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ゆのみのはなし 1

久しぶりの更新となりました。ご無沙汰しております。

夏至も過ぎ、夏本番といった暑さが連日続く今日この頃ですが、元気にお過ごしでしょうか。半年以上も更新が滞っている間にこちら、文章を書けなくなったり髪が伸びたり掌のマメがつぶれたり、付き合ったり別れたりしております。30代の正しい時間の使い方をまったく心得ていませんが、いい音楽を聴いていい酒を飲める夜に楽しく人と過ごせればそれでいいと思うようになりました。ラブアンドピース、ロックアンドロール。

6月から苫小牧民報の「ゆのみ」というコラムコーナーを担当することになりました。北海道の胆振管内、9名で回すので3週間に1回自分の書いたものが掲載されます。ちょうど文章を全く書けない時期に頂いたお話で、文章を書き続ける筋肉を鍛えていくための自分なりの挑戦としてやらせていただくことにしました。

すでに4回更新されており、基本的には新聞を買っていただくか、電子版の有料会員に登録していただくしかないのですが、せっかく書いているのでバックナンバーを本音や裏話と合わせて、時間差でそれまでの掲載分をnoteの方にも更新していきたいと思います。(やっていいのかわからないけど、怒られたら消します)


1. 「町の豊かさ」 6月15日掲載

 厚真町に来て、3度目の夏を迎えようとしている。地域おこし協力隊の求人を見つけたのが、ちょうど2年前の今頃だった。もともと東京で会社員として働いていた僕にとって、縁もゆかりもない北海道での新生活。今思うと不思議なくらい不安のようなものは一切なかった。新型コロナウイルス流行による2021年の緊急事態宣言下、数個の段ボール箱に大きな期待を詰め込んで厚真町へ移住した。

 町内唯一の高校、厚真高校に通う生徒たちの3年間を丸ごと魅力的なものにする。そんな「高校生活魅力化」というミッションを掲げ、町とつくる公営塾の立ち上げスタッフとして働いている。公営塾の名前は、生徒たちの交流と学びの場として最高の寄り道になればいいという願いを込めて「よりみち学舎」にした。

 学習サポートのみならず、地域の大人たちとの対話、音楽やスポーツ、一人ひとりが夢中になれるものをとことん追いかける場所をつくろうと奮闘している。1日当たり15人前後の生徒が来ては、それぞれバレーボール、ものづくり、ギターの練習に打ち込むことが日常になりつつある。

 「田舎はいい?」と、友人から聞かれるたびに「厚真にはこんな人がいてね」と話す。町を語る時、場所や物ではなく、人の話ができる。僕は田舎に来たわけではない。厚真に来たのだ。僕が今の暮らしを好きな理由の一番は、豊かな自然でも空港の近さでもない。生徒や地域の方々と過ごす時間なのだと思う。この町の本当の豊かさや同じ時代を共に暮らす人との話を、「ゆのみ」を通じて少しでも多く伝えていきたい。「好き」にはまとわりつく責任も課題もあるかもしれないが、理屈抜きの「好き」にかなうものはないからだ。
〈了〉

苫小牧民報 6月15日掲載分

【裏話】 真逆の2つ

初回ということで、めちゃくちゃ肩の力が入っていた。締切の1ヶ月前から書きまくっていたけれど、ほとんど納得のいくものが出来上がらず。もともと持っていた好きなエッセイストの本を読んでみたり、「小田嶋隆のコラム道」を読んだりしたけれど、600字のなかに何を書けばいいのか余計にわからなくなって、「カレーの福神漬けをどのタイミングで食べるのが良いか」という今思うと恐ろしいほど迷走したタイトルに行き着いたりしていた。一人称も「僕」か「私」で迷っていたほどだったし、文体も何が適切なのかわからなかった。

「厚真町のことを好きかどうか、よくわからない」という文章を書いてから、改めて書き溜めたものを見返していた時に一番下にあった文章が、最終的に掲載された「町の豊かさ」の原形になるものだった。締切の前日まで真逆の結論ともいえる2つで迷って、最終的に「1年後の自分に向けて」という願いを込めて、「町の豊かさ」の方を整えて提出することにした。

最終段落の『「好き」にはまとわりつく責任も課題もあるかもしれないが、理屈抜きの「好き」にかなうものはない』というのは、本当に好きなのかどうか迷った自分に向けて、「でも、こう思っていたい」という自分なりの素直な気持ちで書いた。

春と夏のあいだ


2. 「シイタケとバトン」  7月6日掲載

 6月の夏日、よりみち学舎の生徒たちと厚真町内に住む堀田祐美子さんのシイタケ農園のお手伝いに参加させていただいた。原木シイタケの栽培はおよそ半年をかけて、さまざまな工程を経て行われるという。その日はビニールハウス内に組まれたミズナラの原木、およそ1万本の上下左右をひっくり返す「天地返し」を行う。原木の全体に菌を行き渡らせるための作業だ。重いもので7キロ以上もある木を持ち上げようとすると、思わずバランスを崩しそうになる。

 堀田さんの農園には、日々いろいろな人が訪れる。大学生から社会人、時には旅人も。休憩中においしいそうめんをみんなでごちそうになったり、堀田さんが原木の隙間に隠したカードをみんなで宝探しみたいに探したり、その過程を共に楽しんでいる。そこに、何気ない日々の小さな気付きや、人と自然の関わり合いの中で生まれる温度を持った時間を大切にしている、堀田さんの思いが感じられる。

 栽培に至るまで、さまざまな工程を経ている原木は、まるでリレーのバトン。長い時間をかけて、いろいろな人の手や思いの中でつながれていく。徹底的な環境の管理と地道な力仕事によってじっくり育てられながらも、最後はふとした刺激をきっかけに、シイタケはぽんっと生まれてくるという。きっと人間だっていろんな経験を積みながら、ちょっとしたことをきっかけに自分の成長や変化を見つけられるのだろうと思う。人から何かを受け取ったり、人に何かを手渡したり。今の自分は何だか少し原木の気持ち。
〈了〉

苫小牧民報 7月6日掲載分

【裏話】  人のことを書くのってムズカシイ

昨年制作して文学フリマで販売したエッセイ集「生活の幽霊たち」を読んでくださった方からの感想で、「会ってみたいと思うような内容だった」といわれてすごく嬉しかった。次に文章を書くうえでの目標として、僕ではない文章の中に登場する人たちに「会いにいきたい」と思ってもらえるような文章を書けるようになりたいと思うようになった。

たまたま堀田さんのしいたけ農園で1日作業を体験させていただき、個人的に感じたことがたくさんあったので、後付けでその体験をコラムにして書いてみようと思ったけれど、実際は思った以上に書くのに時間がかかった。というのも、自分のことなら誤解を生んでしまったら自己責任で済むけれど、人のことを実名で書く以上はその人に責任を負わせてはいけないと思って、その分できるだけ丁寧に書いた。そんななかで、体験に参加していた同僚がぎっくり腰になった話は、惜しみながら割愛することにした。めちゃくちゃ笑ったんだけどな。人のぎっくり腰を爆笑している人間が、「原木の気持ち」って言っても説得力ないし。

初回からほとんど肩の力が抜けきれていないまま書いた文章なので、個人的にはもっとこう書きたかった、みたいな部分もありつつ、掲載された後に堀田さんから「コラムを読んでくれた方から連絡をもらえて嬉しかったです」と温かく言っていただいたおかげで、書いて良かったなあと思った。

できることなら毎回、町で出会った人のことを書こうと思っていたけれど、それはすでに「ゆのみ」の執筆メンバーのなかでやられている方がいて、とても素敵な文章を毎回書かれているので、そこへの憧れはそのまま、僕はできる時にできるだけ、ちょっとずつやってみようと思った。


天地返し
お昼に食べたそうめんが、とても美味しかった。
一番右の人、このあとぎっくり腰になります。


3. 「バンド記念日」  7月27日掲載

 公営塾「よりみち学舎」に通う生徒との関わり方を悩みながら、自分なりの理想を追い掛けるその中で、時折思い出す先生がいる。高校生の頃に出会った数学の講師。必死に解いた僕の解答を見て「この解き方、渋くていいね」と、俵万智のサラダ記念日みたいに言ってくれた。それがうれしくて、恨んでいたくらい嫌いだった数学が好きになった。

 答えはたった一つしかなくても、導き出し方はたくさんあることを初めて知った。「僕だったらこういう解き方をしちゃうな」と先生が見せてくれた解法は、スマートできれいに見えた。今思えば、ずいぶん遠回りをした自分の解答を、間違いとせずに個性として面白がってくれた先生の優しさがそこにある。

 話は変わって先日、厚真高校の文化祭で生徒とバンドを組んでステージに立った。昨年に続いて、2度目のバンド出演。同じ目線に立って、一つのものを作り上げていく。上下関係も年齢差も関係なく、一つの舞台を一緒に作る過程には、あらゆる垣根を越えた関係性がある。生徒とのバンドの演奏は、そういう面白さがある。「今のはいい感じだった、楽しかった」。本番前日の最終練習を終えた時、はじけるような笑顔を浮かべて生徒がそう言ってきた。

 ギターの弾き方を教えることができても、バンドとしての演奏や楽しみ方を教えることはできない。一緒に手探りで作り上げていく。一人ひとりが必死に演奏する時に垣間見られるその個性を、僕はあの日の先生がしてくれたようにたたえ合いたい。「この味がいいね」と今度は僕が言う。
〈了〉

苫小牧民報 7月27日掲載分

【裏話】 今日のこと、ずっと昔のこと

バンド、今年はできないと思った。わりと早い段階から楽器に触れてある程度は弾けるメンバーが揃っていただけに、文化祭直前でモチベーションが下がってしまったのか「やっぱり出ません」と言われた時は、少なからず落ち込んでいた。

今回の文化祭は、音楽好きな校長先生のおかげでなんとかバンド出演できたところが大きくて、もともと昨年の生徒たちとのバンド発表の話を聞いて、今年も楽しみにしてくれていたので、本番1週間前に「厳しそうです」って僕が言ったときにすごく残念がっていた。ダメ元で「aikoのカブトムシならアコースティック編成でなんとかできるかもしれないです」と伝えて、急遽組んだバンドで放課後たくさん練習した。この時期、いろいろと加藤的にもバタついていたので、ほとんど記憶がないのだけれど、無理を言っても「やってみたいです」と付き合ってくれた生徒たちには本当に頭が上がらない。

高校生たちと一緒に過ごしていると、時々自分の高校時代の記憶や昔の話をふと思い出すことがよくある。コラムの最初の方に出てきた数学の先生の話も、そのうちの一つ。大嫌いだった数学を好きになった瞬間をはっきり覚えていて、モノの見方ひとつで自分自身の小さな世界が大きく広がる瞬間を、自分が関わる生徒たちにもひとつでも多く感じてもらいたいと思う。

基本的に「ゆのみ」のコラムは締切までにネタから考えて書いているので、今回みたいに日常の出来事と自分の中の記憶がうまく結びついて、バランスよく文章が書けると、ちょうどいいなと初めて肩の力を抜けた3回目の「ゆのみ」だった。

7月も後半で、ちょっと遅くなったけど「サラダ記念日」。

いい写真だけど実は本番めちゃくちゃ間違えた


4. 「夢色くじらの海を見て」 8月17日掲載

 厚真町の厚南デイケアセンターで開かれたパステルアート教室に、小中学生たちが集まった。子どもたちと高齢者の世代を超えた友達づくりを目指したワークショップで、僕もボランティアスタッフとして参加した。

 夏休み中の子どもたちの表情には独特な輝きがある。こちらが聞くよりも早く「もう宿題終わったよ」と伝えてくるはずむ声と表情が、その日の曇り空を明るく照らしたようだった。高齢者の方も徐々に集まってきた。

 今回描くのは「夢色くじら」。講師として苫小牧市からいらっしゃった「よっちゃん」こと三浦芳裕さんは、普段は読み聞かせを行っている。パステルの扱い方を一通り教えてくださった後、「空も海もクジラもいろんな色で描いていいんだよ」とカラフルなクジラの絵を見せる。僕の隣に座っていた子どもが早速パステルを見詰めて、どんな色にしようか悩み始める。

 削ったパステルのふわりとした色合いを指でなぞって少しずつ紙になじませていく。波と海とクジラ、彩りのバランスをイメージしながら一つ、また一つと色が重なると、そこに生まれた新しい色が作品の世界をどんどん広げていく。どんどん作品にのめり込んでいく子どもたちが、時々顔を上げて他の人の作品を見てみると、そこには全く違う世界がある。

 「いいね」「すごい」とたたえ合うごとにその場全体の空気が柔らかくなっていき、子どもたち同士だけでなく高齢者の方と子どもの間にも、自然と対話が生まれていった。同じだったら気付くことすらできない互いの素晴らしさは、「違い」の中で輝いていた。額縁に並んだ夢色くじらが泳ぐそれぞれの海を見て、そんなことを考えていた。
〈了〉

苫小牧民報 8月17日掲載分

【裏話】 睡眠不足の朝に重なる

撮影の仕事や文章の仕事、夏フェスと東北視察、いろんな仕事やいろんな時期が重なったことで、ほとんど睡眠時間がなかった8月上旬。このパステルアート教室は徹夜してそのまま重たい脳と身体を引きずりながら参加したのだけど、このコラムの文章も別の〆切と重なってしまい徹夜明けの朝に書いたものになる。そういう意味で自分の中では臨場感というか、自分自身の状態を再現しながら書けたので、これまでより比較的スムーズに書けた。やる時はやる、というよりも、やるしかなかったのでやりきった。意外と作り込み過ぎてしまったものよりも、こういう時に書いたもののほうが自分的には読み返しやすかったりする不思議。

それにしても、パステルアートはすごく楽しかった。指で擦るから、それぞれに生まれたムラだったり、色の混ざり方の違いが全然違っていて、それでいてどれも魅力的な世界が生まれていた。子どもだから「すごい」って褒めるわけじゃなくて、本当に心からすごいって思った。

最初、あんまり黒を使う子どもが少なかったので、僕は黒を使って描いてみたら思いのほかダークな雰囲気になって、周りにいた大人たちから「・・・疲れてる?病んでる?」とか言われて少し焦ったけど、最終的に自分的にも気に入った夢色くじらが描けてよかった。(ほっとした)

あと、眠いのとか関係なしに子どもたちと話していると元気が出てくる。むかし図工とか美術の時間大好きだったなって思い出した。あと、夏休みの特有の空気感というか、僕もむかし夏休みに「なんとか作り体験」みたいなイベントによく親が連れて行ってくれてたなって思い出した。なぜか一番最初に思い出したのは、弥生時代のまいぎり式火おこし機の制作体験。あの木の取手を上下に動かすと捻れた紐が絶妙に回転して、下の板に開いた穴から摩擦で火を起こすやつ。夏休みに何か作ったり出かけたりしたのって、案外時間が経って大人になっても覚えているもんだ。いつか僕にも子どもができたら何を作るんだろう、ギターとか一緒に作ってみたいな。眠いときこそ幸せな夢を見よう。


夢色くじら


今後とも、苫小牧民報「ゆのみ」でのコラム連載は続くので、応援の程よろしくお願いいたします。頑張るぞい。

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