なんでもない日万歳記念樹

20180324

土曜日なのに彼が(夫のことを、夫、主人、ダンナ、旦那さん、彼、と書き物においてどう表すかいつまでも定まらない。でも彼と言うと単なるHeでもありDarlingでもあり、ぼんやりしていていいなあと今日は思っている)出勤してしまったので、9時から両親にきてもらう。
ヨウ(彼女についても書き物中の呼び方がしっくりこないのだが、とりあえずプライバシー云々を考えてカタカナの名前にしておく)は喜んで大笑いして遊んでもらっていた。その間を利用してようやくお雛様をしまう。今年は当日に出して春分もすぎてからしまうというへんな間だったけれど、近江上布のふっくらした青い着物のお雛様は、やっぱり目に美しくてうれしかったし、三週間、居間にいてもらってよかった。ふだんなら、わたしが非日常的な作業をしているところに好奇心のかたまりになってとんでくるけれど、おじいちゃんとおばあちゃんと遊ぶのにいそがしくてこっちにはこなかった。わたしもそれをわかって、このタイミングで片付けたのだけどね。

彼が金木犀が好きで、いつか庭に植えたいと話したら、買ってきたら今植えたる、と父が言うので、急遽母とホームセンターに行く。が、銀木犀が目について、わたしは家の表に黄色より白い花があるほうがいいのに、と思ってしまった。母もそうだそうだと言うので、ふたりしてすっかり金より銀を推してしまう。でも彼がほしいのは金木犀だしなあ、と決めかねた挙句、オリーブとレモンの木を買って帰った。二本で二千円くらい。どちらも50センチほどの背丈で、これからどのくらい伸びるか楽しみな大きさだ。
あとでわかったことだけれど、金か銀か…と悩んでいたまさにその時間、すぐ隣のスーパーに仕事を早く終えた彼がいたらしい。電話すればよかったなあ。
帰って父に約束通り早速植えてもらった。レモンは落葉が少ないので隣家と駐車場の近くにした。背が高くなったら塀の役割になればと思う。そしていつかレモンが実ったら、レモンカードに、ウィークエンド・シトロン、レモンクッキー、肉や魚にのせて焼いたり、レモネードにして飲んだり、ああ、夢がいっぱいだ。

ちいさなこどもを育てている者として、ひとりの時間がもう少しばかりあればいいのにと思う。
ひとりの時間なんて独身の頃は手を伸ばさずともいつでもそこにある、蛇口をひねれば出てくる水のようだった。でも今は、その水ははるか遠くの井戸にあり、とても気軽に汲みには行けない貴重でありがたみのあるものとなりかわった。
歯医者や美容院に行くときはだれかがヨウを見ていてくれてわたしはひとりで行くし、買い物だっで時々ひとりで行く。カフェにも二ヶ月に一度くらいだけれど行かせてもらう。
それでも、その二、三時間の外出では、心はわずかしか休まらない。いつも幼い家族のことを考えている。晩はなにを食べてもらおう(まだ全く大人と同じものは食べられないから工夫がいる)、明日は何を? いま機嫌よくやっているだろうか? なるべく早く帰らなくては… と外でも頭の中は毎日の雑然としたタスクで埋まってゆく。彼女の昼寝中も、いま起きるかいつ泣き出すかと思うと、ミルクティーを入れるだけでもひやひやしながらだ。それに昼寝中は家事をこなせる貴重な時間(たとえ音をたてないようにどきどきと気をつけながらでも)だし、心休まる時間ではないのだ。
夜、寝かしつけてからは? それもまた、まだ何かの拍子に泣き出してしまうことが不定期にあって、そのSOSを聞き逃すまいと、落ち着いてテレビやラジオに耳を傾けるのも難しい。そうこうしているうちに一日が終わり、また朝が来る。
それでもこの時間は永遠には続かないとわたしは知っているので、なんとか健やか精神を保っていられるのだろう。続かないことへの安堵と淋しさと見通しが、もうすこしがんばれるな、という気にさせる。
部屋はまるで片付かず、雑誌やインスタで見たおしゃれな育児生活とは、まさにほど遠い。ぎりぎりの清潔を保つのでいっぱいいっぱいだ。
それでもやっぱり、これはいつまでもは続かない。いつか片付いちゃうんだね、と彼が一昨日しんみり言った。おもちゃが四方八方にころがり、やぶれかけの絵本が散乱し、昼寝布団がいつでも鎮座し、食べこぼしがこびりついている居間は、どのみちいつか失われる。今はこのごちゃごちゃの家を愛していようではないか。
その頃にはきっとオリーブの背丈も伸びて、レモンも花を香らせて実をつけているかもしれない。そうしたらそれをテーブルに生けて、雑誌のようなステキな生活を真似してみよう。

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