見出し画像

Oded Tzur - Here Be Dragons

近年、イスラエル出身のミュージシャンが目覚ましい活躍を遂げるている。ベーシストのアヴィシャイ・コーエンの活躍を筆頭に、彼のメンバーであったピアニストのシャイ・マエストロや、ECMから3枚の作品を発表したトランペットのアヴィシャイ・コーエン、ブラジルの伝統音楽であるショーロと接近するクラリネットのアナット・コーエン、そのあとに続く数多くの若手ミュージシャンがジャズ界で活躍しているのは、もはや周知の事実だろう。しかし、中近東と隣接していることや、イスラエル建国のルーツが複雑なだけに、ジューディッシュはもちろん、アラブやモロッコなど多国籍な音楽な音楽なあふれていたり、最近ではLAのビートシーンと接近するレーベルがあったりと、一口にイスラエルといえど活動や音楽の幅は想像以上に幅広い。

サックス奏者であるオデット・ツールは、インド音楽に傾倒しインドの伝統音楽を学ぶ課程でバンスリ(インド版フルート)奏者の第一人者であるハリプラサド・チョウラシアに師事し、ラーガをはじめインドの古典音楽理論を学んだ人物で、多様なバックグラウンドを持つイスラエル出身のミュージシャンの中でも特異な存在だ。先述のシャイ・マエストロらとともに、ドイツのレーベルenjaから「Like a Great River」でデビュー。「Translator’s Note」2枚のリーダー作をリリース。「侘び寂び」に似た哀愁を感じる独特のスピリチュアリティと、まるで人生を物語るかのようにドラマチックかつ繊細に演奏を展開し、従来のイスラエルジャズに見られるエキゾチックさとも違った唯一無二の作品で「21世紀のジョン・コルトレーン・カルテット」と評価されるほどだった。

しかし、それでも彼の存在はミステリアスな部分が多い。というのも、多くのジャズミュージシャンがサイドマンとして他の作品に参加から徐々に知名度を上げていくのに対して、ツールは先述の2枚のほかに目立った参加作がないからだ。彼の音楽が表すように、まるで求道者のごとく自身の音楽性を突き詰めていることも彼を特異な存在にしている一つの要因と言えるだろう。ツールと仲が良く、前述の二作品でピアノを務めたシャイ・マエストロは彼についてこう語る。

インド音楽を探求する過程で、1年間ずっとひとつのラーガを練習し続けて、瞑想をして、そんな生活を送っていたようなやつなんだ。その翌年にはまた別のラーガを1年かけて練習する。クレイジーだよね(笑)。ラーガっていうのは人生のいろんな部分を象徴したような音楽だから、ひとつの音から別の音へ行くのにヒエラルキーがあって、それを学ばなければならないディープな音楽なんだよね。
https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/shai-maestro/1000001148

そんなツールの作品を送り出すECMというレーベルも特異なレーベルだ。時代ごとのコンテンポラリー音楽を発信しるかたわら、”ある地域の音楽”として世界中に存在するフォークミュージックを取り上げ続けてきたドイツの老舗レーベル。ECMはこれまでに、ヴァイオリン奏者であるシャンカールとヤン・ガルバレクを共演させた「Vision」や「Song For Everyone」、ザキール・フセイン(日本ではユザーンが師事したことでも有名なタブラ奏者)による「Making Music」にはジョン・マクラフリンが参加しているし、チャールズ・ロイドとザキール・フセインそしてエリック・ハーランドの共演盤である「Sangam」、インドの伝統的な奏法に法った「Who's To Know - Indian Classical Music」などを残していて、”ある地域の音楽”としてインド音楽を紹介すると同時に、時代ごとのジャズとクロスオーバーさせてきた世界中見渡しても珍しいレーベルで、特異な経歴を持つツールがデビューするための地盤がすでに整っていたと言っても過言ではない。

つまりオデット・ツールがこれまで探求してきた音楽と、ECMが発信してきたことを照らしあわせて見ると、彼の作品をリリースすることは時間の問題だった。そんな中に届けられたのが本作「Here Be Dragons」だ。

まずこれまでの作品との大きな違いはメンバーだ。サイドにはニタイ・ハーシュコヴィッツ、ペトロス・クランパニス、ジョナサン・ブレイクと現行ジャズを追いかけているリスナーにとっては非常に魅力的なメンバーが集まってる。ペトロス・クランパニスはギリシャ出身のベーシスト、豊かな色彩感覚を持つ作曲家でもありマリア・シュナイダーなどに通ずるアンサンブル作品「Chroma」などを発表していて、1、2作目でもベースを勤めているツール長年のパートナーだ。ジョナサン・ブレイクはトム・ハレルのレギュラーメンバーとして活躍する、コンテポラリーなビートの推進力が魅力人物。中でも特筆すべきなのは、大きくフィーチャーされているピアニストのニタイ・ハーシュコヴィッツの存在だろう。

本作がECM初録音となるニタイ・ハーシュコヴィッツは、ツールと同じくイスラエル出身。シャイ・マエストロの後釜としてアヴィシャイ・コーエンにフックアップされた。『Duende』や『From Darkness』『Almah』で注目を集め、あっという間にトッププレイヤーの仲間入りを果たした。ハーシュコヴィッツも特異な立ち位置にいる人物で、ジャズピアニストでありながら、イスラエルのレーベルRaw Tapesの作品に数多く参加。同レーベルオーナーであるリジョイサーをプロデューサーに迎え、LAなどのビートミュージックやヒップホップ・シーンと接近した「I Asked You a Question」でデビュー。その後自身の名義で二作品を送り出すが、同じくリジョイサーをプロデューサーに迎え音響的にもプロダクション的にも変わったソロピアノ作品である「New Place Always」での聴ける彼のピアニストとしての魅力が今作にも最大限生きている。「New Place Always」をリリース後のインタビューでピアノに対する姿勢として以下のように語っていた。

僕はピアノの音の中にできるだけ多くの色彩を見つけ出して、それを引き出すように演奏したいといつも心がけているんだ。(中略)僕はピアノの鍵盤を強く押さないし、強い音を出そうとは思わない。でも、僕は叫んではいないような音でありながら、それでいて力強さがある音を出すことができる。ピアノは鍵盤を叩かなくても力強さを表現できる楽器なんだよね。
https://note.com/elis_ragina/n/nbea15261d0e6

この「Here Be Dragons」は前作までの意匠を継ぎつつも、新たな境地へと到達した彼らの英知の結晶的作品と言えるだろう。最小限に作曲されたメロディやコードを、木管楽器ならではの膨よかなトーンで彼の描く心象風景をポラロイドし、メンバーとグラデーションを描きながら柔らかに射影しているかのようだ。前作まではいわゆるジャズ的な形態をとっている場面が多く、即興の頂点で効果的に使っていたグロウル(カマシ・ワシントンがやるような叫び声のような音色をだす奏法)も今作では息を潜め作品や曲の監修者として、サックスや彼自身すら楽曲を構成する一部として扱っているような印象を受ける。

ニタイは曲本来の美しさを損なわないようメロディを丁寧に紡ぎ、繊細で微弱な音をエレクトロニクスようにきらびやかに散りばめたりと、クラシックの教養やビートミュージックを経由したソロピアノ作で培ったキャリアが十分に発揮されている。特に”20 Years”での彼は、これまでに参加してきた作品群の中でも屈指の演奏と言っても過言ではないだろう。長年のパートナーであるクランパニスは即興に入ってもバンド全体を包み込むようなベースでさすがの楽曲の理解度。意外な起用だったジェイムス・ブレイクは、ブライアン・ブレイドや、日本国内では福盛進也や石若駿のような”歌うドラマー”として彼の新たな魅力を引き出してるようにも思える。

尺八奏者の山本邦山が日本の伝統音楽をジャズへと昇華した「銀界」を聴いたマンフレート・アイヒャー(ECMのオーナー)は作曲者である菊地雅章にコンタクトをとったとも言うが、”非西洋化”を視野に入れるECMとって、十二音階には存在しない音程を操るラーガに精通しジャズへと昇華するツールの存在は長年探してきた存在と言えるかも知れない。少し余談だがツール自身が茶道を学んでいると言うし、彼とECMと日本との関係性も我々にとってこの作品を魅力的にする。

本作はそんな彼らのミステリアスで多様なルーツや魅力と、ECMという特異なレーベルの理念とが相まって、まるで国籍不定のフォークミュージックのように響き渡る。それは唯一のカヴァー曲であるエルヴィス・プレスリーの”Can't Help Falling In Love”ですら例外ではない。

また、本作とは直接関係はないものの、ジャズとインド系ミュージシャンの関係はずっと密接なもので、シンガー/ハーモニウム奏者のアミルサ・キダンビ率いる”Holy Science”はインドと前衛音楽を掛け合わせた得体のしれないフォークをやっているし、ギタリストでサンラックスのメンバーであるライク・バーティアによる「Breaking English」はカテゴライズすること自体が難しい未知の音楽を作り出した。そして彼らが所属するインド系ミュージシャンのコミュニティであるブルックリン・ラガ・マッシヴはコルトレーン曲集「COLTRANE RAGA TRIBUTE」をリリースしていて、そこにはLAシーンなどで活躍するハープ奏者のブランディ・ヤンガーが参加していたりもする。さらに時代を遡ればアリス・コルトレーンの存在や、イギリスに目を向ければサックス奏者ジョー・ハリオットの「Indo-Jazz Suite」やギタリストのアマンシオ・ダシルバの存在もあったりと、ジャズとインド音楽の関係を容易に見いだすことが出来るのも面白い。

オデット・ツールと彼らはごく自然体のままバックグランドやキャリアを織り上げ、国境を意図的に越えようとも、ブレイクスルーしなくても、昨今の国境やジャンルの壁が無くなりつつ音楽を体現してみせた。しかもその成果である作品はレイヤーが重なり色濃くなるどころか透き通るように美しい透明度になっている。”静寂の次に美しい音”というパラドックスをごく自然かつ最良の形で体現した作品が、また新たにこの世に生み出されたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?