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日ざしの中を飛ぶ小鳥

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長女と過ごすあいだに思うこと
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長女、一歳三ヶ月の冬

断乳が大変とか二歳になってもまだおっぱいがやめられないとか、母乳のおわりについては苦労話ばかりよく見聞きするので、きっと大変なんだろう…と勝手に思っていた。
が、その予想は大外れだった。うちの娘は、美しい歌のおしまいの、自然なフェードアウトのごとく、すうっと静かに離れていった。母乳を飲むという行為から。
生まれてからずっと、欲しいと言われるだけいつでもどれだけでも与え続けたから、もう十二分に満足し

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長女、一歳二ヶ月のもちもち

親であるわたしと夫が、今になってようやく、七ヶ月前後の娘がいかにふっくらと、はちきれんばかりの身体つきだったか、しみじみわかるようになった。当時は出会う人や病院で、ほとんどの人は娘を見て『どうしたの?』『どうしたらこんなにぷくぷくになるの?』と笑いながら言われたものだ。まだほとんど母乳だけで栄養をとっていたし、月齢的にも歩いたりはできないので、飲んだ母乳がそのまま肉体を成長させていた頃だ。だからこ

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長女、一歳を迎えて

今日で彼女は一歳と一ヶ月になった。一歳までは毎月の誕生日ごとに、何ヶ月になったなったと小さく騒いでいたが、一歳を過ぎると、一歳は一歳であって、何ヶ月ということはざっくりとしか気に留めなくなってしまった。

意思の白黒がはっきりして、いやなものはいやだし、行きたい方向はそちらであってあちらでは決してないとか、それではなくてこれが食べたいとか、ボールを穴に落とし入れるおもちゃの遊び方がわかったり、脳と

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長女、0歳のおわりを迎えて

ひとが赤ちゃんと呼ばれて相応しいのはいつまでなのだろう? と思っていたが、昨日、母子手帳の予防接種一覧を見ていたら、0歳代は乳児、そのあとは幼児と表記されていた。それを見てなんとなく、一歳を過ぎたら赤ちゃんではなさそうだなあ、と感じた。
でもまだ歩けず、ほちゃほちゃの太ももをした娘を見ていると、子ども、と呼ぶのはまだなんとなく早い気がすし、“ども”の部分に漂う、大人が彼らをうっすらと見下してい

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長女、十ヶ月をおえて

気づいたら、娘の、手指はとても大きくなっている。親指の太さはわたしの小指と同じほどにもなった(ただし爪は三分の一くらいしかない)。
産まれてすぐの病院の部屋で、手や足、またその指の、さらにはその爪の、あまりの小ささに、夫と「存在の意味がわからないくらい小さいね…」と言い合ったものだった。小指の爪なんて、大げさでなく蟻と同寸だったから。まるで人のものとは思えないサイズ感だったのだ。
そう、本当に、ひ

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長女、九ヶ月をすぎて

五月に入ってからの彼女は、成長めざましく、数日前には考えられなかったことをするりとやってのけたりして、わたしと夫を驚愕させる。
たとえば、横になった状態から、自力で起き上がる。台に手をついて膝立ちになる、その数日後には足の裏を地につけて立つ。手を挙げた人を見ると真似して手をあげる。突然的に発達した握力の強さ。開脚姿勢のままものすごい速さで後ろへ進むこと。食べ物を手でつかんで食べること。そして所謂は

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一脚の椅子

 工藤直子さんの本が好きな小学生だった。小学校の図書室にあった『ともだちは海のにおい』という本をたまたま手にとり(海獣好きだったので表紙のいるかとくじらに惹かれた)、すっかりのめりこんだ。何度も借りるほどだったので、しまいに親に同じ本を買ってもらい、教室の引き出しにしばらく大切に常備していた。そのやさしい、文章にぴったりの絵は、幼い頃から親しんでいた長新太さんだったことには後で気がついた。長新太作

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まえがき

 少し前に遊びに来てくれた大切な友人が、半分冗談で、「最近あなたの文章に飢えてるよ」と笑いながら言ってくれたのが忘れられない。わたしの文章を読むことを、好んでくれる人がいるというのは、うれしい。

 どんなことでも、自分の行いで、喜んでくれる人がいるというのは、価値のあることだと思うし、それこそきっと続ける意味のあることだ。誰にも見られることを前提としない、私小説的な美も世界にはたくさんあるけれど

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長女、八ヶ月をすぎて

五ヶ月の記録が途中のままほったらかしになってしまった。気を取り直して、また書く。

長女は八ヶ月後半になった。開脚して座れるし、その姿勢から自分の力で腹這いになることができるし、そこからへその辺りを軸にしてくるくると自由自在に方向転換することもできる。ここ数日で、なんだかんだともがきながら、わずかに前進することも覚えた。自分の行きたいところへ移動する、という力を身につけるのもあと少しのようだ。

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長女、五ヶ月をすぎて

おととい長女は無事に生後半年を迎えた。折り返せば一歳になると思うと、早い、早いと驚いてしまう。
自分が結婚する際、両家顔合わせでそれぞれの両親と食事をしたのだが、そのとき、双方の母親が
「なんだか…生まれてから、ここまで、あっというまでしたね」
「ほんとうに、あっというまですね、こないだ子どもだったのに…」
と言い合っていた。
二十代半ばだったわたしはそれを聞いていて、あっというまったって、そんな

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長女、四ヶ月のいま

子どもは想像をはるかにこえる速さで変わっていく。つまり成長していくということなのだが、その変化の目まぐるしさといったら、「まあ、後から思い出せるだろう」とたかをくくっていた私を完全においてけぼりにするものだった。だから書いておこう。書いておこう、あとで読んだら懐かしくて、あるいはいとしくて、またはなんでも、感じられるように。

そうこう言っているうちに、長女は明日で生後五ヶ月になる。今はぎりぎり四

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