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「誰からも注意されないおじさん」の自戒の仕方。

他人から注意されることがめっきり減った。

会社に所属していた20代のころはもちろん上司や先輩からたくさん叱られていたが、独立後はそもそも叱ってくれる人自体が周りにいなくなってしまった。

仕事でもプライベートでも、関わる人たちの大半が自分より年下になり、いっそう他人から注意される機会は失われている。40代に片足を突っ込みつつあるおっさんに、誰が好き好んで注意なんかするだろうか。わかってはいるけれど、誰からも注意されないことに、とてつもない不安を覚えることがある。

ここ数年密かに抱えていたこの悩みを、TBSラジオ「東京ポッド許可局」の面々が「注意論」と題して見事に言い当て、深掘りしてくれた。

この回では、権力の上層に位置する松本人志や麻生太郎に誰が注意できるのか?という問題提起をきっかけに、「おじさんの自戒の仕方」について熱い議論が交わされた。

「自分とは別のジャンルで"年下の先輩"を持つ」というマキタスポーツさんの考えにはかなり同意できるし、「自己統制をするためには他者の視線を内面化する必要があるが、多くの国では一神教における神がその役割を果たしている。日本では神の存在が希薄だからモンスターのような人が生まれてしまう」というサンキュータツオさんの分析にも思わず唸ってしまった。詳しくはぜひ本編を聴いてほしい。

彼らの議論から考えるに、本当に自律した大人とは、独立独歩の人間ではなく、他者の網の目の中で躓きながらも立ちあがろうとする人のことを指すのだと思う。煩わしくとも、どれだけ自分に厳しい他者を側に置けるか、その声に耳を傾けられるか。それが成熟の条件なんだと痛感した。

「最大の他者は妻である」とマキタスポーツさんは語っていたが、実は僕も全く同じだ。妻は絶対に僕に迎合せず、的確に急所を刺しに来る。その手厳しさに苛立ったり悲しんだりすることもあるが、彼女の手痛い指摘がなければ、途端に僕は老害おじさん化してしまうだろう。

どんなにフランクに接したとて、おじさんと若者の間にある権力勾配を無くすことはできない。だから、おじさんになればなるほど無自覚の権威性に意識的になり、自戒の装置を起動させる必要がある。そう、おじさんこそ迷いの中に身を置くべきなのだ。昨今さまざまなところで叫ばれているネガティブ・ケイパビリティという概念は、おじさんにこそ必要なものかもしれない。

文学や歴史や哲学といった人文学を学ぶ意味はここにあるのだと思う。人文学とは、人類の迷いと失敗の痕跡についての学問だ。過去の他者の葛藤や過ちから学ぶことで、絶えず自己を訂正し続ける胆力をおじさんは身につけなければならない。こんなふうに書くのは、自分がもうおじさんにカテゴリされることを自覚しているからである。ある意味この記事自体が、僕にとっての自戒の装置なのだ。

そういえば、伝説的コピーライター・仲畑貴志さんのコピーに、「無邪気は暴力。おちゃめは平和」というコピーがあった。たしか80年代のパルコの広告コピーだったと思う。40年近く経ったいま、このコピーはおじさんの自戒のスローガンのように響く。

無邪気なおじさんなんて、本当に百害あって一利なしである。にも関わらず、僕らの社会にはまだまだホモソーシャル(女性及び同性愛を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性)が跋扈している。自らの権威性を顧みることもしない未成熟な男性が、さも子供心を失わないピュアな人のように称揚される様は実に気持ち悪い。そんなの、存在自体が暴力だ。

一方でお茶目さとは、自らのポジションや影響力を自覚した上で、それを中和させるような立ち居振る舞いをすることによって生まれる。つまりそこには自戒の回路がある。それを指して仲畑さんは平和と表現したのかもしれない。

僕は自分自身が怖くて仕方がない。男性である以上、いつか自分もおじさんというモンスターになってしまうのではないかと日々震えて過ごしている。いや、すでになっているのかもしれない。無邪気ではなくお茶目でいたいと切に願えど、両者を分別する匙加減が果たして合っているかもわからない。いっそのこと、他人と関わらずに生きていったほうが良いんじゃないかとも思う。しかし確かに言えるのは、迷いの中に漂っているこの状況自体が、すでに一つの処方箋になっているということだ。問い直し、語り直し続けることの中に、モンスター化を遅らせる効用が潜んでいる。

マキタスポーツさんが番組の中でボソッと呟いた「漂えど沈まず」という言葉を思い出す。調べたところ、どうやら開高健さんの言葉だったようだ。流れに抗い泳ぐのも、諦めて沈没するのも、一つのスタンスを選び取るという意味では共通しており、ある意味単純である。しかし、沈まぬ程度に漂うことは、一見地味で頼りなく感じるが、実は一番技術がいることかもしれない。心にモンスターを抱えるすべての男性に贈りたい言葉である。

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