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ルームシェア時代の話。


若手芸人はとりあえずお金がないので、当然、必要経費を抑えようとします。
そこで、みんなやるのがルームシェア。

僕は芸人を始めた当初1人暮らしをしていて、その生活自体にそこまで不満はありませんでした。

そして、各々の生活リズムとかルーティンを害されるのも嫌だったので、他人と住むのに積極的ではなかったのですが、3年先輩のほりおさんから、一緒に住んでいたルームメイトが抜けるとの事で、猛烈に誘われました。

これって結構“若手芸人あるある”で、誰かしら彼女が出来て同棲を始めるだとか、売れていい家に引っ越すだとかでルームシェアの家を抜けるのですが、それが急だと、自分自身が引っ越すお金がないので、慌てて仲のいい人間を誘うのです。

ほりおさんとは仲が良く、おそらくほりおさん的にも僕とルームシェアすることに問題が無いと判断したのか、僕のことを誘ってきたのです。

「今より家賃が5000円安くなる」と、「今より難波からチャリで10分ほど遠くなる」を天秤にかけた時、めちゃくちゃおいしい話ではなかったですが、最初の家もよく考えたらそんないい家じゃないよな(エレベーター無しの5階、押し入れの雨漏りなど)ということと、人生経験として1回はありだなと思ったので、シェアを決めました。


引っ越しが完了した何か月か後、もう一人ルームシェアメンバーが追加されました。
それは僕の1年後輩のたむかいという男でしたが、彼の部屋はなんとリビング。
「もう1人住んでもらったら、家賃も安くなるし、楽しくなるやろ」と半ば強引に決めたほりおさん。

2LDKのうちの6畳の二部屋は僕とほりおさん。そしてリビングに家賃1万円でたむかいが住むことになったのです。

一般の人からしたら異常でしょうが、これもまた芸人界の常識。
とても良好とはいえない環境すらも、「ハングリー」や「下積み」という言葉でオールOKにしてしまうのです。

こうして20代男性3人のルームシェアはこの後約3年ほど続きます。



ルームシェアをやってみて表面化した問題点は、やはり言っても他人なんで、価値観が合わないという事。

僕は自宅でそこまでお酒を飲まないタイプなのですが、2人はめっちゃ飲みました。

家で寝てたらベロベロで叫びながら帰ってきたり、
2人が家で酔っ払いながらインスタライブをしていて、そこにバイトから疲れて帰ってきた僕が絡まれて険悪な空気になったり、
酒飲んだ後〆に作った料理のせいで、深夜にリビングがニンニクのにおいで包まれたり、
酔いつぶれてリビングでおもらしされたり、、、
と、とりあえず2人の酒グセが悪かったのです。
シラフの僕がノリが悪いからと、たむかいとケンカになったこともありました。

とはいえ、僕だけが被害者ということでもありません。

僕は僕で、女の子をしょっちゅう自分の部屋に連れ込んでいて、自分の部屋にはリビングを通らなければいけない作りになっていたので、リビングで寝ているたむかいには相当迷惑をかけたと思っています。

寝ていたらまだいい方で、たまに起きてて鉢合わせになった時はさすがに気まずかったですが、そんなこと若い僕はお構いなしでした(基本連れてきた日は機嫌の悪かったたむかいだが、ハーゲンダッツ持ってきてくれるコの日はまだマシだった)。


掃除や片付けも、1人暮らしなら割とやるのですが、ルームシェアは心理的に「誰かやってくれるだろう」となるので、掃除は綺麗好きのたむかいに任せっぱなしでした。

そのおかげで、一般的な芸人のルームシェアよりは綺麗な部屋だったと思います。
洗濯槽クリーナーとかやってくれてありがとう、たむかい(そんなんしたことない)。


あ、あと、これは若干僕が被害者というか、作りとして仕方ないのですが、僕の部屋にしかベランダがなく、洗濯物がそこでしか干せなかったという事。
どんだけ眠たくて寝てても勝手に入ってこられるし、部屋に女の子がいた場合は、「シャツだけ取ってくれへん?」とLINEが来る始末(この場合はどっちが被害者やねんやけど)。
最後らへんは慣れましたがやっぱりダルかったです。


悪い点ばかり書きましたが、いい点ももちろんありました。

たまに一緒にご飯を食べたり、酒を飲みながらYouTubeを見て一緒に歌ったり(リズムが合えばもちろん飲む)、やっぱり家族という人間以外との団らんも楽しいものでした。
たむかいに山ほどミスチルのライブ映像見せられたなあ。
ほりおさんはずっと三四郎のオールナイトニッポンをイヤホンで聞いてたなあ。

一時期は全員、若手の劇場のメンバーだったので、そこで相談や意見交換をしたり、大きい仕事が決まれば嬉しかったり、悔しかったりと、切磋琢磨は出来たと思います。

3人同時に「オールザッツ漫才」に出られた時は、一緒に生放送に向かって、一緒に家に帰ってきたりもしました。

ほりおさんと「せやねん!」が同じになったときは、帰り西九条で自転車を撤去されて、ユニバ近くの保管所まで取りに行き、CITY WALKでご飯を食べて帰ったのもいい思い出です。

たむかいがコンビニの夜勤をしていたので、持って帰ってきた廃棄の弁当やパスタもよく貰いました(食べようと思ってたやつ食べられて揉めたりももちろんした)。

困ったときは助け合い。
ライブで必要な物を借りたり、服も貸し合ったり(汚れて帰ってきてちょっとテンション下がったり)。
見たい番組も録画してくれる。家賃もちょっと待ってくれる。


書く時は「悪いことしか書かないのかな」と思っていましたが、今思い返せばいい思い出もまあまあありました。笑

なんにせよ、20代半ば、若手時代。
一番何も考えず楽しく暮らせてた時期にルームシェアをしたのは、思い出でもあるし、いい経験になったと思います。


ということで、少し自分で懐かしんでみた。という話でした。

それでは、また。




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