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応援される退職をし、今の仕事に誇りを持てているのはWHYにこだわったから

茨城県。
全国魅力度ランキング最下位。

学生時代から就活に至るまで、23年ほどの人生を承認欲求に駆られて決めていた昔の自分なら、転職先の候補に茨城が上がることはなかったかもしれません。

ほんとは茨城が大好きで、鹿島アントラーズ(とミスチル)に育てられたと言っても過言ではないのに。FacebookやInstagram投稿の8割はサッカーかミスチルかお酒(笑)

2021年10月末。5年間お世話になったビズリーチをやめ、11月より株式会社KXという茨城県鹿嶋市のまちづくりをしていく会社に正社員第一号として入社しました。それに合わせて住まいも東京から茨城へ。生まれの地へ里帰りです。

正直不安もありつつで、引っ越してから体調を崩すこともありました。

それでも、この選択に満足しており、毎朝ワクワクしながら起きられる日々を送っています。

ビズリーチを退職の際に「行って来い」「もしダメだったら帰って来いよ」と温かく送り出していただいたことも僕の大事な支えとなっています。

本日は、改めてご報告するとともに、新年の決意表明も兼ね、転職を決めた理由・背景・今後の展望についてまとめました。

よかったらお付き合いください。

目的が「ちやほやされること」だった学生時代

新卒で入社した会社は、そこに合格することがカッコいいと思って選びました。

学生時代は、クールに見せつつも「勝ち組」とか「意識高い」とか「他とは違う」という言葉に密かに高揚するようなタイプで、名の知れた企業を受けて「内定取った!」と伝えて友人に「すごいね」と言われ、親族から「よくやった」と感心される様子を想像しほくそ笑んだものです。

中学くらいの頃から、〇〇長みたいなのは全部経験してきました。何かしたいからではなく、ただ褒められたいから。目立てるから。

だからいつも、なったらおしまいで、あとはリーダー失格と思われないためだけに面倒だなと思いながら仕事をこなすだけでした。

そんなやり方をしているうちに、自分が今していることをなぜしているのか考えなくなっていったような気がします。

学生時代ならこれでよかったのかもしれません。が、仕事選びでこれをやると痛い目を見る。1社目で身をもって理解しました。

「なんでお前がその仕事してんの?」の衝撃

2社目のビズリーチへは、徹底して自己分析をし、僕が経験したようなミスマッチが起きない就活をとの想いを持って入社しました。

とはいえ、長年染みついた考え方は抜け切っていなかったようで…。
「人の仕事を取ってでもたくさん仕事をこなす奴が偉い」と信じて、全体をつかまないままひたすら作業をこなし、それで仕事をやった気になっていました。

だから、隣の席に座っていた上司(ビズリーチの社員の皆さんならもうお馴染み、二口さんです笑)からの「なんでお前がその仕事をしてるの?」発言は衝撃でした。正直、そう言われた理由が全くわからず、混乱。「え?仕事だからですけど?」とかなんとか返答した覚えがあります。その後プロダクトマネージャーになり、少しずつその言葉の意味を理解していくことになりました。

そもそも何のためにその仕事があるのか?
それを踏まえ、ほんとに自分がやるのが最適か?
自分は何がしたいんだっけ?
これほんとにやりたい?
今取り組んでいるのは、ほんとうに本質的な課題か?

こういったことを意識して自分や周囲に問いかけながら、仕事ができるようになったのです。自分がやるべきことと仲間を頼るべきことを切り分けられるようにもなりました。僕の中では最大のブレイクスルーポイントです。

 このような、内省を促されるビズリーチという環境で5年間働く中で、次第に強まっていく想いがありました。

それは、「いつかは茨城のために働きたい」「茨城の人たちが茨城で働く選択肢を増やす手助けがしたい」というものです。

「茨城のために」の根っこにあるアントラーズ愛

2021年11月。株式会社KXに社員第一号として入社。鹿島アントラーズとも力を合わせ、茨城県鹿嶋市のまちづくりに貢献していくことが僕の仕事になりました。

鹿島アントラーズの本拠地、4万人収容のスタジアムを有する茨城県鹿嶋市は人口わずか6万8000人の街。企業城下町ということでそれなりに裕福なためか、地域のRR活動は消極的。

これは、茨城県全体に言えることで、おかげで全国魅力度は最下位。

週刊サンデーを名探偵コナンが引っ張っているように、アントラーズが茨城の観光を引っ張っているようにも見えます。

そう見えるのは、僕が根っからのアントラーズファンだからでしょう。小さい頃から、茨城で生まれ育った両親とスタジアムに通い、青春時代はアントラーズを支えに日々をやり抜き、社会人になってもずーっと応援し続けてきました。

ちなみに憧れの選手は、中田浩二さん。彼は2015年の現役引退後にビジネスの世界に転身、そちらでもバリバリ活躍しており、環境を大きく変え、自らが感じた課題解決のために挑戦する姿が最高にかっこいい!!

閑話休題。
僕が大好きなアントラーズに、アントラーズを支えてくれた出生の地茨城県に恩返しがしたい、そう思うようになったのも必然というもの、と言いたかったのです。

 転職の際、ビズリーチの仲間を含め、両親や友人などに伝えたところ、誰もが口をそろえて「好きなことだもんね。それはもう仕方ない」「応援するよ」という反応を示してくれました。(どんだけアントラーズのことを普段から熱弁してたんだろう…)

 なるほど、自分が心から好きで、四六時中考えることをやめられず、話題に上がれば語りたくなるのを止められず、SNSでも発信し続けてしまうようなことを仕事にすると、納得し応援してもらえるのだなと気付かされました。

やり続けられる理由を語れるか

仕事を選ぶ上で、「なぜそこに行きたいか」はとても重要です。

ですが同時に、「なぜそこでなら働き続けられるか」が明確でなければ、直面する壁にあっさりと打ちのめされてしまうかもしれません。

承認欲求を得られることや稼げることも、モチベーションにはなるでしょう。それ自体はちっとも悪いことではない。

しかし、それだけだと努力し続けるのは大変です。努力が我慢になり、面倒になり、片付けないといけないことになってしまう。

7年前の僕には笑われそうですが、今は相手を納得させられるような「なぜ」を語れないなら、それはほんとにやりたいことではないと考えています。

 なぜ自分がやるのか?なぜその仕事なのか?

なぜ〇〇にとってその事業が必要なのか?

 これらを語れないと、人はなかなか納得してくれませんし、主体的にがんばり続けることができません。

 二人が同じゴールを目指していても、片方にとってのそれが四六時中考えることをやめられず、話題に上がれば語りたくなるのを止められないようなものなら敵わないと思いませんか。

終わりなき旅

最後に。どんな思いで今の仕事をしているかを。

 僕は「新しいからやろう」「面白いからやろう」も大事にしつつ、それよりは地域のための地域なのだから、そこで困っている人のためのプロジェクトをやりたいし、事業をやりたい。渋滞や病院施設へのアクセスの課題など、不便を解消したいと考えています。

その向こう側に、鹿嶋に誇りを持てる、若者たちが「この地域で働いても面白いことができそうかも」と思ってもらえるような場所にしたい。

いやあ、とはいえ前職のアプリ開発と比べると、地方創生は想定する時間幅がすごく長い。

忍耐力を試される仕事だなあと感じてもいます。



終わりなき旅かもしれませんが、その都度価値あることを正しくやり続け、理想に対し逆算で突破、仕組み化したものを世の中に展開し、最高の仲間を巻き込み巻き込まれながら歴史を創る。

そんな意気込みで参ります。

さいごに

実はこのnote、自分の力だけで完成したものではありません。
サバゲーを通してお友達になったまるさん(https://twitter.com/marlx0)のFacebookでの投稿をきっかけに、ある青年が取り組まれているクラウドファンディングにご支援させていただきました。
ある青年というのが、久高さん(https://twitter.com/OkiToyaWriter)。沖縄県出身で現在は富山にて、パーソナルライティングの事業を起こされている方です。

彼は、内省とアウトプットがその本人のエネルギーになり得ると語り、ビジネスパーソンと対話をし、その本人の想いや考えを言語化することに意味があると事業をされています。

僕はまさにその想いに共感をしました。ビズリーチにてプロダクトマネージャーの機会を頂いたのはキャリアの中で大きな転換点だったのですが、ビズリーチ社の研修の中で「コーチング」という場を知ることになり、「コーチング」によって内省と言語化が促され、自分のアクションがブラッシュアップされたことを肌で感じていたからです。

クラウドファンディングでご支援をさせていただいたことをきっかけに、「なぜビズリーチをやめたのか」「なぜKXにジョインし、まちづくりに挑戦をしようと思ったのか」を鮮明にアウトプットすることができました。

このnoteは自分で読んでも涙が出てしまうものになりました。笑
素敵なアウトプットをしていただいた久高さん、ご紹介いただいた丸山さん、本当にありがとうございました!!

皆様に感謝

来年5月の30歳という節目の手前のタイミングで、新たなチャレンジの機会をいただきました。
5年間育てていただいた、たくほさん、二口さん、こまさんをはじめとするビズリーチのみなさま。
しんどい時に支えてくれた、じゅん、おかざき、大切な仲間たち。
そして、鹿島アントラーズという生きがいを作ってくれた両親に感謝の気持ちを込めて。

30代で社会に残るような結果を残すことで恩返しをしていきたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。


こんな僕を成長させてくれたVisional社に興味がある方はぜひ以下をご覧ください!!


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