友よ静かに暝れ

友が倒れて3か月近く経つ、
友と言っても、
私の母ほどの年齢で、
えらくお世話になった御婦人である。

人間や人生や縁と
いうものは、不思議なものである。
その不思議というものを
味わって、日日を生きている。
生かされている…

3か月前…
最近、どうされておられるだろうか、
と思い、電話をかけた、
ちょうど、機種変更のため、
娘と一緒に、ショップに
来ていると言っていた…
ところが、
その直後、救急搬送されたのだ。

そして、そのまま、
入院生活をされたのだが、
退院することはなかった…
トルソー症候群
という病名を初めて知ることになる。

度々、病院にお見舞いに
足を運んだが、
記憶がかなり断片的だった。
人によっては、何を言っているのか
わからないという話だが、
私は、どの時の、どの場面のことを
語っているのかが、
分かる気がした…

昨日、
妻と一緒に、お見舞いに行った、
昏睡状態だったけど、
ずっと、話しかけた、
そういう時の呼吸や、まぶたの
下の目の動きで、
返事をしてくれていると、
常に確信している…

その夜…他界された、

3か月前の意識不明になる
直前に、電話をかけ、会話をして、
天国へ発って行かれる
数時間前に、訪ねていった。
78歳…

私の母と、ほぼ年齢は一緒だ。

距離が離れていても、
多少、忙しかろうと、
愛情による直感で、
アンテナ立てて、
何か、些細なことでも感じたら、
電話したり、会いに行ったりする
そういう日日でありたいものだ。

高齢や病気ということに
限らず、家族とは、日日を
たいせつに生きていきたいものだ。

私はね…

人が家族が私に対して、必ずしも
そんな風に接してくれるなんて
確証は、あるわけでもないし、
要求することでもないのだから。

人生、縁、
直感、タイミング、
そんな不思議を味わって
日日を生きていきたい。

友よ、静かに暝れ、
そして目醒めたら、
大いに楽しんでてほしい、
また逢う時まで。

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