見出し画像

坂本龍一は前衛アーティストだった? 〜坂本龍一のアート〜 トークセッションに参加して。

2023年7月7日(金) 七夕の日。
東京都渋谷区神宮前にあるワタリウム美術館にて、
〜追悼坂本龍一のアート「async | 設置音楽展 」とは何だったのか〜が開かれた。

小さい美術館なので参加出来る人数は40名程度。
とてもこじんまりとした追悼会は、20時にスタートした。

トークセッションに登壇したのは、批評家であり、京都芸術大学院学術研究センターの所長を務めている浅田彰さん。ワタリウム美術館のCEOを務める
和多利浩一さん。そして坂本さんの母校でもある東京藝術大学で、特任講師を務めていた松井茂さんの3人だ。三人とも坂本さんとは深い親交があり、浅田さんはzoom参加の予定だったが、急遽会場に来ることになり、坂本さんへの熱い想いを感じるスタートとなった。

トークは始めから白熱した。話は1984年に浅田さんと和多利さんが坂本さんと出会う少し前から始まり、当時の思い出を語り合う。

1979年、SONYからウォークマンが発売され、「男と女とウォークマン」という言葉とともにSONYはその名を全世界に轟かせいた。と浅田さんは語る。Appleの創業者スティーヴジョブスはSonyに憧れて会社を設立したそうだ。そして、同年にはイエロー・マジック・オーケストラ、通称YMOが『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を発売する。このアルバムは全世界でヒットを飛ばし、SONYとともに強い日本の象徴になっていった。

そして、1984年の2人が坂本さんと出会った年。坂本龍一さんがYMOを散開した翌年に当たる。この年はソロアルバムの『音楽図鑑』が発売された年でもあり、3人にとって非常に面白い年だったと話す。日本経済はまさにこの時代1986年から1991年まで続くバブル景気に沸くことになっていく。

このトークセッションが面白かったのは、3人がそれぞれの思い出を語るので、一見話があっちゃこっちゃ飛んでいるように聞こえるのだが、最終的にはその話の点と点が線で繋がっていき、まるで歴史の中を散歩しているような気分になったことだ。

中でも面白かったのが、晩年の『レヴェナント: 蘇えりし者』の話。
この映画は2015年に公開され、監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。主演:レオナルド・ディカプリオ。そして音楽:坂本龍一というとても豪華な作品になっている。

この頃、坂本さんは癌の闘病中で体力を消耗しており、オファーを受けるか悩んでいたそうだが、公私ともにパートナーであった空里香さんから、 「こんなオファーなかなかないんだから、死んでもいいからやれ」と言われたそうだ(笑)。そして坂本龍一はこのオファーを承諾し作曲を始めることになる。と3人は語る。

『レヴェナント: 蘇えりし者』このサウンドトラックは"音楽"というより自然である。まるで自然の風や氷、火、水の音を人工的な楽器で表現しているような作品だ。このような発想は、おそらく2009年発売の『out of noise』から着想はあったように私は思うが、このサウンドトラックは凄まじい。

まさに「地球の音の響き」を音楽で表現したような作品なのだと3人は語る。レベナントは西部開拓時代のアメリカの極寒の冬を舞台にした作品だ。その為、強大な北の大地を音楽で表現しようと試みたのがこのサウンドトラックである。

この経験が、今回の展覧会のテーマである『async』に繋がる。

asyncとは直訳で非同期。つまり、音楽とは基本的に一定のリズムがあるが、その行為はとても作為的で、自然界では同期した音などあり得ないというのがこのアルバムのテーマだ。

ここで坂本龍一さんのインタビューを一部抜粋する。
"自然が奏でる音、リズムは非同期に満ちています。例えば雨、波、心臓の鼓動などなど。決して規則的な繰り返しではありません。人工的で規則的なリズムには飽きました。音律も人工的な平均律にはほとほと飽きました。"

このアルバムでは東日本大震災で津波の影響を受けたピアノで演奏がされている曲がある。このピアノは、津波の影響で調律はずれ、弦は歪み、一部の鍵盤は流されて無くなってしまっている。しかしこれが自然な姿なのだと坂本さんは語っていたそうだ。ピアノは、人間によって木材に何十トンもの圧力をかけて無理やり折り曲げられ、作為的なサウンドを生み出す楽器である。しかしそれを津波の力が全て奪い去った。坂本さんは、むしろ今の歪んだ音こそが、"自然な調律"なのだ。と話していたそうだ。もちろん津波は甚大な被害を東日本に及ぼした。その為、簡単にこの”自然な調律”を肯定するわけにはいかないが、これらは自然界の物質の循環の考え方と表裏一体である。

『async』についてもう一つ面白い話を聞いた。それは日本の能楽の話である。

坂本龍一さんは若い頃、武満徹さんが自身の音楽に和楽器を使用したことを痛烈に批判していたそうだ。私もテレビで坂本さんが喜多郎さんなどを批判していたのを見たことがある。(ついでに言うとチャゲ&アスカのことも同じタイミングで批判していた笑)

しかし年を重ねるにつれ、坂本さん自身も和楽器に興味を持つ。何故なら能楽こそまさに『async』だからだ。能楽を聞けばわかるのだが、そこにはリズムというものは存在しない。存在するのは音の"間"だけだ。能楽の演奏者は、その"間"を感じ取って、演奏する。まさに2017年に発売された『async』の世界は、すでに日本の14世紀頃に行われていたということになるのである。

ここに坂本龍一さんのやりたいことは詰まっていたのだ。

坂本さんは天才なので、頼まれたことはクラシックだろうが、テクノだろうが、ボサノバだろうが、完璧にこなすことが出来る。ただ、自分自身が本当にやりたいことはやっていなかったと3人は話していた。映画音楽とは、監督や映画プロデューサーから依頼を受けて制作をする。坂本さんの中で最も有名な曲は『戦場のメリークリスマス』だが、これも映画の為の音楽であり、坂本さん自身を表現した曲ではない。

これについては以前作家の村上龍さんも、「坂本はまだ自分の代表作を作っていない。」と、ある番組で本人に話していた。もちろん坂本さんは怪訝な表情をしていたが(笑)

でもこれはある意味では本質を突いている。
きっと本人もわかっていたのだ。自分の音楽というものがない。だからこそ、自分の音楽をこれでもかと体現している矢野顕子さんに惹かれ、そして憧れを抱き結婚をした。と3人は語っていた。

そして『async』こそが、坂本さん自身の代表作になったと私は考える。

坂本さんの本質は前衛的なアーティストだったのだ。これまでも、坂本さんと交流が深かったのは、ドイツの現代音楽作曲家のシュトックハウゼンや、ナムジュン・パイクのようなモダンアートの巨匠たちだ。

モダンアートは難解で、大衆受けはしない為、メディアで取り上げられることはほとんどなかったが、坂本龍一さんは昔からモダンアートのイベントに積極的に参加していたそうだ。そして1995年のインターネット元年には、コロナ禍の影響で現在では当たり前となっているLIVE配信を、坂本さんはいち早く取り入れていたらしい。彼の本質は前衛アーティストだったのだ。

YMO時代のポップなイメージや、『戦場のメリークリスマス』での映画音楽の成功が、彼のその後の人生を変えていったが、本質は『async』のような前衛的な作品にあったということである。このような坂本さん自身の前衛的な作品は少ないが、晩年に数作でも残してこの世を旅立っていった。それだけでも感謝をしたいと思う。

この他にも、坂本さんはいつも影響を受けた音楽家はドビュッシーだと言っていたが、それ以上に影響を受けていたのはブラームスとエリック・サティだという話や、彼の楽曲『Tong Poo』とは、当時の"強い日本"の勢いが、偏西風を東風(Tong poo)となって押し返しているという意味。という話など面白いお話がたくさんあった。


 トークセッションは、本来20時〜21時の予定であったが、実際に終了したのは22時15分頃であった。それだけ坂本さんの話は尽きることはない。

坂本さんの数多く残してきた作品はあまりにも偉大である。彼は死の直前まで神宮外苑の木々のことや、未来を生きる我々人類のことを思いやっていた。そして演奏を止めることはなかった。遺作となってしまった『12』は死の約2ヶ月前に発売。NHKではPlaying The Pianoを最後まで収録しており、最近オープンした東急歌舞伎町タワーにある映画館の音響も担当した。実際にこの映画館を訪れて『レヴェナント』を見たという3人は、音が凄すきたと話していた。

その生き様はこれまでにないほど完璧で見事だ。NHKのPlaying The Pianoでは、先ほど話にも出てきた『Tong Poo』が演奏され、その演奏は坂本さんが崇拝していたグレン・グールドの晩年に弾いていたブラームスを思わせる、とても見事な演奏だった。

坂本さんが亡くなってから、およそ3ヶ月が経つが、未だその喪失感は消えないままだ。しかし彼が残してきたものや伝えてきたことをここで途絶えさせないのがファンの役目だと私は思う。この先何年経とうが、私は坂本龍一さんの偉大さを後世に語り継いでいくだろう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?