見出し画像

SL、故郷から去る。

米原→木ノ本を結ぶSL北びわ湖号。1995年に滋賀県湖北地方の観光振興の一環としてその小柄な体格から「ポニー」との異名を持つC56形160号機と夜行急行「ちくま(大阪〜長野 既に廃止)」などで活躍した12系を使用して、不定期に日曜日に運行を行っていた。その後、C56が退いて、今度は「ニッポンのSLの代名詞的存在」D51形200号機が満を持して登板した。また、「SLやまぐち号」の牽引を担当し、「貴婦人」という異名を持つC57形1号機を使用しての代打もあった。
運行日になると家族連れを中心に賑わい、連日予約でいっぱいだった。また、姉川や高時川を渡る直前の上り坂でSLが黒煙を猛烈に吐く姿は撮り鉄を魅了し、多くのカメラマンが土手に沿って三脚を並べていた。
長浜市出身の僕にとっても思い出は多くて、物心ついた頃から家で日曜に汽笛を聴くと父が「SL走っとるなぁ」と言い、嬉しくて、実家2階の窓から黒煙を見て、力強く逞しい走行音を聴いたもんだ。また、動画撮影にハマって以降は近所の田んぼ道で撮ったりしていたほど。そして、C56ラストランは人生初の自分の目で見るラストランで「密」を避けたのが功を奏して、混乱なく良い気分で見送れた。

そんな思い出の詰まったこの列車は感染拡大で長らく運行を休止していて、今日、正式に運行を終了することを発表し、事実上の廃止となった。
その理由を抜粋しまとめると

・黒煙が換気の妨げとなる。
・部品の入手困難。
・保守の難しさ。

これらが主たる理由だそう。ただ、写真を見るとけっこう窓を開けている人は多いのだが、これでも不十分なのだろうか?と思うところはある。1人ではなかなか分かんないが、あとの理由は少し納得できる面もある。

↑12系客車
客車である12系は1970年代に製造された古い客車で現存している12系はJR西日本ではこの5両と予備1両、「奥出雲おろち号※」の2両の計8両のみ。

※出雲市、木次きすき(島根県雲南市)と備後落合びんごおちあい(広島県庄原市)を結ぶ木次線の観光列車。1両が窓無しの展望車で木次線の雄大な自然や名物のスイッチバックを堪能できる。

最近だと、大和路線の201系(上の写真)がこれより古い電車を差し置いて引退を決めている。こちらはこの電車でしか採用していないモーターが保守の手間になっていて、部品も製造されてなくて入手困難という背景があった。これに似たような理由で12系もそうなってしまったと見ている。

それでも、こんな人気列車だったのを唐突に終わらせるのは僕自身納得がいかないし、地元民としては悲しい限りだ。撮り鉄が集合しても大きなトラブルは聞いたことないし、長浜市も公用車で巡回するなど徹底していた面もある。加えて、「窓を普段から開けてたならそれでいいんじゃない。」とも思う。

ただ、さっきの保守の大変さを考えるとしゃあない。それにコロナ禍でJR西日本の経営は火の車で、先日、同社長谷川一明社長は定例会見にて、2021年10月にダイヤ変更して減便するという大ナタ振るいを発表したばかり。

SLの走行区間のうち、米原〜長浜間も減便される見込みだ。
そして、長距離や観光が避けられるように呼びかけられている中で人を寄せ集めるものは避けた方が良いとなるわけだし、今回、JRが泣く泣く諦めたわけだ。

新型コロナが奪っていった、あるいはそれで消えていったお気に入りのもの、こと、場所は数多あるが、自分の愛する街のものが消えてしまうのは涙が止まらないほど悲しくて、やり切れない。しかも、減便とこの運行終了で長浜市や湖北全体に対するダメージは計り知れない。ただでさえ、コロナで観光が大ダメージなのに。
こんな状況脱したいのはみんな一緒。ただ、どう対策しても長いトンネルを脱せない。なかなか言葉でどう表そうか迷うが、今は、手洗い、マスク、消毒という基礎の基礎を徹底するだけだ。

そんな今日起こった悲しいお知らせについて理由を分析するなどして、ぶっちゃけました。正直D51の北びわ湖号撮れてないのが悔しい!!!一度でいいから撮ってみたかったですが、こんなことになるとは…
今日はそんな悲しさに浸っておきます😢

補足…営業運転は終了ですが、今後も北陸線での検査後の試運転は継続だそうです。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。