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言葉は道具だろうか

「外国語は道具にすぎないのだから、細かいことは気にせず、どんどん話そう」という人がいる。

「通じればいい」という発想の一種で、それもひとつの考え方だと思う。

ただ、正確にいうと、「道具」と呼ぶにふさわしいのは、言語そのものというより、言語がつかう概念(辞書に載っている語彙)である。

人間にとって概念は、職人の材料庫であり、道具箱のようなもの。

材料であり道具である概念を使って、自分の意識を加工し、作りたいものを作る。これが言語である。

材料と道具を粗末に扱えば、それなりの人格とみなされる。
材料と道具を大事に使うことで、自分の人格を高めることもできる。

母国語と同じように、外国語の材料と道具(概念)をみがき、大事に使って、いい人格を表現しようと努力するほうが、立場が高いのではないだろうか。

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