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ひつようなことば

ネットの誰かのことば
「自分のからだがあたたかく柔らかくなっていくのを感じた」
2年ほど前、うまく食事が取れなくて、何をどうすれば良いかわからなくて、真っ暗闇にいたときがあった。自分の病気について調べ、自分はひとりじゃないと思いつつ、治りたいけれど治りたくない、もっと深刻になればいいと思っていたとき。わたしの人生はある時期を境に「それ以前/以後」と認識するくらい世界が変わった。正直それ以前の記憶は曖昧だけど、このことばは「/」にあって鮮明だ。なんて美しいことばだろうと思った。どんな治療よりこのことばが必要だった。このことばに救われた。

福徳さんのことば
これはどんなことばだっただろう?ジャルジャルの福徳さんが、小原井夢一(おわらいむかず)としてnoteに書いていた文章。内容はほとんど覚えていないけど、恐らく実体験をもとに、誰かに謝っていた。過去に無意識に人を傷つけてしまったときのことだったんじゃないかな、それを物語にすることで昇華するような。とにかく心に刺さったことだけは覚えていて、もう一度読みたいと思ったけれど、消されてしまっていた。これは確信している。そこにあった物語が消えてなくなってしまった、忘れてしまった物語が、ひどく大切なものだったような気がする。

誰かの本のことば
2022年2月7日に読んでいた本。こんな風に載せてしまって申し訳ございません。けれどこれが誰のどの本なのか思い出せず、どうしてもこの前後を読みたいのです。この写真を撮った日時からして長らくの体調不良から復帰しつつあるときに読んだであろう本で、なるほどこの部分はわたしの当時の心境をピタリと言い当てている、と思う。2年前の写真フォルダを整理すると、一人旅、一人暮らしごっこ、友達との旅行にさえも、病気と孤独の影がつきまとっていた。当時の写真を見るとすごくすごく高いところから底なし穴を覗き込むような気持ちになるし、実際そんな状況に直面していたと思う。病気の自分も、この本が刺さった自分も、いまは遠い。でも間違いなく自分の大切な大切な瞬間のひとつだ。写真に残してくれてありがとう。大変だったね。


又吉さんのことば

多くの人が気付いていることを僕だけが知らないということがよくある。・・・「生まれ方も死に方も選べないけど、生き方は選べる」ということに僕が気付いたのは最近のことだけど、それもみんな当然のことだと知っていたのだろうか。

又吉直樹「月と散文」

又吉さんの月と散文の中の一節が、最近ずっと引っかかっている。
多くの人が気づいていることをわたしだけが知らない。みんなが通り過ぎることを、わたしは一つひとつ手にとっては感動してしまうし、善悪の判断もよく間違うし、常識も空気も建前も年金も年末調整もわからない。みんなはセミの死体が11月になっても転がっていたり、西日が本の背表紙を照らしながら部屋を横切ったり、あの雲がさっきから全然動かないことを知っているのだろうか。気にならないのだろうか。世界が一番美しい瞬間を、見ずにいられるのだろうか。ちなみに最近のわたしは、世界を、人生を味わい尽くすという意味で、ニートを経験するのは大いにアリだと思っている(暴論・飛躍のオンパレード✨)。
どうかずっと引っかかっていてください。

そのときそのときで、必要なことばって違うよなと思って書いてみました。ずっと育てている、育ててくれることばがあります。そのことばに救われることが何度もあります。
それにしても、ことば、言葉って、不思議なことばだ。

おわり

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