山田桃栗

1989.4.27生まれ滋賀でこちょこちょと、絵を描いたり縫い物をしたりお菓子を焼いた…

山田桃栗

1989.4.27生まれ滋賀でこちょこちょと、絵を描いたり縫い物をしたりお菓子を焼いたり物語を作ったり庭をいじったり。

マガジン

  • バターとナイフ

    日々の他愛ない甘い暮らしのことを

  • 日ざしの中を飛ぶ小鳥

    長女と過ごすあいだに思うこと

最近の記事

前向きな遺言のように

わたしは、3日後に予定帝王切開での出産を控えている。お腹の中では、ふたりの新しい小さな命がもぞもぞと窮屈そうにうごめいて、わたしの肋骨や膀胱を遠慮なく圧迫する。 ふたり? そう、双子なのだ。 今わたしがこれを書いているのは、病院のベッドの上。 本来一人用である子宮という席に、二人が居座るわけだから、身体としては想定外の負担なのだろう。妊娠32週で切迫早産のため管理入院となった。多胎妊娠である以上、管理入院はほぼ免れないとは聞いていたので、驚きはしない。 そして今回の妊娠

    • 青い川辺

      よりよく生きたい。 この頃はテレビを観る時間がぐんと減った。 遠い場所で起こった交通事故のニュースでも、ぐっ、と胸が詰まる。こどもや、若いひとのことや、どうして、としか言えなくなるような事件や事故ならなおさらだ。 テレビ画面から毎日やすやすとジャブをくらって、くたくたになるわけにはいかない、と、無意識に、防衛反応として、この手はリモコンに触らなくなったのかもしれない。 知らないのは罪だと、思春期の半ばのわたしは思っていた。だから友達に、夢はある?と聞かれたら、百科事典のよう

      • 特製のなにかをきみに

        20180516 遊び疲れて眠るこどもを後ろに乗せて、家に向かって車を運転していると、空き地や田畑にかこまれてズドンと建つ大きなカフェレストラン、その駐車場に建つこれまた大きな看板が見えてきた。ここは昔はとてもおいしくて安い和食のお店で、大学生のときはよく友達とランチに来たものだ。そこがつぶれて、安っぽくてそのとおりに安いチェーンのカフェになってしまい、それからは行っていない。 看板には880円のランチについて書いてあり、【特製スープ付き】の文字が通りぎわに目に付いた。88

        • なんでもない日万歳記念樹

          20180324 土曜日なのに彼が(夫のことを、夫、主人、ダンナ、旦那さん、彼、と書き物においてどう表すかいつまでも定まらない。でも彼と言うと単なるHeでもありDarlingでもあり、ぼんやりしていていいなあと今日は思っている)出勤してしまったので、9時から両親にきてもらう。 ヨウ(彼女についても書き物中の呼び方がしっくりこないのだが、とりあえずプライバシー云々を考えてカタカナの名前にしておく)は喜んで大笑いして遊んでもらっていた。その間を利用してようやくお雛様をしまう。今

        前向きな遺言のように

        マガジン

        • バターとナイフ
          12本
        • 日ざしの中を飛ぶ小鳥
          11本

        記事

          自前の保険

          20180316 おまけって、あると嬉しいものだけど、どうしておまけというのだろう? まけ、を丁寧に言ったみたいで、ふしぎなことばだ。そういえば店の人が値引きしてくれることを、まけとくよ、なんて言ったりもする。 まけは負けのことだろうか? 負けるのも悪くない。 子供の頃から勝ち負けのあるものがあまり好きではない。何人かでやるゲームは楽しいけれど、オセロとか一対一だとどうしても勝ちと負けのはっきりした結果が待っていて、その打ちのめされる感じにどこまでも悲しくなる。大人にな

          自前の保険

          麦畑予告編

          20180222 何かについていたハートマークを、「こえにゃんにゃ?(これなんなん?)」とヨウに訊かれて、ハート、と答えたら、「ないなあ?」と首をかしげて窓を指す。わたしが、鳩、と答えたと思ったのだ。鳩じゃなくて、ハート。ないなあ。えーと、は、と、じゃなくて、こっちは、は、あ、と…。ないなあ。今は来てへんで、また来てたら見ようね。うん。 家の南側に川を挟んで畑があり、春からは麦、その収穫が終わると大豆が植わる。今は何もないそこを、今日は耕運機が支度をはじめていた。耕運機が

          麦畑予告編

          呪いの花束

          20180221 久しぶりに、ああ、消えてしまいたい、と思った。もう少し若い頃に考えるそれは、死んでしまいたい、とほぼ同義だったけれど、今回のは、死にたいとはこれっぽちも思っていなくて、正確に、ただただ、消えてしまいたい。 けれど、わたしはもう娘抜きにしてはものごとを考えられないような頭になっているらしかった。わたしが消えてしまったら、ヨウはどうする? ヨウとこれからもっと過ごしたい、育つ姿を間近で見ていたい。どんなに消えたいと彼女と無関係のところで思ってみたところで、結局

          呪いの花束

          青いからだの獅子舞

          20180220 ジョウビタキとモズのそれぞれ雄が毎日のように庭に来る。実家にいたときはどちらも珍しく感じて、見つけると鼻息荒く双眼鏡をもって走ったものだが、今の家に住んでからヒヨドリと同じくらいの感覚になった。ああ、また来てるな、と思うくらいだ。興味がないのではない。鳥が好きだから、ヒヨドリであろうとハトであろうとスズメであろうと、いつまででも見ている。今日もモズの尾が上下にひょこひょこするのを、ヨウと窓から見ていた。見て見て、モズよ、かわいいなあ、なあ? とわたしが言っ

          青いからだの獅子舞

          ホームでの待ち合わせも

          20180217 美容院へ行く。すぐにのびて視界が悪くなるのがいやだから、前髪を短めにしてくださいといつも伝えるのだけど、今回はちょっくら短すぎた。前髪が短いと、顔面のインパクトが強まる気がする。まあ、すぐにのびる。 病院やスーパーに行くのには車がないとちょっと、という地域に住んでいる。だから車をもっているわけなのだが、それはわたしが高三のとき、大学への通学に必須のため親が買ってくれた軽自動車で、それ一台きりなので、平日に夫が使えば足がなくなる。だから食料品は週末に一週間

          ホームでの待ち合わせも

          芯から甘やかな者になる

          20180216 金曜日だから、えいっと気合いを入れて児童館に行く。ヨウは雪かきスコップが触りたいと玄関で泣き出すが、今からベビーカーにのってこどもセンターに遊びに行くんだよと話すと、ぴたりと泣き止んでうなずく。ことばが通じる、とはなんとすごいことか。ひとが、生まれて一年半でこれほどことばを解するものとは知らなかった。 児童館のベテランらしき先生に、いま悩んでいることを話す。ヨウのことではない。答えがないとわかっていたけれど、もしかしてと思ったりしたから、話してしまった。

          芯から甘やかな者になる

          まつげの橋にかかるまつげ

          久しぶりのぽかぽかとした冬の日差しがうれしくて、掃除機や夕ご飯の支度(豚汁)をしてから、ようしと外へ出る。いつもより一段階薄いコートを自分も娘もまとって。娘は庭の砂や草を触るのがうれしそうで一時間も庭にいた。 途中でメール便が届き、なにも注文した覚えはないなあと思って見てみると、使っている浄水器のアンケートハガキに希望した抽選プレゼントが当たっていた。コウケンテツさんのこどもをテーマにした本だ。嬉しい。家族に報告すると父から「得意技」とコメントがつく。 そう、わたしは昔から懸

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          茶団子の真贋

          20180213 宇治の近くで生まれて三歳くらいまでその辺りで育てられたせいで、茶団子といいむしがとても好きだ。 いいむし、で通じるだろうか? 山椒がぴりっときいた、うなぎ入りの中華ちまきみたいな食べ物。(美味しいけれども、うなぎだし、お値段はホイホイ買えるほどかわいくないので、しまいに母は家でいいむしもどきを作っていたと聞く。) 滋賀に暮らす今は、いいむしなどは滅多に売っていないのではなから諦めているとして、未練があるのが茶団子だ。おとなり京都中心部や京都駅へ足を運ぶと、

          茶団子の真贋

          お豆腐一丁

          20180212 お豆腐の一丁という大きさが三十路手前の大人になった今でもよくわからない。わたしが物心ついたときには、お豆腐とはスーパーでパック詰めになっているものであって、プーピーとラッパを鳴らしてお豆腐を売り歩く商売があることは知っていても、それは自分の現実の暮らしからかけ離れた存在だった。 だからお豆腐一丁という単位は、さつまいも一本のように、ばらつきのあるものという感覚がある。メーカーや商品によってパック豆腐のサイズが異なるからだ。五百グラムのものもあれば三百五十も

          お豆腐一丁

          長女、一歳三ヶ月の冬

          断乳が大変とか二歳になってもまだおっぱいがやめられないとか、母乳のおわりについては苦労話ばかりよく見聞きするので、きっと大変なんだろう…と勝手に思っていた。 が、その予想は大外れだった。うちの娘は、美しい歌のおしまいの、自然なフェードアウトのごとく、すうっと静かに離れていった。母乳を飲むという行為から。 生まれてからずっと、欲しいと言われるだけいつでもどれだけでも与え続けたから、もう十二分に満足したのかもしれない、と思ってしまったほどだ。そのくらい、母乳への執着がまるっきりな

          長女、一歳三ヶ月の冬

          長女、一歳二ヶ月のもちもち

          親であるわたしと夫が、今になってようやく、七ヶ月前後の娘がいかにふっくらと、はちきれんばかりの身体つきだったか、しみじみわかるようになった。当時は出会う人や病院で、ほとんどの人は娘を見て『どうしたの?』『どうしたらこんなにぷくぷくになるの?』と笑いながら言われたものだ。まだほとんど母乳だけで栄養をとっていたし、月齢的にも歩いたりはできないので、飲んだ母乳がそのまま肉体を成長させていた頃だ。だからこそ、赤ちゃんってこんなもんだよなあ、そんなに笑えることかなあ、と不思議に思ったも

          長女、一歳二ヶ月のもちもち

          長女、一歳を迎えて

          今日で彼女は一歳と一ヶ月になった。一歳までは毎月の誕生日ごとに、何ヶ月になったなったと小さく騒いでいたが、一歳を過ぎると、一歳は一歳であって、何ヶ月ということはざっくりとしか気に留めなくなってしまった。 意思の白黒がはっきりして、いやなものはいやだし、行きたい方向はそちらであってあちらでは決してないとか、それではなくてこれが食べたいとか、ボールを穴に落とし入れるおもちゃの遊び方がわかったり、脳というか、心の発達は相変わらずすごい勢いだ。 身体のほうはというと、伝い歩きはベテ

          長女、一歳を迎えて