Endless Summer 第2話 約束の交差点で

ものがたりは、始まらなかった。

でも、だからこそ、終わりもしなかった。

ものがたりの1番のハッピーエンドは、「2人はずっと幸せに暮らしました。」だけどそれはシンデレラや白雪姫みたいな、本物のものがたりにだけ許される特別な終わり方なのだ。

僕たちが幸せを夢見て心に描くものがたりは、現実と交錯していて、そこにはたくさんの、どうしようもない、かったるくてうすのろで、低俗で即物的な雑務が浮遊して、空気の中に紛れ込んでいる。

例えば給与明細書とか、お風呂の排水口にたまる髪の毛とか。

それから退屈とか、自己憐憫とか、他人の不幸を喜ぶ気持ちとかもね。


そんなことを考えていたら、約束の交差点についた。

生暖かい夜だった。3月なのに桜が咲いていて、鼻から思いっきり息を吸い込んでも肺まで届かない。大都会の真ん中で、たくさんの赤信号と僕だけ。

遠くまで、だんだん小さくなりながら連なっていく赤いにじんだ丸。それが順番にうすい青緑に変わり、しばらくしてまた赤に変わる。

通る車がなくても、えんえんと繰り返される。

「機械的。」僕は、声を出してみた。

綾乃はいない。

四方にのびる道路と、4つの角べりをぐるりと見回し、もう15分ほどぼーっとしたが、やはり彼女がここにいないことは明白だ。

なんとなくそんな気がした通り、ケータイはつながらない。


(さて、どうしたものか。)


僕はこの夜2度目のこの問いを、心の中でつぶやいた。

風が少しずつ吹き上がってきて、肌が冷たい。そして、ここに着くまでの間に綾乃について思い出していたところから加速がついて、夜中の2時半だというのに頭はギンギンに冴えている。

思い出と春風に煽られて、心までざわめく。

ものがたりが始まりそうな予感がした。

夜の湿った空気が、僕の脳みそを少しだけずらしてしまったようだ。

悪くない。

この猥雑で巨大な世界を、僕の思考が軽々と飛び越えて、どこまでもどこまでも猛スピードでひろがっていきそうだ。

このまま、こうしていようと思った。僕の嫌いな夜明け-それは世開けでもある-が来るまで。

思う存分、思い出や空想に浸ろう。


この3月の終わりの東京の空気は、3年前の、11月の終わりの沖縄と、ちょうど同じぐらいだ。


「秋元ー!秋元ー!」

コテージの外、遠くの方から聞こえる声に、どうやら僕は呼ばれているようだった。

むやみにデカイ、酔っ払った綾乃の声だ。

程なくしてドアが勝手に開かれ、トロンとした目の綾乃が入ってきた。

「あきもとー、あんたトランプやってる場合じゃないよ。」

今日で7日目の、パジャマ兼部屋着姿だ。

白いTシャツには、昨日たらしたと大騒ぎしたチョコが、やっぱりついている。大いにイケてない。

「チョコついてるよ。」と、試しに言ってみる。

「へへへ。」

バツの悪そうな顔で、上目遣いの視線が返ってきた。

まるで子供だ。

と思うと、突如真面目な顔で

「秋元。201に、4年集合だって。ほら、はやく行こうよ」

そう言って、腕を引っ張ってきた。


綾乃に連れ出されて外に出ると、遠くの方で、まだ騒ぎは続いていた。楽しげな宴だ。海から吹く風に乗って、大勢のわめき声や拍手やバカ笑いがひとつになって、パーティ会場から少し離れたこのコテージにも流れてきている。

3日間のインカレの、今日が最終日だ。

そして、4年の僕にとっては最後の全国大会が、ついさっき終わったばかりだった。

4年間、青春を捧げた日々の集大成になるはずだった。

僕は何でも、周りの人間よりよくできる。

勉強に始まり、小学校では運動会というとリレーの選手だったし、中学から始めた野球では2年生に上がってすぐレギュラーを取ったし、高校受験では難関といわれる付属高に受かった。

それは全部、僕が負けるのが大嫌いで、人より努力したからだ。その中でも、大学で始めたヨットには、格段に心血を注いだ。だから当然、僕はすぐに同期で1番の出世頭になった。


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