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A=AA≠A(〇△□ )トークセッション

7/24に開催したA=AA≠A(〇△□ )のトークセッションの内容をテキストにしてみたものである。ギャラリーと作家がこの展示会にかける思いと、これからの展開についての話である。

0、展覧会のきっかけ~オープニングトーク~

この展覧会は、12月の展覧会にむけて思考を開始する起点であり、1日かぎりの開幕式である。ここにタイトルして、A=AA≠A(〇△□ )と解釈した。
〇△□ は、空白を示すことに使われる記号である。一度、枠を設定してから中見を考えてみようとおもった(なぜならば、枠を設定をしたら、中見ができていくこともあるから。。)。

1、GALLERYとして

KOBE819GALLERYとして、企画・設営・展示を作家不在でどうなるかを確認する。作家の意図や展示設計にあわなくても展覧会は成立する可能性はあるのでは?というGALLERYからの問いかけでもある。しかし、共有できない感覚も確実にあって、それが作品や展覧会にどれだけ影響を及ぼすかわからない。

映像通した配信は、見る側の自由度は極端にへる。演出による影響が大きく発信者側はコントロールできる。しかし、デバイスによって視覚変化をはじめ鑑賞者側の環境によって影響が変わるとき、演出によるコントロールが効かなくなる。信頼性でいうならリアルのがいいかもしれない。

ギャラリーに来てみるのは面倒。動画は楽チンだしどこにいても展覧会をみたふうに感じることができる。では、アート作品という生ものをみるときにどうするのかを考える必要がある。

同じものをみると一義的取り扱うことができない。別のものして考えていいのでは?両方の方法で検証するのは生ものを大事にすることが追及することができるのか?を問いたい。(生もの価値観の提示)

生もの価値観については、ウォルターベンヤミンがいうアウラの考え方に似ており、A=AA≠Aで取り組んでいる、コピーやオリジナルと接続することができる。

機械的複製によって芸術作品のコピーを大量生産することが可能になった時代において、オリジナルの作品から失われる「いま」「ここ」にのみ存在することを根拠とする権威のこと。

<作品について>
2、オリジナルの単位について

1枚の写真を2000枚コピーの作品であるA=AA≠Aは、コピーしたもののオリジナルとは?という質問を頂くことが多かった。逆にオリジナルとはなにか?とききかえる。作品の設定上は、1枚の富士山の写真 ともいえるが、富士山そのものともいえる。作家がもっている富士山の印象かもしれない。

3、これまでのA=AA≠A、これからのA=AA≠A

これまでは、△=富士山 □=建物 として、日本人のアイデンティティに関わるものを抽出・提示してきた。

△=いま存在しているもの、過去からほぼ同じ姿であったであろうこと。□=いまも存在しているが、カタチが変化したもの。過去には元の姿が別に存在するもの として場合、次の〇は、未来であってほしいと考える。今日の時点では不在”であっても、”これからの存在を示すもの” として解釈すると、身近にみえてくると思います。

4、選択することについて

選択とは、認知、判断、操作のサイクルを回し続けることである。
しかし、私たちは、認知を正しくすることができない為、何度も読み返すことをする。そうすることで、これまでと全く違う世界に出会うことがある。

5、つくるとは?

アーティストは制作をする。つくるのは作品でなく、問いである。
各作品・作家がいうオリジナル作品・オリジナルプリントというのは、なんなのか?オリジナルには複数性があってかならず収束するものでない。したがって、取り扱うオリジナルの単位(をきめるための条件設定)をしていくことが制作の1つになりあえるのではないか?

<展覧会について>
6、空白のカタチとは?ー代入してみて確かめること

”空白” は ”不在が存在すること” を示す概念であるが、これだけでは制作ができないので視点を変えてみます。今日の時点では不在”であっても、”これからの存在を示すもの” として解釈する。

なにも予定をいれないことをいれる。予定をたてることや計画すること自体が未来を考えることではないか? 今回実施した未完成であるものをギャラリーで展示することもそのカタチの1つだとやってみてから思った。

7、代入値=7/24の場合、の解釈

完成していないもの(販売できないもの)をギャラリーで展示するのは、今日でしかありえない。

不在が存在することとの関連性は7/24でないと説得力がうまれないとのことだ。今日≠7/24 7/24=いつからみても特定の日 に対して、今日は毎日現れる時間の単位であり、今日の連続で我々は成り立っている。

連続性のものに我々がのかっている、7/24がたまたま来た。というのも、我々はそうした連続性にのっかることしかできない、選択する余地はない。時間はどんどんやってくる。

8、もし、今日や明日を選択ができるとしたら、、

かなりポジティブな世界がひろがっていると考える。なぜならば、一見ありえないことで現実とは接続しなくても、可能性をみせていくことである。いまという現実をみすぎて視野が狭くなっていることに対して、未来を想像することは罪でない。なにかにむかってチャレンジし続ける姿勢もこれと同様であって、とても重要かつ大切に考えている。

それでも、ネガティブな面はないのか?と考えるが、違うアプローチを考えることはマネージメントにつながる。不安要素もあるけど、最初は理解されないってこともあるし、これからおもしろいに変えていくことがマネージメントであり、面白さを深堀していく。信念とか目指す方向に向かう意味ではとても重要。ヒガシジと野元さんだけかもしれないけど。。


9、展覧会の これまで と これから 

これからのことを もう少し深堀すると、作家の仕事はどっちなんだろうか?という疑問があった。これからのことを想像できるようなものをつくるのか、これから自体をつくるのか。といったアーティスト側の相談をギャラリー視点で答えていただいた。

野元氏の回答は以下のエピソードをつかっての回答であった。

現代アートをよくみているお客さんの話で、とあるアートフェスをはじめてとしたアートフェスにいっていた人で、前回のアートフェスでアーティストのメッセージが多すぎて、押しつけがましく感じりすることがあって冷めてしまった。自由さがなく窮屈に感じた。

A か B を確定するのようなメッセージはない。人によってみるアプローチがみえるプロジェクトであり、KOBE819GALLERYがヒガシジと組む理由になっている。その場所で作品をとおしてそういった会話をすることができる。話がきけるのとが場所もってやることのメリットかもしれない。説明がないとわからないもの。モノだけで語られないと作品でない。というだけの考えでなく、そこだけで楽しむものでない。他に楽しみ方があっても気付けないのはもったいない。とのことだった。

モノだけで語られないと作品でない というのは、冒頭で語るアウラの考え方とは異なるという意見でもある。

生もの価値観については、ウォルターベンヤミンがいうアウラの考え方に似ており、A=AA≠Aで取り組んでいる、コピーやオリジナルと接続することができる。

ここまでが野元氏の回答だが、この回答をきいてもおそらくは、不安で安心できない人がほとんだろう。

以下の言い方に合わせると、安心したい人は、後者(これから自体の姿)を求めると予想できる。しかし、ヒガシジは、前者(これからのことを想像できるようなもの)をつくってきている。

これからのことを想像できるようなものをつくるのか、
これから自体をつくるのか。

鑑賞者の思いとコンセプトの乖離することが常に課題としてある中で、GALLERYのやり方が多様化するようにおもえる。その変化を考えないGALLERYは、その存在意義がなくなるのでは?と野元氏は言う。

上記をうけて思ったのは、制作はコロナはほとんど影響しないのではないかもしれない。アーティストが困っているのは、発表だと考えている。そういう意味でも、アート作品を伝える役割でもあるアートディーラーの仕事はすごく重要になってくる。

8、では、なにを提示しているのか?

この展覧会があきらかになるきっかけは、4/26の打ち合わせにあったと思う。空白をテーマにする提案は、A=AA≠Aにてなんらかの応答となったとおもう。完成したものでなく、完成していない状態(なにかわからない・失敗している状態)にて、いまにコンタクトをして未来を考えることができるようになったように思える。






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