない。 とは言え五年以上鬱が続いていて、しかももともと対人不安などで生きづらさを子どもの頃から感じていたので、調子が良くないというのが自分みたいになってしまっている。調子がいい時は軽躁なのかなと思って、あがりすぎないようにしていたりする。鬱と鬱の間で生きているような感じ
今日は給料日なのでタリーズへ。天井が高くて気持ちが開放されていく。職場は窓が少なくて薄暗くて気持ちいい挨拶なんて殆どなくて、気持ちが塞ぐからこうして時々逃げる。楽になりたいと泣けてくる。本当にそうなれるだろうか。 odolを聴いて、溶ける昼休み。