#66 子どものお誕生日に思うこと

昨日は、長男14回目のお誕生日でした。
しばらく長男の子育てのことについて書いてきましたが、色んなことを考えさせてくれ、私を成長させてくれた長男です。

もちろん、次男や三男、他の家族も元夫、関わってくれたたくさんの方々が、私を成長させてくれ、気づきをたくさんくれました。
とはいえ、一番上の子どもというのは、何もかもが初めて。色々と試行錯誤してきたなぁと思います。

子どもが小さい頃は、お誕生日!と、それぞれの子にプレゼントを準備し、特別な1日を計画して、ごちそうを準備していました。
けれども最近は、子どもたちとの日々で一番尊いものを考えたときに、日々の日常が何よりもかけがえのないものだと感じるようになりました。

仕事が忙しくなっているというのもありますし、子どもの欲しいものや必要なものは、だいたい揃ってきていて、わざわざ誕生日のためのプレゼントというのが不自然に思えてきている、ということもあります。
ごちそうも、特別な日に限らなくても、作れそうな作る。それはたいてい、新鮮な材料がたまたま手に入ったときだったりします。東京に住んでいたときは、お誕生日など「特別な日」に合わせて、材料を仕入れに行くべく、角上魚類やコストコ、自然食品やさんに行く、ということをやっていました。

田舎に引っ越してきて、畑を始めて旬をより一層感じるようになったり、お店も東京のときほど何でも近場で揃わなかったりします。わざわざ輸送コストをかけて何かを取り寄せることに違和感を感じるようになったり、いずれゴミになるものを購入することに抵抗を感じるようになったり、という、小さな心の変化がありました。

何かを買うことで得ていた満足感が、以前ほど私を満たしてくれなくて、それよりも、家族でいい天気の中、草原や山や水辺をのんびり歩いているときに至福を感じます。カンゾウを摘んでお浸しにし、ふきのとうをご近所のおじさまからいただいて天ぷらにして、美味しすぎて、食卓に移動する前に、みんながつまんで、台所ですべて空っぽになってしまったり。
そんな、何気ない日常の中に、幸せを感じることが増えてきました。

お誕生日にプレゼントをあげるのは、「おめでとう」というお祝いの気持ちですよね。お祝いの気持ちは、イコールプレゼントではなくて、「生まれてきてよかったね」「大好きだよ」が伝わったらそれでいいんだと思うようになりました。クリスマスプレゼントもしかりなのですが、自動的にもらえる日というのではなく、心が通う日になったらいいなーと思うのです。

プレゼントは、必要なものが出てきたときや、プレゼントしたいなという気持ちが出てきたときにあげるようになりました。これは元彼が教えてくれた価値観でしたが、最近しっくりくるようになりました。
誕生日でなくても、プレゼントをあげるときには、よく考えて、これぞというものを与えるようにしています。おもちゃでも、学用品でも、本でも、素材でも。そして、一緒に過ごすときも、何をするかではなくて、どんな気持ちでいられるかで選ぶようになりました。

お誕生日。あなたが生まれた日。わが家を選んで生まれてきてくれてありがとう。ここまで無事に育ってくれてありがとう。
今日1日、メッセージカードやおばあちゃんたちからのお祝いも渡して、お昼にお世話になってる方も一緒にごはん食べに行って、長男がリクエストしてくれたマッサージをたっぷりして、歌をうたって。忙しかったからケーキはちょっとだけ延期させてもらって(一緒に作る予定)、過ごしました(私は仕事が入ってしまって、お昼のごはんのとき以外、不在だったのだけど)。

あなたが生まれて14年。私は今もあまりに未熟な母親だけど、子どもたちのおかげでここまで成長させてもらえたな、としみじみ思います。子どもはいつか巣立ってしまうもの。それまであと何年。
それまでの短い間、一緒に毎日、喧嘩したり笑ったりしながら、楽しい日々を過ごしていけたら!
いつもありがとう!!!

今日は、長男の誕生日によせて、思うことをつらつらと書いてみました。
読んでくださってありがとうございます。

それでは、また明日!

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