感想をかっこつけちゃう癖

 本を読んだり、映画を観たあとは、レビュー投稿サイトに感想を登録するようにしているが、たいていの場合私は、感受性の豊かさや洞察力をアピールしたくて、言い回しをちょっとかっこつけてしまう癖がある。



「まるで小説を読んでいるかのような~~」
「情景描写が~~」
「監督の思惑は~~」
「著者の感性が~~」


みたいな。


 それらしい言葉を並べることに意識が向きすぎて、後で読み返しても薄っぺらいことが多いので、「要するにこいつ何が言いたいの?」って思って恥ずかしくなり、ウワァーっとなって投稿を消してしまう弱い自分。

 記録として残したいだけなので、投稿消しちゃったら本末転倒。

 なので、感想かっこつけるのもうやめたい。

 目指すはchelmicoのRachelのような、ゆるやかな投稿。

chelmicoのRachelさんの映画『ヘレディタリー/継承』のレビューがいい!
#Filmarks #映画 #ヘレディタリー継承



 そう思いながらある日、かっこつけない感想を書くぞ、と意気込んだ上で(ちょっと間違ってる)、有村架純と菅田将暉のW主演映画『花束みたいな恋をした』を観た。



 この映画は、男女二人の5年間の恋愛を切り取ったストーリーで、タイトルが過去完了形であることから分かるように、「終わること」を察した上で気合を入れてから観るのが個人的にはベストな映画だった。



 映画終わった後、さて、一言で表すにはどんな言葉がいいだろう(拭いきれないかっこつけようとする姿勢)って思いながら劇場の外へ出たら、同じ回を鑑賞していた女性3人組の会話が聞こえてきた。



『この映画は、ただの私の回想だった』



 すべてを持ってかれた。

 この言葉を聞いた瞬間から、私にはもうこれ以上のキラーフレーズを考える気力が微塵もなくなった。玉砕。



 そう、まるで自分自身の回想のような映画だった。

 タイトルで身構えていたので、観る前からこの恋愛が「終わること」が分かってるから、出会いのシーンや、付き合うまでのシーンも、付き合ってからの仲良いシーンも、
 仲睦まじいはずなのに全部ちょっと切ない。

 反対に、すれ違いはじめるシーンや、そこからすれ違ったまま別れを選択するシーン、別れてもしばらく仲良いシーンは、ぜんぶ思い出を振り返ってるような気持ちになるので、
 切なさと懐かしさが生まれはじめる。

 話の流れと感情が逆行するという、斬新な体験をする映画だった。

 この感じ....TENET?

 そうだ、この映画を観た感想は

 「TENETみたいな映画を観た」にしよう。