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合理的であることは卑怯なのか【#哲学問題私の答え】

山根あきらさんの企画に参加してみました!

企画の要旨について詳しくは元記事をご覧いただければと思いますが、要約すると、

①CがAに危害を加える
②AがBに復讐協力を依頼
③A,Bは一緒にCへ復讐
④DがBに危害を加える
⑤BがAに復讐協力を依頼
⑥Aが協力を断ったのでB単独でDに復讐

という出来事があったときに、誰が卑怯か、倫理的か。という命題のようです。

ゲーム理論の「囚人のジレンマ」に似ているので、ゲーム理論的に解を導いてみることにしました。

ゲーム理論とは、社会や自然における複数主体が関わる意思決定の問題や行動を研究する学問分野です。

ゲームプレイヤーはAとB両名として、本人目線で各行動のポイントを定義しましょう。

復讐に成功する…+1点
 復讐に何のメリットがあるのか分かりませんが、返り討ちにあう危険を冒すのですから、本人にとっては何某かの利得があるのでしょう。+1点とします。
協力を受けて復讐に成功する…+2点
 よりローリスクで復讐を成功させることができるので、より利得が大きくなります。
復讐に協力する…-1点
 復讐にメリットがあるのは本人だけでしょうから、労力やリスクだけを被るので-1点とします。
協力を断る…0点
 特に利得がないので点数は上下しません。細かく言うとAさんとBさんの信頼関係にマイナスかもしれませんが、今回はデメリットとして評価しません。

この条件でゲームはどうなるでしょうか。

1回目、AさんがBさんと協力して復讐を成功させたことで、Aさんは+2、Bさんはリスクを冒したので-1となります。

2回目、BさんがAさんに協力を持ちかけましたが、Aさんはこれを断ります。Aさんはなんの損失もなく、Bさんのみ単独で復讐を行って成功させました。

結果として、このようになります。

ゲーム結果

この結果からわかることは、Aさんがこのゲームの最適解を実行しているということです。このゲームでは相手から協力を取り付ければ復讐が成功する確率が高まる一方で、相手に協力してもデメリットしかありません。

例えば、以下のようにお互いに協力しあっても、お互いが得られる最終的な利得は1です。

お互いに協力しあった場合

お互いに協力しあわなくても同じです。

お互いに協力しあわなかった場合

ですからいかに相手に協力させて、かつ自分は協力しないか、という戦略が求められます。

Bさんがこのゲームに勝つにはどうしたらいいか考えてみましょう。

このゲームは2回しか行われないなら、先手が圧倒的に有利です。もし自分が協力を断れば、次回は相手が協力を拒む可能性が高くなります。「もしあなたに同じことがあったら、協力するから、今は協力して」などと言い、相手に未来の報酬を期待させながら「先に協力をさせる」。

私がBさんならば、「話は分かったけど、先に私の復讐に協力して。そうしたら必ず手伝うから」と言って先手になろうとするでしょう。しかしこの時点でBさんが何も被害を受けていないなら、なすすべはありません。最適解は「断ること」です。

しかし、世間の反応、「倫理的か」という尺度ではどうでしょうか。

その場合のポイントは以下のように割り振ってみます。

復讐に成功する…-1点
協力を受けて復讐に成功する…-1点
復讐に失敗する…0点
復讐に協力する…-1点
協力を断る…1点

復讐に協力することと、復讐に成功することの点数が一緒ですが、これは刑法を参考にしました。日本の刑法では、共犯者もまた同じように罪に問われます。復讐の協力を断ることは、一般的に倫理的とみなされるので+1としました。

結果はこうです。

倫理的な尺度での結果

なんとAさんは、自身が最適解を取りながら、世間から見ると倫理的な存在です。

Aさんが卑怯かどうかは判断が難しいところですが、非常に合理的であることは確かです。もし「過ぎた合理性」を「卑怯」と呼ぶなら卑怯でしょう。

Bさんは一方的に損する結果になりましたので、Aさんを罵りたくはなるでしょうが、Aさんにとっては「負け犬の遠吠え」。Bさんに対しては、速やかにAさんと手を切ることをお勧めします。

ただし、もう一つだけ尺度を加えてみましょうか。

「利他的かどうか」という尺度です。このゲームでは、対戦相手に対して利他的であればあるほどポイントが加算されます。

復讐に協力する…+1点
協力を断る…-1点

まあ、当然ですがこのようになります。

利他的かどうかという尺度

Bさんは少なくともAさんに対して利他的な行動を取っていました。自らの利得を度外視して相手のために尽くす行動です。

その気持ちが復讐相手に向くことはなかったようですが、人情の観点から言ってBさんには情状酌量の余地があるでしょう。一歩でAさんは、味方であるBさんに対してすら冷酷です。

山根さんの元記事で、Aさんは、「私は知らない人のことには関わりたくありません」といってBさんからのお願いを断りました。

ですがBさんもまた、Aさんに「私はCさんのことを知りません。だからお断りします」と一度断っているのです。

もしAさんが本当に「私は知らない人のことには関わりたくありません」と思っているのなら、Bさんの「私はCさんのことを知りません。だからお断りします」という気持ちを汲み取ることができたでしょう。

なので私はAさんの「私は知らない人のことには関わりたくありません」という言葉はただの韜晦で、本音ではないと考えています。大方、損だからやりたくないのでしょう。

個人的には、だからと糾弾するつもりはありません。確かに暗黙の了解として、助けられたら今度は助けるべきということはあるでしょうが、約束していたわけでもないのですから。合理的であること、自分の利得を優先すること自体を卑怯だとは思いません

というかそもそも復讐というダーティな行為を行った時点でどっちも悪いのです。どんぐりの背比べです。

ですから特にだれも卑怯ではない。比較的Aさんのほうが倫理的である。というのが私の結論です。

しかし、合理主義が卑怯かどうかという命題は興味深いですね。

山根あきらさん、企画参加させていただき、ありがとうございました。


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