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「役に立つ」かどうか?を忘れることに「意味がある」

「読書しない読書会」という企画を主催している中で、たまに思いもよらない感謝をされることがある。

その中で今でも記憶に残っているのが、「紙の本の未来が見えました。参加してよかったです。」と言われたことだ。

「読書会」とタイトルつけているので、基本的には本に何かしらの興味がある人、またはこうした文化的な活動に興味がある人が参加してくれるているはず。

では、どうしてそのような時間がビジネスアイデアへと発展していったのか?

そのポイントは、ビジネスに役に立つとは思わずに参加したその心持ちにあったのではないかと考えている。

「壊す本」との出会い

そもそも「読書しない読書会」という企画は、

「本の内容」ではなく、「本を選んだ理由」をシェアする会。普段は行くことのないジャンルにあえて行き、そんな未知の世界なのに興味を惹かれる本との出会いを楽しみ、その理由と向き合います。その後、参加者同士で惹かれた理由をシェアします。

その参加者が行ったのは児童書のジャンル。
そこで買ってきたのが「パンのおうさま」という本でした。

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物静かな方でしたが、本の購入理由をシェアする順番が来た途端に興奮しながら「この本を見たときに紙の本の未来が見えたんです」と発言。「この本は壊すことを前提に作られていて、、、」と熱く語られ、最後には冒頭の感謝の言葉まで頂くことに。。。

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確かにデジタルではこうした形に意味を持たせた本を作ることはできませんね。※参加者の言葉に影響を受けて自ら購入して撮影。

「意味がある」を届け続ける。ビジネスでもそれ以外の時でも

今回は、ビジネスアイデアで感謝されたことを書かせてもらったけど、他にも参加者ごとにそんなことにまで気づきがあったの?と驚かさせれることがある。きっと本人も驚いていたと思う。
かくいう私も煮詰まっていた提案のアイデアが、ふらっと入った本屋でひらめくことを何度も体験している。

その時の私含めて共通しているのは、おそらく本屋に答えを求めて行っていないということ(読書しない読書会はそういう企画なので)。何かを得ようとか考えずに、あるがままに目の前のことを楽しもうくらいの気持ちでいるからこうした閃きがあるのではないか

こうした事象については、脳科学の視点から論理的な解析が行わていたりするけれど、結局のところ体験しない限りわからないし、一度体験したから閃くかといえばそんなことはない。そもそも閃くためにという何かを得ようという思考を持たないことがポイントなのである。

こうした活動を真摯にビジネスの現場で提案すると、「何が得られるかわからないけど、意味があることです。」言う表現になってしまう。この「見えない意味があること」をわかってもらえるかどうか?そのためには体験してもらうしかないんだけど、体験しても得れるかわからないから難しい。

そんな状況だけど、「読書しない読書会」に参加してくれた人から頂いた感謝の言葉を信じて、こうした活動をすることに「意味がある」と言い続けたい。
と、読書会参加者の感想を整理している中で、勝手に決意したことを書いてみました。


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