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「悩みが深い」って言いすぎる

答えのないことを考えたり、答えが出てる(っぽい)のにそれでいいのだろうかかってためらったり。そういう時間が全くもって合理的でないことはわかってるんだけど、うまく自分のなかで消化できなくて、人にぶつけてみたり、テキストに落としては消してみたり、その後「いまのなし」ってしたり。


「自分のため」ではなくて「相手のため」を優先して生きてきた結果、重要な局面ほど、自分の判断が正しいのかどうか、客観的な意見が欲しくなる。
だけど、だらだら経緯から喋るボトムアップおばさんになって相手の時間を無駄にしたくないから、聞いてくれる人が近しい人であればあるほど、ちゃんと自分の考えをまとめて、結論から喋りたくなる。
が、そうするとうまく言語化できず(ロジカルに整理できる部分よりも、おそらくはエモーショナルで整理がつかないぐちゃぐちゃ部分が存在するからで)、自分の中でスタックしてしまうことがあり、これもまた精神衛生上よろしくない。
結果、「悩みが深い」とか「悩ましい」とかふわっと言って、関係値が一定程度ある相手に察してもらうことが増えた。よくないな、甘えているなと思いつつ、「それってどういうこと?」「こんなこと考えてる?」ってなんとか自分から言葉を引き出してくれるサポーターが周りにいてくれることは、本当に自分にとっての財産だと思う。


でも、自分のために、今夜はもう少し考える。そういう夜も、多分必要だ。家の周り走って、スクワットして、犬をなで、もう少し考えることにする。


本日の1曲は、そうだな…さっき街で大音響でかかってたこの曲にしようかな。高中正義さんに注目です。




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