見出し画像

27歳不憫な女の備忘録


2022年の秋から思いがけずいろんなことが起こりましたので振り返りのため文字にしてみます。
結構長いと思いますので読めるとこまででも読んでみて下さい。最後まで読んで労わってくださるととても嬉しいです☺️


2022年9月 腰をやる

秋のこと。
いつもと変わらない日常で当時の職場のカフェで働いていた私。
特に忙しい日でもなく、最近見た映画の話なんかをしながら仕込みをしていました。洗い場に食器がたまってきたのが気になって洗い物をしていた時、洗浄機にかけたグラスをグラスの定位置に戻したら、鈍い音がして低い姿勢から急に起き上がることが出来なくなりました。
ずっとお辞儀をしている状態で姿勢が伸ばせず、足も数センチずつしか動かずその場で固まることしかできない状態になり、手を挙げて申告。

「腰、やっちゃいました。動けません😭」

少し起き上がろうとしたり動こうとするだけでも激痛で、とっても痛くてすぐにでも病院に行きたかったのですが、おそらくぎっくり腰じゃない?というぎっくり腰になったことのある先輩からのお言葉により、作業台に肘をのせて腰を冷やすという応急処置でしばらく様子を見ることになりました。

しかし、少し動けるようになったものの、肘で作業台などを押し付けながら半歩ずつ足を進ませて移動するぐらいのゾンビみたいな動きしかできず時間ばかり過ぎていきます。
さすがにこの状態で今日は働けないし帰る?となるのですが、どう考えても家に帰れないので職場の方が救急車呼ぼうか?と言ってくださいました。

ほんとはわたしも呼んでほしかったのですが、当時、コロナがまだ流行っていて、SNSなどで救急車が足りないからむやみに呼ばないでという投稿が出回っており、ぎっくり腰でよばないでといった内容も記事で読んだことがあったため、ためらいました。そこで、救急車をよんでもいいかの確認をする救急安心センター(#7119)に電話をしました。

おそらくぎっくり腰だと思うが体が全然動かず歩けないこと、時間をおいたり冷やしたりしたが状況が改善されないことを伝えましたが、私が20代であること、意識がしっかりあることから介護タクシーなどで向かってくださいと言われました。

職場の方が車いすを借りてきてくださり、駅のロータリーまで送ってくださりました。
車いすに座るのがまず激痛で少しの振動が腰に響くのでとてもつらかったのですが、何とか車に乗りました。(車で母が迎えに来てくれました)
母は看護師で、体が不自由な人の介助もしてるため車に乗せることが可能でしたが、これもタクシーだと乗ることがたいへんだったのではと今は思います。。。


受診・地獄の入院


車に乗り病院に着いたはいいものの、時間は16:30。家の近くの接骨院に電話して緊急受診。病院に着いてからも車椅子に座らせていただきましたが、とにかく座ってるのがツラい🤯

平日、閉院間際でしたが結構待ってる方がいらっしゃって、順番が回ってきた頃には17:45過ぎでした。
レントゲンを撮ると言われてレントゲン室に入ったのはいいのですが、その頃にはもう1人で立つことができない状態でした。
履いていたズボンも1人で抜けず、1人の看護師さんに体を支えてもらい体重を預け、もう1人の看護師さんにズボンを下ろしてもらわないといけないという情けない状況。。。
何度もすみませんと言いましたが看護師さんが「痛いよね〜、ちょっと下ろすよ。」とか毎回優しく声掛けてくださって泣きそうになりました。

やっぱり自分がツラい時に優しく声掛けてもらうと優しさ沁みて泣きそうになります。
弱ってる時に優しくされると好きになる気持ち、めちゃくちゃ理解しました🥺

で、なんとかズボンを脱いでレントゲンを撮るってなったのだけど、レントゲン撮る台に寝そべるのも1人でできなくて、痛すぎて足があげれなくて、腰も持ち上がらなくて先生に痛かったら恨んでいいよって言われて腰をガッと持ち上げられて撮影。ちなみにめちゃくちゃ痛くて恨みました🫨

レントゲンをみてもらうと腰椎の5番目が悪さをしてるとのこと。その病院ではMRIは取れないから大きい病院で見てもらうことになり、そのまま他の病院で入院ということになりました。帰る前に痛み止めを飲んで初の坐薬も投入。湿布とか痛み止めとかはたくさん処方してもらって入院する病院へ移動。最後に先生に言われた衝撃の一言が、

「歩けないぐらい痛かったら次からは救急車呼んだ方がいいよ。」

呼んでいいのか。。。。気を遣って呼ばなかったけど呼んでよかったのか。。。。

ということなので、もし読んでる方でぎっくり腰かもと思っても歩けないぐらいなら救急車呼んで大丈夫です。
時間帯によっては受診さえできなくなってしまう事もあるみたいなので救急車の方がおすすめです🚑

19:00過ぎには入院する病院に到着。なんやかんや診断してとりあえずベッドに寝かされて入院。MRIは次の日に撮ることになりました。母とはそこで別れて1人病室へ。
コロナの抗体検査の結果出るまでは個室ということで1日目は個室入院。
1人で立てずトイレに行けないのでバルン(尿管に管を入れるやつ)を入れてもらうことになったのですが、これがめちゃくちゃ最悪で何回も失敗される。30分ぐらい部屋のライトついてるのに携帯のライトでも照らされて、1人とかじゃなくて3人ぐらいに陰部見られながら(全員女性の看護師やけどそういう問題じゃないと思う)、腰をずらすのも寝返りさえ打てないぐらい痛いのに足開かされて、入れるとこ違ったみたいなのでやり直しますとか言われて結構な地獄でした。
あとで看護師の母に確認したら、バルン入れるのに5分もかからんと言われて病院に不信感を覚えました😟
しかも、入れてもらってた管が結局違うところだったみたいで、夜中にナースコール押してバルン入れてもらったけど違うみたいで漏れてますって申告。

25歳で動けないとはいえお漏らし申告。精神的にもかなりキツかった。。。パンツは流石に変えてくれはってバルン入れ直してオムツも念のためしてくれはったけどシーツがちょっと濡れてるって言ったのに替えてくれなくてそれもキツかった。。。

翌日、MRI撮影。他心電図やら血液検査やらなんやらかんやらもしてもらって結果出るまで待機。仕事場からそのまま入院のためお風呂に入りたいっ!!!!て気持ちが強いけど腰が痛くて何もできないしそれどころでもないって感じでした。母が看護師なのを伝えていたので検査結果は先に母に連絡すると言われていて、病室で寝転んでるだけのところに母からLINEがきました☟

まさかの圧迫骨折。

その後、先生がパッと病室にきて専用のコルセットを作らないといけないとか、骨粗鬆症の疑いがあるから後日検査しますねとか説明されて、リハビリ大変そうとか思ってました。

その後、先生きはって説明聞いたよーと母にLINEしたら、先生から電話をもらってた母が、この歳で転けてもないし事故でもないのに圧迫骨折なんてあるのかと、調べに調べまくって事象を探したけど全然見つからんから念のためMRIの画像見せてもらってとLINEがきました。
私は医療については詳しくないので言われた通りに看護師さんにお願いしてできたら写メらせて欲しいですと頼みました。(写メって死語?)

その後、母からきたLINE☟

どゆこと????

ってなってたところに先生きはって、寝てる私のお腹らへんにPCのせて写メってもらっていいですかって言われてとりあえず写真は撮る。
よくよく説明を聞けば、圧迫骨折って言ったのは違う人のMRIでした。お騒がせして申し訳ないです。病名は腰椎椎間板症で、1番下の椎間板が黒くなっててここの神経が圧迫されてます。痛みがひどいなら注射打ちましょう。的なかんじでした。

感想としてはそんな事ある?ってまずなって、これは医療ミスじゃないのって。。。
MRI見せてもらわんかったらたっかいコルセット作ってお金払ってるとこやで。。。

とにかく不信感。
昨日のバルンの件もあってこの病院はやばいと感じておりました。

ただ、安静にしてるので少しずつ良くなってはきているものの、腰は痛いままだし、まだ1人で立てないし、母と相談してとにかく1人で立てるようになったら無理矢理にでも退院して自宅療養に切り替えようということになりました。

次の日、ブロック注射(神経注射)を打ってもらいました。打ってもらってからしばらくは入院してはじめて腰を浮かせることができて、少し痛みも治まってました。痛み止めも増えて、湿布を貼ってもらったりもしてそこからは痛いけど入院時よりはマシ。って感じでした。あとは日にち薬と言うような感じでした。症状が改善したのが、ブロック注射打ってもらってからなので、もう少し早めに打ってくれたら良かったのにと思いました。(入院初日から打ってくださいと母がお願いしてくれていた)

念願のお風呂に入れたのは入院から4日後でした。はじめは、入院して2日後に入れる予定だったのですが、聞くたびに今日は無理になりましたと言われ続け、2日も延長されておりました。自分が全く動けなくて迷惑かけていると思ってたのでなかなか理由も聞けませんでしたが、仕事場から直送で入院で長い間お風呂に入らないのは嫌な気持ちでした。

その前に病院に対して不信感を抱いていたのもあり、早く退院したい気持ちが強かったです。

その後は、自力で動けるようにリハビリの練習したり、腹筋鍛えたりをして、なんとか捕まった状態ならギリ立てるぐらいまで回復したところで、半ば無理やりに1週間ほどで退院しました。

自宅療養と転職


無理やり自宅療養ということでしたが、自宅がエレベーターなしの3階だったため、階段で登るのは無理と判断され、母の実家(一軒家階段なし)で療養となりました。

祖父(当時85歳)に車から降りる時や少しの段差なども介助してもらう逆転現象。。。
(私は当時25歳)
おじいちゃんにはとっても感謝してます👴

コルセットなしで歩けるようになるまで2週間ほどかかりましたが、できるだけコルセットをつけて動くようにして過ごしました。

退院から3週間くらいでやっと家に帰ることができました🙌
ただ歩くスピードは以前より遅く、階段昇降もめちゃくちゃ遅いため、なるべくお家から出ないようにしてました。
ただ、寝てる範囲でできる筋トレはしていたものの、ほぼ寝たきり生活で筋力低下が著しかったため筋トレを開始し、回復に努めました。

全然関係ない小話ですが、腰痛の時に地味にきつかったのが歯医者です🦷
歯医者の椅子って動かすタイミング予想してない時にくると痛くて、治療よりしんどかったです。。。

歩けるようになっても腰の痛みはなかなか引かず、病院へは通院してお薬の処方をしてもらっていました。(入院してた病院は信用できなかったのでMRIの結果やレントゲンなどのすべてのコピーをもらい違う病院へ通院してました)
また、その時に立ち仕事はしばらく禁止した方がいいと言われました。
働いていたカフェは辞めることになり、身体もイマイチ思うように動かないし、将来の不安が募りました。


仕事を辞めてからはとりあえず回復のための筋トレとお小遣い稼ぎのためメルカリに勤しみました。好きなK-POPアイドルの集めていたトレカなどを泣く泣く売りに出して生活費に充てました。傷病手当を受けれると小耳に挟みましたが、腰痛の場合は傷病手当を受け取るために結構な頻度で整体などの通院が必要らしく、通うのがしんどいのに通わないと受け取れないし、受け取れても微妙な価格と聞き割に合わないので諦めました。

入院してから1ヶ月半くらいにはやっと友達と遊べるぐらいまで回復しました!(ただ寒い日とか頑張った日とかは普通に痛い。家でも痛い時はコルセットして過ごしてます。)
そのあたりから転職先も探し始め、今までは飲食業だったのでほぼ立ち仕事だったのですが、座ってできる事務の仕事を探しはじめました。
(わたしの希望条件としては、重いものを持たない、立ち仕事じゃない、病院の通院などで休み可。)


入院してから2ヶ月後くらいには事務の仕事が決まりました🎊
無期雇用派遣のため正社員といってもほぼ派遣の扱いですが、(給料は低くても)はじめての定時制、有給も自分の好きな日に使えること、残業にも給料が出るホワイトな環境にとても喜んでおりました。
(今まではブラック企業に慣れすぎて普通の人の当たり前の環境がとても幸せでした)

転職後、再び体調不良に


転職後、はじめに派遣された職場でしばらくは割と順調にお仕事をしておりました。
しかし、その職場では少し特殊な条件で3ヶ月契約で入っており、その条件を引き続き継続したままで働いてほしい派遣先とその条件は3ヶ月限定だけだと主張する派遣元で食い違いが起こり、違う派遣先へ行くことになりました。

違う派遣先なのですが、こちらの派遣先でちょっと問題がありました。

派遣先での引き継ぎですが、通常社内の人間同士でも3ヶ月かける引き継ぎを、前任の方が退職されるため1ヶ月程でしないといけないというところからはじまりました。

ほぼ社内システムで運営してる会社だったので、まずはその社内システムに慣れるところからはじまります。が、慣れる前から詰め込みがはじまり、1ヶ月と聞いていた引き継ぎも2週間までは毎日マンツーマンだったのですが、そこから前任の方が有給消化のための週一出勤となり、業務を何も知らない派遣がほぼ2週間と2日で業務を任されることとなりました💀
(引き継ぎのノートなどはありましたが初心者からみたら暗号だったので、前任の方がいらっしゃる間にチャットで聞いたり質問しながらしていました。)

前任の方が退職されてから、何度かちょっとした問題はありましたが、周りの社員の方に聞いたりしてなんとか仕事はしていました。

この派遣先では、わたしが前任の方に任された仕事+他の社員の方の仕事のフォローが私の仕事だったのですが、他の社員の方がしている仕事量が多すぎて常に残業でした。

定時時刻を過ぎても帰れない、社員さんが帰っているのにわたしは残業。
だけでなく、同じ部署の社員さんが全然仕事をしていない(周りもそれをわかっているのに仕事はわたしとわたしがフォローしてる社員さんにふる)。
自分の業務以外の仕事でも、事情があり仕方なくその仕事を覚えるとそれ以降は自動的にその仕事をふられ続ける。
違う部署の派遣さん(同じ派遣元)は仕事が無さ過ぎて困るといっているのに明らかな業務の差(期間が長いほど給料が良いのでわたしより給料はいい)。
などと、たいへんストレスが溜まる職場でした。。。
派遣元の方との面談の際に、業務外の仕事を任される事などは伝えたりしていましたが、面談後、数日なくなってもまた復活するという具合でした。

ストレスの溜まりすぎで、ずっと仕事をしている夢をみたり、寝付けないなどの睡眠障害が出て、最終的には発熱→仕事休む→仕事復帰→発熱を繰り返すようになりました。

そして、とうとう熱が下がらなくなりました。
コロナを疑い検査をしましたが、コロナではなかったので自宅で家族が交代で看病してくれました。

39度から40度の高熱が1週間以上続きました。
体調が良くて39度なので常に体温が高く、ふらふら。食欲もない、水分を無理やり摂取させてもらっていました。

あまりに熱が下がらないところにさらに、陰部に炎症?ができトイレが苦痛,歩くのにも激痛が走り、歩行が困難となりました。また、身体を拭いてくれていた母が他にも発疹を見つけ日曜日だったため緊急受診をすることになりました😷


緊急受診


陰部と皮膚疾患のため、産婦人科と内科がある病院で時間外受診しました。

はじめに内科の方で問診を受けた後、産婦人科でいろんな検査をしてもらいました。しかし、ウイルス検査や性病の検査など、すべて陰性でなぜこのような状態になっているのかわからないといわれました。似たような症例を探してみるので少し待っていてくださいと言われ、待機していたところ、ベーチェット病という指定難病の疑いがあると言われました。

しかし、ベーチェット病の場合は膠原病のため緊急受診で対応してくださる先生がいないため膠原病の先生が出勤される日の予約を取ってくださり、陰部に塗る麻酔薬と解熱剤を処方してもらいました。

その際、CRP(炎症が起きると血液中に急激に増えるたんぱく質の一種)の数値が15㎎/dlあり、(通常の基準値0.5㎎/dl以下)10以上だと入院を要するとのことで入院を勧められましたが、前回の入院が散々だったためトラウマがあり、強く拒否をしたところ何とか入院を逃れました😮‍💨

指定難病認定

受診から3日後、ベーチェット病を発症してしまう可能性がある血液の成分が発見されたので、ベーチェット病だと診断されました。

ベーチェット病(指定難病56)という病気は、主に4つの症状を主症状とする慢性再発性の炎症性疾患です。

口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状のうち、わたしは外陰部潰瘍と皮膚症状が出ていました。

治療法としてはステロイドなどの炎症を抑える薬などの服用で炎症を抑え、徐々に薬を減らしていくのが理想で、薬を飲まなくてよくなる人は一握りだそうです。
また、強いストレスなどから炎症を再発してしまう可能性があるので、なるべくストレスのかからない生活をするよう心掛けてくださいと言われました。

初めて聞く病名で不安だったので、noteや他のSNS、ブログなどで同じ病気の人の様子を探ったり、病気の経過などの記事をたくさん読みました。
症状が若干違えど、同じ病気になった人の記事は参考になりました✊
わたしもベーチェット病と診断された方のために、症状発症⇒診断されてからの経過をまとめていこうかと思っていますので同じ病気の方は参考にしてみてください。


現在の状況

現在は指定難病認定されてから約半年が過ぎました。

無期雇用派遣でのお仕事は、1番しんどい炎症が起こっているときに仕事のお休みを申請した際、何度も電話がかかってきて現在の契約の話や次の出社の話などを延々とされたため辞めることにしました。

仕事を急に長期間休んだことについては反省しているのですが、高熱が続いて正直このまま死んでしまうかもと思うぐらいつらかった時に、仕事の電話でさらに病んでしまったため、自分の身体と心を優先させていただきました。

半年たった今も薬の副作用がしんどかったり、立て続けに体調を崩したことで精神的にも病んでしまい、仕事に就けていないのですが、貯金を崩して生活しているので金銭的余裕がないのもしんどいし、家にずっといることにも引け目を感じています。

(自分でいうのもなんですが、まじめな性格のため普通の生活を送れていないと感じるのもしんどいと感じてしまう厄介な性格です。)

現状、今までのようなフルタイム勤務は難しいと思っているので、週2~3日程度のバイトから社会復帰していこうと思っています。

最後に

ここまで読んでくださった方はいらっしゃるのでしょうか?

自分でもこんなことになるなんて不憫だなと感じながらもなんとか生活していこうと思っています。
正直なところ、これからのビジョンが全く見えず苦しいですがここから好転していけるように頑張りたいと思っているので、ちょっとでも応援していただけると嬉しいです。

長らくお付き合いいただきありがとうございます😌







この記事が参加している募集

スキしてみて

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?