見出し画像

人を裁く難しさ

元中央官庁トップの痛ましい殺人事件に一審判決が下った。なんともやり場のない悲しみ、重い気持ちに包まれる事件だ。

被告人は、官僚として最高の地位に上り詰めるまで、さぞや寝食を忘れ、国のため、という使命感で頑張ってこられたのだと想像している。

だが、他方で、家庭内には大変な問題を抱えていた。仕事と家庭を峻別して努力されていたのだろう。

人間、仕事は仕事、家庭は家庭と簡単に分けられるものではないと思う。相当に意志が強い人物でも、これは容易いことではない。

ちょっと子供が熱を出した、というだけでも気になるのが親である。まして、娘が自死、妻がメンタルをやられ、息子が激しいDVを繰り返す、というような日常は、苦しいなんてレベルを超えた、拷問に次ぐ拷問、地獄の生活に他ならない。

私の知人に、メンタルに問題を抱えた家族を持った人たちが複数いる。彼らが周囲に抱く印象は、「誰も力にならない」、である。

「私が評判高い大学病院のメンタルヘルスの教授を知っているから」と申し出ると、「いや、お医者さんから占い師まで、何人もの専門家に相談した。お金も随分使った。で、結論は二つしか出ない。それは、施設に入院させろ、さもなきゃじっと何年か耐えればよくなるかもしれない、ってもの」

相談しても頼りにならない、というのが彼らの結論。「正直言うとね、服用すれば、息子(娘)がだんだん静かに、弱くなり、そーっと亡くなってくれるような薬を処方してくれるお医者さんはいないだろうか。いれば地球上のどこへも行くよ」と涙をぼろぼろ流しながら語る姿には、かける声もない。

人を殺めることは絶対悪である。絶対に許されることではない。今回の件で、犠牲になった息子さんの人生もあったはずだし。

だが、異常な環境に、それも長期間、執拗に閉じ込められた人に対して、普通の環境にいる者が判断を下すことは難しいのではないか。

最近、日本でもメンタル問題にたいしてかなり開明的になってきた。だが、本件のような悲劇に対してはまだまだ無力感に苛まれる。

家族と社会と行政が、可能な範囲で情報を共有しながら三位一体で取り組めるシステムを作り上げないと。

世の中に「他人事」ってありませんよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?