永麗@和の道ときどき短歌

和の道をさまざま探求してきたアラフィフ。歌舞伎、能、茶道、華道、書、短歌、着付け、神道…

永麗@和の道ときどき短歌

和の道をさまざま探求してきたアラフィフ。歌舞伎、能、茶道、華道、書、短歌、着付け、神道、雅楽、舞、そして仏教…、道を求め過ぎて迷いに迷った子羊が東大寺で得度しました。…結局仏の道の半ばに足踏みしつつ、気の向くままに五七五を歌い、心の学び、魂の学びを日々深めています。

最近の記事

引越しで短歌どころじゃなくなった

さりげなく五七五にしてみた。 このところ人生の転機が降って湧いたように起こっている。 転職、転居、身辺異動…。 引っ越しに伴う断捨離で満を持してメルカリデビューすると、どっちがメインだか分からなくなって、撮影、入力、梱包、発送に明け暮れる始末。 大物はピアノ。これまで金銭を注ぎ込んで来た雅楽用の品々、そして着物。着物はまだ手をつけていないが、とにかく多すぎるため、新居には入り切らない。 どの品々も思い入れがあり、新しい持ち主に愛されて欲しいと思うので、ありったけの美辞麗句で

    • 蛍の乱舞の記憶〜健気ではかない蛍の光

      #今日の短歌 「闇の内確かな水の気配せりこれより先は蛍の栖(すみか)」永麗 田舎に住んでいるため、蛍の生息地は近くにあり、毎年蛍の飛翔が地元新聞で話題となる。 地元小学生が蛍の餌になるカワニナを飼育し放流したりして蛍の生息地の保全活動をしている。 その努力も虚しく、最近では蛍の飛翔数は年々減少傾向である。観光客がどこからともなくやって来ては排ガスを撒き散らして行くからか。 当市では蛍の担当課は観光担当ではなく、生涯学習担当なのだが。夜訪れて一銭も落とさずに帰って行く観

      • 死の臨場感〜「パニックでは死なない」だけで我々は「絶対的な安心」を得られるのか〜

        #今日の短歌 「目の前の現(うつつ)はかくて消えゆくか眩暈(めまい)している一瞬の闇」 永麗 パニック障害を発症してから、その恐怖を敢えて歌にすることしばしばである。 多分、これが記念すべき第一作目の「パニック短歌」だ。 「死ぬかもしれない」と思うほどの恐怖。それがパニック障害を患うものの最大の悩みだ。しかし、じきに学ぶのである。何度かの発作を経て「死ぬわけではなさそうだ」ということを。先輩や医者から「パニックでは死なないから大丈夫。」と言ってもらったりしながら。 そう。

        • 紫陽花の色づく頃にふと立ち止まる〜5月を越えて〜

          #今日の短歌 「紫陽花の色づく夕(ゆうべ)に立ち止まるここまでの道ここからの道」 永麗 五月病という言葉がある。従兄弟が自死した原因が五月病だと聞いていた。 子ども心に「なんで5月は辛いのかなあ」と思った記憶が蘇る。 新入社員でなくとも4月は環境が大きく変わる時期である。年度の切り替えと人事異動は時期をずらせばよいのに、といつも思う。 環境の変化と、業務量の増加が一度にやってくるだけでなく、異動した本人にとっては全く新しい業務を覚えなければならないという三重苦。 そうは

        引越しで短歌どころじゃなくなった

          パニック障害とともに〜すぐそこにある恐怖〜

          #今日の短歌 「酔う事も恐怖となりて久しかりひとり素面(しらふ)の宴の幾たび」 永麗 パニック障害を発症して10年になる。バセドウ病を発症したのが40歳の時。仕事のストレスで汗と空腹と喉の乾きが異常になり、目つきも鋭くなり、眼球も突出。 入院・手術による甲状腺全摘と、1ヶ月の療養を経て完全復帰…のつもりだった。が、そこからのトンネルがこんなにも長いとは…。 当時の私はとにかく、学ぶために移動は厭わず、日本のみならず、美しいもの尊いものを求め、西へ東へ一人で飛び回っていた

          パニック障害とともに〜すぐそこにある恐怖〜

          #今日の短歌 セカイの中心は何処だ

          今日の短歌 「サッカーの少年二人語りおりウクライナとか元カノだとか」 永麗 職場は小学校に隣接しており、駐車場から職場まで小学校のグラウンドを通って通勤している。 ある日二人の高校生ぐらいの少年がボールを蹴りながら国際情勢の話をしていた。  一人がもう一人に説明している。 どうやらウクライナが元カノでロシアがそれに対して怒っている元カレといったところのようだ。 片耳で聞きながら通り過ぎたので、残念ながらどうして元カノが元カレの逆鱗に触れ、軍事進行されてしまったのかまで

          #今日の短歌 セカイの中心は何処だ

          日常を三十一文字で切り取る短歌~七五の調べは日常を「作品」にする。

          昨日参加した初心者勉強会にて、「記事を書く」お題を頂戴したので, 今日は短歌の意義について語ろうと思う。 まずは、直前に記したこちらの歌と解説でもお伝えしたのだが、短歌を詠む、という行為は、特定の事実や事象、あるいは事件を七五調の美しい調べに乗せて、三十一文字で切り取って、一つの作品として額にはめて眺めることである。 ふと感じた「いい感じ」「愛おしさ」「切なさ」時には「疑問」「怒り」でも何でも、きれいに整えて冷凍保存できるツールである。 この「きれいに」「整える」作業の

          日常を三十一文字で切り取る短歌~七五の調べは日常を「作品」にする。

          #今日の短歌 なぜ詠むのか~痛みさえも美しく~

          今日の短歌 「酩酊の果ての事故とうその記事は君の最期を簡潔に告ぐ」永麗 その知らせは雅楽仲間から突然もたらされた。 仕事中にスマホにメッセージの着信があり、休憩のついでに何の気なしに読んで絶句した。 当時まだ30代だった雅楽仲間の突然の死。 若くして茶道をたしなみ、道具も愛でるいわゆる「へうげもの」だった彼とは話も合い、かなり親しく活動していた。 「何故?」その問いが不毛なことは百も承知だった。その答えが分かったところで彼は帰ってこないし、答えは誰にもわからない。 そ

          #今日の短歌 なぜ詠むのか~痛みさえも美しく~

          「正しさ」は一つじゃない~「正義感」により怒りのスイッチが入ってしまう貴方へ~

          「正義感」は諸刃の剣 「正義感が強い人ほど損をする」。50年生きてきてようやく最近たどり着いた結論だ。正確には「正義感の強い未熟者は損をする」。 「義憤」というカッコいい言葉がある。間違っていること、不正をただそうという正義感溢れたまさに「正義の味方」の持つ想いである。しかしこの「義憤」を正しく用いて現実の世の中を変えた人はどれだけいるのだろう?「正義感は諸刃の剣。」「正義感は取扱注意。」なぜなら「怒り」とは実に厄介な感情だからだ。未熟モノが振りかざせば相手も自分も傷つけ

          「正しさ」は一つじゃない~「正義感」により怒りのスイッチが入ってしまう貴方へ~

          #今日の短歌 母の日に寄せて~母の永遠性~

          今日の短歌 「九つで亡くせし母に逢いたいと天仰ぐ母八十路の春に」 永麗 母方の祖母は90歳を超えるまで元気な人だったが、母にとっては継母であった。実の祖母という人は母が9歳の時に亡くなった。とても華やかな人だったという。 そのことを知ったのは私が小学生の頃だっただろうか。 「母は私より小さい頃に母親と死に別れていたんだ。」 という事実は少ながらず衝撃的だった記憶がある。 この歌は去年詠んだ歌である。 「ああ、お母ちゃんに逢いたい。」 と、八十になる母がある日ふと呟いた。

          #今日の短歌 母の日に寄せて~母の永遠性~

          #今日の短歌 言葉にならない想い

          今日の短歌 「言葉なき想いは時に棘となるすり抜けていく言葉口惜し」  永麗 歌詠みにとって、限られた文字数の中で、最も的確な言葉を探すことは最大の使命である。 これぞという言葉を探し当てることができた時の感覚は、パズルのピースがはまったような、木塊から仏像が彫り出されるような、尊さともいうべき快さである。 しかし、閃光のごとく降りてくる言葉もあれば、煮込みに煮込んで選び取られる言葉もある。大抵の場合「練る」という表現が相応しく、その状況、情景を表現する的確な言葉を探し当て

          #今日の短歌 言葉にならない想い

          #今日の短歌 二日月~か細く時に鋭く。近くて遠い月を想う~

          今日の短歌 「春暮れて犬と散歩の長ければ家路(いえじ)の方(かた)に待つ二日月(ふつかづき)」永麗 三日月を詠む歌は多いけれど、二日月を詠む歌は意外と少ない。 私は三日月の別名「眉月」という表現が好きでよく歌に使うのだが、二日月は「繊月」とも呼ばれ、眉よりも細い繊維のような月である。 晩春の夕暮れ、まだ明るい空にうっすらと生まれたての月が見える。 その姿はか細くその光は嫋やかである。 拙歌は、夕方も暖かくなってきて、犬の散歩も長丁場になり、家路につく頃には月が浮かんでい

          #今日の短歌 二日月~か細く時に鋭く。近くて遠い月を想う~

          #今日の短歌 障子〜あいまいに境界を引く日本家屋〜

          今日の短歌  「障子越し風邪ひきの子の寝息聞く連休さ中の今日の夕暮れ」 こちらはリアル甥っ子である。 連休中、じいじの家に遊びにきた甥っ子に会いに実家に行くも、甥っ子は風邪気味で寝ている。仕方なく和室の障子越しに彼の寝息だけ聞いて帰ったという歌。 障子という建具は平安時代から使われているようだ。障(さえぎ)るという意味で障子と言われている所から、何かから何かをさえぎる役割を果たしているが、ご存知の通り音も光もしっかり通してしまう。 その境界はとても曖昧になる。障子の隔て

          #今日の短歌 障子〜あいまいに境界を引く日本家屋〜

          #今日の短歌 春の闇~日本人らしいパラドキシカルな季語~

          「春の闇」という季語がある。春、月の出ない夜の闇を言う。 春と言っても、ポカポカ陽気にたんぽぽそよ風ピクニック…。だけを表現したくないのが日本人だ。 春という季節は、異動もあり別れもあり、何となくそわそわと落ち着かない。その上に湿度と温度が上がってきて、空気がぬるむ。 そこにふっと差す「魔性」が見え隠れする。大きな事件事故が意外に多いのが4月だったりするのは気のせいだろうか。 日本人はその魔性を嗅ぎ取り、「春の闇」という秀逸な季語を生み出した。 国内外での不安なニュース

          #今日の短歌 春の闇~日本人らしいパラドキシカルな季語~

          短歌どうでしょう 吉野~歴史の記憶と神々の鎮もる地~

          奈良県吉野 今では千本桜で有名な観光地であるが、修験の聖地でもあり、また、古代から日本の歴史の舞台となってきた地でもある。 吉野には何かがある。人間と神々のあわいにある何か。 ここにあるのはまったく手つかずの大自然ではない。この地には、悠久の歴史の中で人が関わり、神々の声を何らかの形に具現化してきた痕跡が刻まれている。 吉野には何かを壊し、新たに何かを生み出す力がある。この地にはそれほどに強く尊い神々のエネルギーが降り注いでいる。 青根ヶ峰はその名前の通り、重なり合う

          短歌どうでしょう 吉野~歴史の記憶と神々の鎮もる地~

          短歌どうでしょう 〜蕾の秘める何か〜

          蕾(つぼみ)っていう漢字には雷という字が使われている。 なかなかにアグレッシブなイメージではないか。花は、ただ、咲く時を待って静かにひっそりと息を潜めているだけなのだが。 確かに、バリバリっとかメリメリっと劇的に咲くわけではない。その変化はかくも「淡く」、しかしその姿は光を湛えているかのように輝いて見える。 大自然のエネルギーをその花の姿を通して感じ取っているのだろう。

          短歌どうでしょう 〜蕾の秘める何か〜