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ハリウッドの映画学校を卒業後、日本で働きながら自主映画を作ったお話

2015年に撮影し、2017年に完成した自主製作SF短編映画EUTERPEがインディーズ映画のサブスクリプション・サービスDOKUSO映画館にて配信される事となりました。
https://dokuso.co.jp/introduction/1604
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018、Berlin Sci-fi Filmfest2018など国内外の映画祭で上映された作品です。

配信を記念して、作品製作時の話を書いてみます。

アメリカのカリフォルニア州ターザナにある映画学校コロンビア・カレッジ・ハリウッドに通っていた頃、日本人の映画学生コミュニティにて「こちらで映画を作ると日本で作るより3倍良い物が出来るよ」と言うような話をしばしば耳にしました。

映画の本場と言う事もあり、機材屋さんが多い、ロサンゼルス全市内の撮影場所の許可取りをFILM LAと言う専門のオフィスが一括管理している、俳優さん、スタッフ共に人材が豊富、などが理由に挙げられるかと思います。

卒業後、日本に帰って来て東京でCGのお仕事を始めた頃、旧友の写真家に「最近一眼レフでの動画撮影が活況で、映像に興味があるのだけれど、一緒に映画作らない?」と相談を受けました。東京と言う街で自主映画を作ろうとする時、どれだけ環境が整っているのか全く未知数であった事もあり、2の足を踏みましたが、1人で、は大変でも旧友との2人でのスタートなら何とか実現できるかもしれないと思い、製作を決意致しました。

決意したのはよいものの、どういう企画でやるのか?SFが好きだけど東京都内の撮影でSFなんか作れるのか?しばらく検討していたある朝、出社のため家の近くを歩いていた時、ふとイメージが浮かびました。現代の東京の風景の中を、ロボットとも人間ともつかぬ物に追いかけられる一組の男女。東京の街を未来の都市と見立てて撮るSF。これなら自主映画の規模で面白い物が出来るのではないか。テーマは?個人的な話で恐縮ですが当時の僕は東京で一人暮らしで仕事を始めたばかりで、人の温もりや愛情などにあまり触れる事のない生活をしていました。そこから、愛、感情の禁じられた街、と言うテーマが浮かび上がって来ました。その時の僕には東京の風景が一瞬そう見えたのです。

自分の中で方向性が決まり、早速旧友に話してみた所「なるほど。未来の話だけど、現代の風景で撮るんだね」との反応。しかしその後「こういうの、斬新そうだけど実は昔からある」と紹介されたのがジャン・リュック・ゴダール監督の1965年のSF映画アルファビルでした。’65年当時のパリ市内やラ・デファンスの風景を人々の感情や自由な思想が禁じられた星雲都市に見立てて撮影された作品。

https://www.youtube.com/watch?v=CzaATgGHmy0

似てる作品があるから企画を取り止めようか・・・とは思いませんでした。おめでたい話ですが、むしろ無意識のうちにゴダール監督と同じアイディアを思いついた自分がちょこっと嬉しかったのです。それに、アルファビルは今の自分たちと同じ価値観を持つ人間が感情が禁じられた奇妙な星雲都市にやって来る、と言う話です。対して、その時僕が練っていたプロットは、愛や感情の禁じられた世界に住んでいる主人公が外の世界から来た女性と出会い愛の意味を知って学んで行く、と言うアルファビルとは180度真逆のベクトルの物語構造を持っていました。それならアルファビルと十分差別化されたオリジナルな作品になる勝算があると考えました。

余談ですがあの円谷プロのウルトラセブンの第43話、第四惑星の悪夢は多分にアルファビルの影響を受けていると言われます。また、大映の1968年の怪獣映画、ガメラ対宇宙怪獣バイラスの宇宙人の宇宙船の中の描写もそれを彷彿とさせる物があります。自分が子供の頃から慣れ親しんできた特撮物の中にアルファビルのDNAが受け継がれている。それもまたEUTERPEの製作の後押しとなりました。

プロットを脚本に起していくにあたって一番難しかったのが、物語の冒頭、第1幕での主人公の日常を描く部分でした。愛や感情の無い世界で生きている人間は毎日どんな生活を送っているのか?どでかい工場で歯車のように働いているのか?それだと撮影にかなり予算を食うのでは?もう少しリーズナブルかつ端的に映像化するにはどうしたら良いのか?主人公の日常の世界からどのように物語が動き出すのか?そんな事を考えていたとある日の事、CGのお仕事で残業中にそろそろ本日上がりだなとふとリラックスした時、ふいに主人公の職業のアイディアが降って来ました。愛や感情が芽生えてしまった人たちを病人として治療するお医者さんにすれば良い!自分でも知らない内に権力側の体制の維持に加担してしまっている、と言う設定なら現代に通じる時代性もあり、観る人も感情移入しやすいのではないか?また、反体制に目覚める主人公を、登場時点では体制側の人間にする事で、よりドラマ上の葛藤を生み出せるのではと考えました。

俳優さんのオーディションですが、ハリウッドにいた時に使っていたLA Castingと言うサイトに似たCreators Community※と言うサイトがある事が分かり、無事十二分な候補者の方を集める事が出来ました。※現在は廃止されてるようです。今だとシネプランナーズと言うサイトが良く使われているそう。オーディションは近所の6畳くらいのスタジオを借りて行いました。

スタッフは旧友がカメラを担当。
彼が写真のお仕事で使っていたNIKONのD4Sを使用しました。
ADはアメリカ時代に知り合った超優秀な日本人の後輩が担当してくれ、ガンガン現場を回してくれました。ちなみにアメリカと日本ではADの役割、権限が若干違っていて、日本では監督の見習い、雑用的な扱いですが、アメリカでは現場全体の進行を仕切る役割で権限も強く、監督に巻きを入れる事もあります。出世すると監督ではなくプロデューサーになる方が多いと言う話も聞きました。その後輩にはもちろんアメリカ方式でお願いしました。
照明、カメラ・アシスタントもその後輩のツテでデジタル・ハリウッド大学の学生さん達を集めて頂く事が出来ました。

自主映画の上映の際、画がショボいのは観てたら慣れるけど、音が悪いのは致命的、とよく言われます。それほど大事なサウンドですが、中々プロフェッショナルな人を探すのは難しい。当時私がお仕事させて頂いていた会社さんがCGだけでなくMA(音の編集、デザイン、仕上げ)を行う会社さんであったため、相談申し上げた所、運よくプロの音声さんを紹介して頂く事が出来ました。

撮影は2日間。

初日は家の近所での野外撮影。
公園と川沿いの道路がメインです。
映画の都ハリウッドとは違うだろうし、東京で撮影許可なんて出してるのかな?と心配でしたが、撮影許可は道路は警察署、公園は公園専門のオフィスにて申請でき、比較的スムーズに行きました。
当日は天気が怪しかったのですが、何とか出来そうだったので決行。最初の方の公園のシーンでは若干霧雨が画面に映ってしまっています。しかし、全体的にどんよりした天気の雰囲気が作品にマッチしていて、結果的にローキーな良い画がたくさん撮れました。野外撮影のご多分に漏れず、最後の方は日が落ちて暗くなってくる中、何とか撮りきる事が出来ました。

2日目はスタジオ撮影。

脚本の設定では主人公が住む一人暮らしのアパートなのですが、どこにでもありそうなのに中々見つからず、そのスタジオ探しがプリ・プロダクションで一番苦労した事柄でした。しまいには最終手段として自分のアパートの部屋を使おうと大家さんに掛け合い、一旦OK貰うもその後不動産屋さんからNGが出て振出しに戻る始末。撮影が迫り、焦りが募る中、キャンセル待ちをしていたstudio貸家と言うスタジオさんから奇跡的に空きの連絡を貰う事が出来ました。結果的に窓からスカイ・ツリーが見え、撮影用と待機用2部屋同時に使える理想的なスタジオを使う事が出来ました。このスタジオを使えた事が作品の質アップに大いに貢献していると思います。本当に良かった。


ハリウッドで映画学校に通っていた時印象深かった事の1つに、敬愛するジェームズ・キャメロン監督の映画ターミネーターに照明技師として参加された方に撮影当時のお話を聞けた事があります。

「カイル・リースにあてる照明は場面によって変えているんだ。最初は正体不明だからコントラスト強めのharsh(ザラザラ)な感じに。お話が進むにつれて主人公サラ・コナーとの関係が深まっていくから段々ソフトにしているんだ。そこまで物語を読み込んで照明プランを考える事は簡単な事じゃない。現場では皆慌ただしく働いていてそういったクリエイティヴ面の事を忘れがちだからだ」

とおっしゃっていました。非常に良いお話を聞けたと強烈に記憶に残っていたので、2日目の撮影の際、デジハリの方々に同じリクエストをさせて貰いました。主人公とヒロインが出会ってから食事するシーンが2回あるのですが、出会った直後の最初の方はコントラスト強めに、2人が心を許しあう2回目の方は比較的ソフトに照明を作ってもらっています。頑張って頂いた結果、役者さんの綺麗な表情を撮る事が出来ました。

そして2日目の撮影ハイライトは、主人公とヒロインのラヴ・シーン。脚本上では2人の会話シーンから急にラヴ・シーンに移るようになっていたのですが、いざ現場でブロッキング(日本で言う場当たり)の段になって「いきなりどうやってラヴ・シーンになるんですか?」と主演俳優さんから疑問が。「監督渾身の凄いラヴ・シーンになるのですよね?」とADさんからもチャチャが入り、音声さんも参加して撮影終盤皆疲労が溜まる中、喧々諤々の大議論に。結果どうなったかは是非完成品をご覧下さいませ。

編集は3ヵ月程でピクチャー・ロックし、そのままVFX作業に入りました。まず登場するロボットと飛空艇と宇宙船のモデリングから始めたので、2年弱ほど掛かってしまいました。せめてモデルはアセットとして撮影前に完成させておけば良かったかなと感じています。ソフトはモデリングに学生時代から使っていたMaya2011、エフェクトはAfter Effects CS6、合成にはNUKEのNon-commercial版を使用しました。全編、白黒変換した画を上からブレンディング・モードのoverlayで重ねる事によって、疑似的な銀残し加工を施しています。

日本でCGのお仕事を始めたのは、自分の自主製作映画のVFXの質を高める為プロの現場で学ぶと言うのも理由の一つでありました。その成果として本作に生かされたのは、今では業界のスタンダードとなった手法、IBL=イメージ・ベースド・ライティングです。撮影現場を魚眼レンズを使い360°、ハイダイナミック・レンジで写真撮影しておいて、後にCGソフト内でそれを使い、映画撮影時の環境を再現する事で、映画撮影素材と自然になじむ環境光によるライティングをCGモデルに施す事が出来る、と言う手法です。ガラスや金属の映り込みなどもこれで表現する事が出来ます。映画の撮影時は写真撮影する時間の余裕が無かったので、後日、似た天気の日にロケした場所に一人で向かい、撮影を行いました。映画内に登場する物がロボットや宇宙船など金属製の物ばかりだったので、非常に有効に質感のリアリティ・アップに働いてくれました。

VFXと並行して、整音と効果音をアメリカ時代に知り合ったプロの女性の方に担当頂きました。アメリカの撮影現場で彼女がミキサー担当で僕がブーム・マイクを振っていた時「今のは良い音」「良い音録れましたね」と声をかけてくれ、その時の彼女の音へのこだわりが印象的だったので、今回久々に連絡を取ってお願いする事となりました。後に僕がTVドラマのCGのお仕事で番組のクレジットに名前が出た時、彼女の名前もサウンドとして偶然一緒に出て感慨深かったです。当時担当していたドラマのクレジットは一度に全員の名前が出るわけではなく、VFXならVFX、サウンドならサウンド、と同じ役割にも複数の担当者がいて毎週順番に出される形だったため、一緒に名前が出たのは本当に偶然でした。

作品完成後、お披露目試写は原宿のCAPSULEと言う小さな劇場で行いました。デジハリの面々、主演俳優さん、ADをやってくれた後輩に、作曲を担当してくれた方々も来て頂いて穏やかで素敵な時間となりました。

ハリウッドから帰って来て、東京でしかもフルタイムで仕事しながら、と言う条件の中、こじんまりとした体制ですがディストピアSFと言う今までチャレンジした事のないジャンルにトライ出来て、自分としてはどこに出しても恥ずかしくない1本となりました。結果数々の映画祭に入選し、羽ばたいて行ってくれて嬉しかったです。







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