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平井寛人さんの『口』稽古場レポート


主宰長谷川の『口』創作日誌

平井寛人さんの稽古場レポート


※下の記事は、今回制作協力をしていただいている平井寛人さんが寄稿してくれました。

 2月7日(水)、天気、晴れ。東京都某所。「組合/場所」を自称(劇団HPより)し、小劇場という種種雑多な業界においても独特なスタンスを示し続けている、エンニュイの稽古場にお邪魔した。

 その世界に何があるのか、客観視して面白がるような――確かめ合うような時間を経て、何かが確かに深まっていく。

 キャスティングされた役者さんの旨み成分が滲み込んでいくような光景を、ただ面白がっているうちに、見えていなかったものが明らかになっている。印象深いケーススタディ。
 「キャラ付けをしていく」+「組み換え」という言葉が印象深く頻発する。これが全く端的であり、的を射るアテンドであると私は感じた。

 役者さんの、普段喋っているトーンと、演技のトーンが現時点で近い。「この人、これ言いそう」というような。事実私は稽古の中で役者さんが笑う演技をしているのか素で笑っているのか、見極められない瞬間をまま抱えた。楽しい戸惑いだった。

 「そのキャラクターならどの選択をするのか」それを全員で、観察の上で考証するような時間にも思えた。
 作品としては、過去におこなった同名の上演から更に様々ごちゃ混ぜにしていき、結果的には寧ろ立ち戻ってきたという。

 「今日やってみたいことがある」
 組合長(?)の長谷川さんが言う。
 時間を定め、その中で思いついた言葉を垂れ流してみるというワークだった。思い浮かんだ言葉を巡って思考が走ってしまえば、即刻そのワードは捨てる。私も参加してみたが、言葉を発する時に通る器官に度数の高いアルコールを注ぎ込んでしまったのか、脳から喉元、口先まで、厳密にいえば全身の感覚が拡張する体験だった。
 それぞれが自身のワードを垂れ流す中で、その場全体に不快感は無いのだが、最終的に確かに純度の高い不協和音に満ちていると感じられる。前提として受け入れられている感の強い空間である一方で、他者性が色濃く感じられる興味深いものを持った。

 「誰かが何かを言うのを受けて、時間差で思い浮かばされることもある」というフィードバックが参加者から発せられた。面白いと思った。

 組合長(?)の「今日やってみたいこと」はその後も、稽古が終わる時間まで続く。
 次には、空間を見渡し、他人に悟られないようにして”何か”に名前をつける。椅子の滑り止めに『トム』、机の足元の滑車に『獅子奮迅』といったふうに。
 参加者が交代制で名前をつけ、その他の参加者がその名前の印象から、どれに名前を付けたかを推察する。実際に出たのが『サイドキック』『しせん』『ぺらいち』『しせん』であったが、参加者はエンニュイ歴戦の者たち、当てられたのは私の名づけた『しせん』だけだった。
 これは作品の全体像にも繋がるところだが、誰かが何かをどう感じるのか、どう名づけるのか、ということが、言葉などによって固定・定義化されると、当たり前に個々人で明確な差異が出てくるし、その違いは興味深く、意外にも寂しくないと思えるのだった。

 その次には「その人がその人であること」を疑うワーク。
 二田さん(私と生年月が同じだった)が、ほんとうに二田さんであるのか、参加者は疑い出し、二田さんは自身が二田さんであると主張する。二田さんでない人物こそが二田さんなのではないかという話も出てくる。これがマーダーミステリーのようにふとした会話のほつれから二田さんを疑うようになり、二田さん候補が転々としていく。二田さんが二田さんでないのかもしれないと自認するようになる。最終的には二田さんが二田さんである自信をやはり捨てきれず、自身が二田さんであると主張し、どうしても自身が二田さんであるかもしれない(他の人が二田さんを二田さんでないと強く主張し、また、他の人も二田さんでない、となると、事前知識があまり無い私は非常に立場が弱かった)と疑念を覚えるようになった私が、二田さんが言いそうなことでしりとりを始め、やはり二田さんが二田さんであると言葉にしないまま明らかになっていき、そのままワークは終わった。この空間に参加する当事者意識を役者さん全員が持っているのは、非常に第三者として気持ちよく観えた。これが集団での訓練でなされているということも分かった。その上で自覚的に創作が続けられていくのは、東京の片隅でイケない研究の場に出くわしてしまったかのような興奮を覚えた。つまりここにこれがあった。

 組合長(?)はその様子を撮影し、言葉を抜き出す材料にしたり、戯曲構築の素材にする。
 ただ、撮影がされているかと思えば、組合長(?)が参加するエチュードが始まり、「10万円を貸した←→返したくない」関係性でのディベートの末、「10万円を返す方がおかしいのかもしれない」という価値観の転換が起こる。組合長(?)も実力の下でこの価値空間をかき混ぜ、想像が豊かになっていく。
 「”それ”に対してヒントになる連想を共有」することで、全員が、「そこからどうすれば面白いシーンになるか、整理していく糸口を探す」メンバーとしてそこにはいる。それもとてつもなくユニークな規範で。

 プレイヤーとしての人間の旨みがはっきりある(魅せる)演出家による、信頼関係が顕在化している稽古場。そのスペシャリティが特質であると感じた。

 エチュードに入ってからは、タームが少し移り、世界を分析しながらネタづくりというような様相を見せるようになった。
 「10万円を貸した←→返したくない」と同様のワークを、別の設定でやるとどうか、という話題になる。その分析によって、そのワークの本質が明らかになる必要が出てくる。そしてそれは演出家自身の興味のある部分で、しっかりアテンドされている。
 上述の場合は、「普通の価値観がヘリクツによって揺らいでいく」ということでひとつあって、これも非常に場に対して有機的な運動を起こしているドラマトゥルクの青木さんも交えて活発になっていく。「どれが本当なのか」「著作権を守っている方がおかしいというような場にも起こりうる」「2人3人の少数しか見ていないのであれば守らなくて良い規律に対する居方」――そうした形の顕在化により「可能性のバランスを探るためのワーク」が推し進められていく。バランスさえ捉えられれば、テーマは後から作品のためにアレンジして扱えるという発想だ。

 「3人の方が関係性を変えやすい」という提案から、役者さん3人が被検体としてのワークが続けられていく。この時、あくまで役同士の関係性から発展するものであると取り決められ、そこで生まれるものをみな気楽そうにしながらその節じっと観察していた。

 遊泳者であり、みながオブザーバーであるのだと重ねて感じた。

 「3人のうち、遊ぶしかなくなった役者さんが立場を変える」など有機的な転換がドラマトゥルクの青木さんに観測され共有されるなどしながら、演出家の長谷川さんが「意味がないとされた言葉に、僕たちはどういった印象を持つか」と提唱した。「イメージで立ち上がる言葉」と、後で開示される「本当の意味の言葉」の開きを読み取ろうと体勢が変わる。

 ワークは移り、「2人でいる時には出せる言葉が、年上の人が来た時に使えなくなる」という現象の要因を顕在化するために「2人のOLのもとに、年上で異性の閻魔様が来た」という設定でエチュード(実験)が起こる。
 ここで「天国行きか地獄行きかのジャッジ」と「嘘を許さない」の二面を閻魔が持つという私的がドラマトゥルクよりあげられ、後者については無しとされる。
 演出家は「自分にとって、先輩の芸人が来る時の感覚とはきっと違う。自分には無い感覚のシーンだから、捉えさせてほしい」とカメラを回した。

 ここでは、関係性の近い者同士の雑談から、立場に勾配がある業務的な対話へと、展開の前後での変化から、見て取れる本質を割り出すということがおこなわれていた。
 シーンの中で、目上のものが注文の仕方に遊び(アプローチ)をもった時に、その遊びの解釈を汲んで、乗っている人と、乗っているフリだけをする人が混在することに私は面白味をもった。閻魔が串をまとめて頼んで楽しもう、と言うコトは、きっと楽しくないと私にもわかる。そのケースに直面した人間のリアルな反応がそこにはあって、それは可笑しい。
 乗っているフリのアピール(気を遣う)と、それに乗ってもらえた達成感(気遣いに気が付かないでそれが真実であると誤認する)でのギャップが生じ、役者に積み重ねがあることで悪化していくのも面白い。

 のちのフィードバックでは、研究者然としたメンツが、「もう一歩展開に深みを探りたい」と探求心も損ねない。

 そして時間が来て、みなから一言ずつ振り返りが共有され、ワンピースの海賊の旅路のような和気藹々とした雰囲気でみなが帰路についていった。

 帰り、長谷川さん(組合長)から「従来の感覚を疑う時間にしたい」と教えてもらう。
 「言葉の持つ強さや危うさが、観劇後のお客さんに残る作品にしたい」
 なされるだろう、と私は思った。


平井寛人


公演情報

佐藤佐吉演劇祭2024 参加作品
エンニュイ『口』



 ■日程 
2024年3月5日(火)〜10日(日)

■会場
王子スタジオ1
住所:東京都北区王子2-30-5
アクセス:
東京メトロ南北線「王子」駅 4番出口より徒歩6分
JR京浜東北線「王子」駅 北口より徒歩8分
東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」停留場より徒歩9分
都営バス他「王子三丁目」「王子二丁目」各停留所より徒歩3分

■脚本・演出
長谷川優貴(クレオパトラ/エンニュイ)

■出演
市川フー
zzzpeaker
二田絢乃
高畑陸
(以上エンニュイ)

浦田かもめ
中村理

■スタッフ
ドラマトゥルク:青木省二(エンニュイ)
映像撮影:青木省二 高畑陸
フライヤーデザイン:長谷川優貴
フライヤーイラスト:zzzpeaker
制作補佐:渡邉結衣(studio hiari)
協力:王子小劇場

■タイムスケジュール
5(火)19:00
6(水)19:00
7(木)19:00
8(金)19:00
9(土)13:00 / 18:00
10(日)13:00 / 17:00
※開場は開演の30分前
※上演時間は100分を予定
※3/9(土)の13:00公演には託児サービスがあります。要予約。
 イベント託児・マザーズ(0120-788-222)
 0才・1才2,100円 2才以上1,050円

■料金
当日 3500円
事前予約 3300円
U25 2800円
U15 500円

■予約フォーム

長谷川優貴コメント

今回のタイトルは、『口』と書いて「しかく」と読みます。エンニュイ第2回本公演『 』がベースになっています。『 』は公演名が無題で観劇した観客がそれぞれのイメージでタイトルをつけていいというもので言葉と文字と会話の話でした。その『 』をくっつけて口にしました。四角い枠の中でクチを動かす。口が連なって器になる。そして世界は回る。そんな公演。ラベル付けできないように雑多な感じに作りました。出演者の経歴も様々です。〇〇っぽいとか、〇〇系とか一言で片付けずに観ていただけたら嬉しいです。エンニュイは、僕のイメージする『演劇』でありながら僕のイメージする『お笑い』でもあり、何でもないものです。出演者の表現力と観客の想像力の隙間にこの公演はあります。虫かごの中を見るような、地球を俯瞰で見るようなあなたの想像力の向こうに無責任に偶発的に現れます。言葉に責任を持たなければいけない昨今ですが、適当に楽しくやるので、適当に楽しんでくれたら幸いです。このコメント自体がもう作品へのイメージを縛り出しているのかもしれませんが……。

あらすじ

「あの病気」がはやっているらしい。
あるオフィスでのお話。出来事。
真面目な山口さんが職場に来なくなった。

佐藤佐吉演劇祭とは

佐藤佐吉演劇祭は、若手の劇団を中心に、実行委員の推薦により参加団体を招聘して開催している演劇祭です。メイン会場である王子小劇場の親会社・佐藤電機の創業者、佐藤佐吉の名を冠して、東京都北区で2004年以来、開催している。

【エンニュイとは?】


長谷川優貴(クレオパトラ)主宰の演劇組合/演劇をする為に集まれる場所 。

名付け親は又吉直樹(ピース) 「『アンニュイ』と『エンジョイ』を足した造語であり、 物憂げな状態も含めて楽しむようなニュアンス」

2022年11月に新メンバーを加えて、組合として再スタート
メンバーの経歴は様々。

青木省二 市川フー zzzpeaker 高畑陸 土肥遼馬 二田絢乃 長谷川優貴

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エンニュイperformance 『きく』公演台本データ | エンニュイBASE

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