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猫が可愛くないという瞬間が果たして存在するのか

猫の日は過ぎ去ったけれど、猫が好きなことには変わらないので猫の話をしたい。

猫って、基本的にいつでもどこでも可愛い。朝起きた時にちょっと目ヤニがついているのも可愛いし、夜中にどたばたする音だって、すべてが愛おしい。

そんな猫に「可愛くない」という瞬間が存在するのだろうか?

私は思うのだけれど、たとえば彼らが鋭い爪で引っ掻いてきた直後だって、その小さな反抗心がまた可愛いと感じる。

うん、私、元不登校で引きこもりだったし、色々と世の中の暗い面を見過ぎてしまうこともよくある。

でも、猫の前では。

死んだネズミを咥えて得意げな顔をする彼らを見ても、その自然な姿に生命の厳しさを感じつつ、どこか微笑ましい。私の心も、彼らの前ではほっこりと和む。

猫が威嚇している姿だって、その小さな体でどうにかこうにか自己主張しているその姿が、いたいけで可愛らしい。

排泄の最中すら、そんな自然な行動が、生きている証拠。

だからこそ、いくつかの「こんな時は可愛くないのでは?」と思いがちなシーンでも、結局は愛おしく感じる。

まず、猫の毛玉吐き。絨毯の上に不意に現れるあの小さな塊。あれを掃除するのは正直面倒そうだけれど、彼らが自分の体を清潔に保とうとする姿勢には、またとない愛らしさを感じる。

次に、猫の喧嘩。夜中に外で起きるあのギャオギャオという鳴き声には、何度心臓を掴まれたことか。

でも、あれもまた縄張りを守る猫の本能の表れ。彼らの生き生きとした姿は、なんだか力強くて、そこには独特の可愛さがある。

そして、猫が家具をひっかくこと。新しく買ったソファの角が、もうボロボロになろうと、でもそれも、彼らの身体を整え、ストレスを発散する大事な行動。

猫が快適に過ごすためなら、家具くらい、譲ってあげられる(多分)。

さらに、猫が鳥や虫を捕まえてくること。玄関先にどーんと置かれたカラスの死骸には驚かされるだろうが、これも猫の狩猟本能。彼らのプレゼントを受け取る時、その野生の一面に触れることができる。

そして最後に、猫が夜中に大運動会を開催すること。寝静まった家の中をドタバタと駆け回る音には眠りを妨げられるだろう。

でも、その元気いっぱいの姿は、見ているこちらまで元気をもらえるはずだ。

結局のところ、猫の行動の一つ一つには、彼らなりの理由がある。その全てが、猫という生き物の魅力の一部。だからこそ、どんな時も、彼らは可愛いんだと思う。

仕事ではコードとにらめっこする日々を送る私が、日常の小さな幸せとして感じるのは、猫の存在だ。

なんでこんなに可愛い生き物がこの世にいるのか、不思議でならない。

でも、それを考えるよりも、その不思議を素直に受け入れて、その小さな命と共に生きる時間を考え、楽しむ方がずっといい。

猫は、生きている間はずっと可愛い。それは、私の中の絶対的な真実。猫は本当に、すばらしい。


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