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なりたい自分でいさせてくれる人

誰しも、理想の自分があると思う。

優しくて、明るい自分。
勇気があって、いつも堂々とした自分。

なりたい自分、こうでありたい自分に近づけるように日々努力している。
けれども、場合によって、相手によって、理想の自分であり続けることが難しいことだってある。

理想の自分でいさせてくれる存在はとても貴重だ。少なくとも私にとってはそうだ。

自我は不変のものでない。実際の生活では、予期せぬ失敗や挫折、イライラといった心の揺れ動きが訪れると、理想通りに優しく振舞うことは難しくなってしまう。

私自身、かつては学校にも行かず、部屋に閉じこもる日々を送っていた。その時の私は、世界と自分自身をシニカルな目で見つめていた。けれども、そんな私でも、自分らしくいられる瞬間が存在した。それは、キーボードを叩いている時や、理解と共感を示してくれる人が近くにいる時だ。

漫画「ダイの大冒険」のキャラクター、まぞっほは『相手によって出したり引っ込めたりする勇気は、真の勇気ではない』と語っている。

しかし、私はそうは思わない。誰にでも平等に勇気を示すことは、理想論に過ぎないのではないか。人間は、相手に応じて、自分の表情や態度を微妙に変えていく生き物だからだ。

私が望むのは、常に冷静で落ち着いた自分であり、それなりに能力を発揮し、他人に対する思いやりのある自分であること。

そうでいられる人と一緒に過ごしたい。友人であろうと、職場の同僚であろうと、優しさと人間らしさを兼ね備えた人が私の周りには多い。そういう人たちと一緒にいると、自分も自分らしくいられる気がする。

怒ったり、イライラせず、時に思いやりを示し、時に役に立つ示唆も与えることができる。

広い心の持ち主は、自分がありたいように振舞える人の幅も広いだろう。私はそうではない。あまり他人に寛容であるとは言えず、特に仕事では厳しい態度で臨むことも多い。ずっと人に優しい人になりたいと望み、志して、それはあまり叶ったとは言えない。

しかし、たとえその幅が狭く、数えるほどであったとしても、自分がいたい自分でいさせてくれる人がこの世にいてくれて、私と関わってくれる事実に感謝したい。

それが厳しくも美しいこの世界での小さな安堵なのだ。

私たちは、自分らしさを受け入れてくれる人々に囲まれ、その優しさに甘えつつ、理想の自分の幻想に甘やかされる。私自身も理解ある人々と共に、自分らしく、時にはシニカルに、時には温かく、日々を過ごしていきたい。


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