海と、電池と、私。

「うおおおお! すげえぜこりゃぁ!」

 賞金稼ぎノーマンの絶叫は昼の荒野に殷々と響き渡った。トレーラーを改造した移動ジャンク屋に電池の買い出しに来ていた彼は、長年追い続けていたお宝を前に絶好調だった。

「……うるっせえ、鼓膜がいかれる」

 ジャンク屋の店主、ストーカーが顔をしかめながら言うが、ノーマンに遠慮はない。発見したお宝を掲げる彼は謎の鼻歌を歌いながら小躍りしだす。

「おい! 万引きは銃殺だぞ!」

 ストーカーに咎められ、舌を出したノーマンは頭を下げる。

「悪い悪い。テンション上がってよぉ。よくこんなもん見つけたなぁおい、十年に一個とか言ってたじゃねえか」

「まさに十年に一度のチャンスよ。だがなぁ……」

 ストーカーの微妙な反応に水を差され、ノーマンは少し不機嫌になる。

 しかし仕方のない話だ。ノーマンが持っているお宝、戦争前の遺跡から発見されたそれは、最高級義体用人口膣、早い話がオナホだ。そんな玩具は人の尊厳が重視され、売春が廃止された世界の遺物であり、今では気まぐれな金持ちの珍妙な余興に消費される程度のものだ。ノーマンは気まぐれで珍妙ではあったが金持ちではなかった。

「弱小賞金稼ぎが、ふざけて買う額じゃねえぞ」

「ほーん。ところで、お宝の隣にあるヤツは?」

 忠告を無視したノーマンがトレーラーに並ぶかごの一つを指差すと、ストーカーはため息をつく。

「アンドロイド用、小型核融合炉さ。テメエの相方に差してやればいちいち電池を買わんで良くなる。こっちもなかなかお目には……買うのか?」

「……うーん」

 折角教えて貰ったが、ノーマンの返事はつれない。値段をチラリと確認して、自分の車に向かって駆ける。背後からストーカーのネチネチした苦言が聞こえた。

「ノーマン、もっと利益に貢献するモンを買えよ。三十七mmスナイパーキャノンとか、新しい装甲車とか。人形遊びにかまけて、いつまでもぼろい装備使ってっと――」

「うるせえやい。俺は待ってたんだ、それこそ十年かけてな」

 ストーカーの忠告を取り合わぬ、ノーマンの決意は固かった。十三の頃からこの日のために金を集めてきたのだ。それこそが彼の人生の結晶だった。

 だがまだだ。今日の分の実入りがなければあれは買えない。有頂天のノーマンは馬よりも早く荒野を駆ける。愛車のオンボロジープのもとへ。

 彼の人生を支配した、麗しき人形のもとへ。




 朝。

 空洞の伝導チューブの中に、私を生かすためのエネルギーが流し込まれる。

 この瞬間が私は嫌いだ。死んでいた自分を自覚しなければならないし、生き始めたらまた死ぬまで、色々な事を気にしなけりゃならない。エアコンの設定一つでぶつくさ言わなくてはならない。

 冷たい眠りの海から浮かび上がって、億劫に目蓋を開く。

 場所。荒野、ボロいジープの助手席。時刻は昼過ぎ、眠りに就いてから三日の経過。

 視覚センサーは充分温まっていない。けどすぐ傍に彼が立っているのが分かった。私と同じお古の戦闘服に身を包む、年の割に老けた白人の男。

 ホントは笑う気分なんかじゃないけど、持ち主のため私はいつも通り、重い腰を上げて二枚目な笑みをくれてやる。

「……おはよう、ノーマン」

「おはよう、オリガ」

 彼もまた笑っていた。二十三歳の働く男の笑みは、私の知っている世界の二十三歳よりずっと大人に見える。子供に見えない少年の笑顔。私は二百年経っても馴染まなかった。きっと一生違和感を抱え続けるだろう。

「仕事の時間? それともお姉さんと話したいだけ?」

「残念だが仕事だ。それ以外でお前を動かす余裕はねえよ。まあ長い話になるから、雑談でもしてゆらりと行こうや」

 そう言ってノーマンは上機嫌で運転席に移る。長くなるのに雑談もするのか。電池の一本、無駄にするくらい機嫌が良いのは珍しい。いや、普段は仏頂面ってわけじゃないけど、金にだらしない男ではないから。

「……うん? だらしないのかな?」

 私みたいな玩具にかまけている時点で。頭を捻る私の横でノーマンは、オンボロジープのエンジンを景気良く吹かして発進させた。変え時を七年は過ぎた油圧サスをご機嫌に揺さぶって、ジープは荒野を駆けていく。

「随分ご機嫌ね」

「そろそろ買い替えねえとダメかぁ? 密閉容器の未使用部品ばかりで揃えたんだぞ、もうちょい根性見せてみろっての」

「とっくに五十万は走ったでしょ……そうじゃなくてアンタよ、アンタ」

「分かるか? 良いことがあってな」

 私の真意を理解したノーマンは、もう口角が上がるのを隠そうともしない。さっきあった良いことを、聞いてもいないのにべらべら話し出す。

 まあ、彼の機嫌が良くなるものなんてたかが知れている。相方が半分も話し終わらないうちに飽きてきて、思わずため息が漏れた。それを聞いて相方が顔をしかめる。

「おいおい、そっちから聞いたんだろ。この奇跡の出会いに少しは想いを馳せろよ」

「今のはね……呆れの溜息よ。十年もくだらない夢を追ってる男と、それにダラダラ付き合ってる自分にね」

「どいつもこいつもつめてえ奴らだ! その十年のために俺ぁ命張ってんだ、絶対に叶えるんだよ! 絶対!」

 十年、十年と息巻かれると、自分で言葉にするよりうんざりしてくるから不思議だ。

 私に、アンドロイドに人口膣をつけて、抱く。金持ちのお遊びに真剣に人生かけた男がいると言って、いったい何人が本気にするだろうか。

 いや遊びに真剣なら可愛いもんだ。その夢のために今まで一人の女の子とも付き合ってないのだから、狂気がギャグをサイコものに変えてしまう。一体どうしてこうなった。きっかけはそれこそ十年前に遡る。

 さる十年前、売春宿の飾りとしてショーウィンドウに置かれていた私に、十三歳のノーマンという孤児が一目ぼれしたのだ。あんまりに熱心に見るもんだから、店主が言ってやったらしい。十万でどうだ、と。

 男児の性欲とは恐ろしい。一月としない間に十万を集めて――

「く、くく……」

 忍ばせようのない笑みが漏れると、ノーマンが窺うようにこっちを見てきた。

「絶対今碌でもないこと思い出しただろ」

「だって、いつ思い出しても笑えるんだもの」

 (このロボットを譲るには)十万でどうだ、と店主が言ったのをこの男ときたら、(この女の人を買うには)十万要るんだな、と勘違いしたのだから。

 初め聞いた時はおいおい、と思わず突っ込んでしまったよ。ずっとショーウィンドウで動かないんだから普通分かるでしょ?

「そもそもね、一晩十万もする娼婦を置く店が、小汚い孤児が近付けるような通りにある筈がないでしょう? ロボットに決まってる。もぉ~、馬鹿。馬鹿も大馬鹿」

 笑いながら肩を叩いてやる。むくれたノーマンは視線を荒野に釘付けにした。そういう所は永遠に子供なんだから。私の方を見ないまま弁解の言葉を並べる。

「ガキに相場なんざわかるわきゃねえ。人を買ったと思えば安いもんさ、十万なんて」

「人ねえ……首から下は皮膚がなくって、抱けもしなかったロボットが?」

「オリガ、お前が前に言ってたじゃねえか。自分には人間の記憶があるって。なら人間買ったようなもんだろ」

「あぁ、そういうこと……って、ちょっと!」

 いやな話の流れを切ろうとして、ノーマンがエアコンのボタンにかけた手を掴んだ。

「止めてよ、温度下げすぎ」

「たまにゃ良いだろ? そろそろ夏真っ盛りだしな」

「だーめ。嫌なら窓でも開けなさい。エアコンの風は健康に悪いのよ」

 サービス精神旺盛に猫撫で声で言ってあげる。でも十年も一途な男の執着は凄まじい。

「ロボット、ロボットってうるせえ癖に、愚痴だけは一丁前だ!」

 嫌味たらしくノーマンが言って、今度は私が機嫌を損ねる番だった。

「嫌いなのよ……寒いのは」

 自分でも目が覚めるくらい低い声が出て、ノーマンはそれで渋々ながらも諦めてくれた。

 少し申し訳ない気もがするけど……嫌いなものは、嫌いなんだ。

 寒いと思いだしてしまう。行ったことのない街、会ったことのない家族、覚えのない思い出。後ろから私を抱きしめる、あの人の大きな手。

 それは全部、私の記憶じゃない。私を作った奴らは、永遠の命の完成だとか言ってたけど、少なくとも記憶は私の中に私として定着していない。トラウマ、眠る私の枕元に現れる、死神以外のなんでもない。

 ……あれ、これいやな話切れてなくない?

「それで? 今日はどんな仕事なの?」

 と言っても私を起こした時点で判断はつくけど。ノーマンもそれを察してか簡単な説明だけに留めた。

「いつも通りだ。遺跡から出てきた無人機をボコして、暴れねえようにする。傷が少なけりゃ少ないほどいい。シンプルだろ?」

「要するに暴れるのね。いいわ、アンタが仕留めるまで精々弾受けになってあげる。そのためのロボットだし――」

 言いかけた言葉を飲み込む、というより飲まざるを得なかった。

 もうノーマンはむくれるなんてもんじゃなかった。親の仇でも見てるみたいな顔で前を睨んでいる。私は年甲斐もなく、伝導チューブの中身が空っぽになったんじゃないかってくらい、肝を冷やした。

「止めてよ……ほんのジョークでしょ?」

 本気で宥めにかかったけど、こうなったノーマンは言い訳なんか聞いちゃくれない。ただ一言、私が言わなきゃならない言葉以外は跳ね除けてしまう。

「……ごめん」

 小さい子供に戻った気分で言う。ノーマンはぱっと笑顔に変わった。

「びっくりしたか? お返しだ」

 何がお返しだ。本気だったくせに。苦笑いする私をノーマンはカラカラ笑ってエアコンのスイッチを切った。

 ホント、変な奴。ただのロボット相手にムキになって。そんなに嫌なら服従コードで二度と軽口が叩けないよう、私を弄れば良いだけなのに。ノーマンは主従登録すらせず私を野放しで放牧している。何かあった時の対処は叱る、この一つだけ。怒るだの叱るだのロボットにするのは、子供ならともかく大人がやっちゃあ……頭がおかしいって言われても否定できないわよ?

 でも……この永遠の十三歳児に私が付き合っている理由があるとすれば、そういう所にあるのかも知れない。

 不死身の兵士でもなく、死んでも替えの利く駒でもなく。一発やらせて欲しいなんて、下品で人間じみた要求をしてきたのは、他に誰もいなかったから。

 単純すぎて、我ながら呆れるけど……

「取り敢えず近場の街にでも寄って情報集めるか。どんな奴かもよく分からんらしい」

「良く分からない? それ大丈夫な相手なんでしょうね」

「なぁに、多少歯ごたえがあるくらいがちょうどいい」

 呑気なことを。言い返そうとした唇は強張った。

 前方、今から越えようとしていた丘の向こうに、黒煙がたなびいているのが見えて、いやな予感がしたから。

「ねえ、ノーマン」

 そう言って肩を叩いたら彼もひどく渋い顔になってた。

「今から行く街って……あの煙の方角にないでしょうね」

 ノーマンはただ、脂汗を流しながら瞑目するだけだった。

 ……だからどっちなの。




「まあ……お前さんの予想通り、行く街が燃えてたわけだが」

「最低ね……」

 街に着いた時、私たちはそうやって月並みな感想を並べるしかなかった。

 ホントに酷い以外の言葉がなかったんだ。左右に伸びる大通りを挟んで広がる市街が、半分以上灰に還っている。こんなの二百年でも数回あっただけだ。

 火山でも噴火したか、核爆弾を積んだ飛行機が落ちたみたい。そして執拗。敵が潜んでいそうな物陰に、これでもかってくらい弾痕が付けられている。

 もおね、私が教官だったら満点付けちゃう素晴らしいクリアリング。今日からあなたが先生よ、って言って昼間からビール飲んでいられるわ。

 ……ただ敵を探すだけのドローンに、こんな事が出来るの?

「まさかね……」

「ぼさっとしてんな。向こうで音がした、行くぞ」

 相方に促されて私は爆発音のする方へ走った。前は滑走路だったのかやけに広い大通りを渡り、路地裏を影から影に走って、敵の様子を窺える廃墟に身を隠す。

 敵さんは逃げも隠れもしないで、私たちの視界を悠々と横切った。

「作戦行動中……付近の住民は、避難して下さい」

 無感情な男性ボイスで世迷言を繰り返して、住人の隠れていそうな家を踏み潰してるんだから世話ない。

 よく見る奴だった。首のないダチョウみたいな身体に小さなおてて、あとドーム状の砲塔が機体上面に生えている。アメリカ海兵隊の主力二足歩行戦車だ。いつも相手にしてる獲物だけど……

「なぁんか、いやな予感すんのよね」

 ダチョウさんがしつこく車を踏み潰している様子に眉をひそめたら、ノーマンがいち早く反応してきた。

「どこが? いつものすっとろいカモじゃんか。そんなに怖えんなら同じロボットのよしみで帰って下さいとか頼んでこいよ」

「ムリムリ。あっちは米帝、こっちは露助。顔を見ただけでドンパチ始まっちゃう」

 融通が利かない無人機だからこそ、この稼業は成り立ってるようなもんだしね。害獣に言葉が通用するんなら狩人たちはお役御免だ。

「さあどうやって料理しましょうか……」

 無人機は目は良く見えるが音は聞こえない。なので盛大に独り言をつぶやきつつ、私が作戦計画を練っていたその時、

 無人機の死角を突いて、荷台に人を乗せたピックアップトラックが街の外を目指して走り出した。

「「……!」」

 私も、ノーマンも、声を出す暇もなかった。無人機は音は聞けないが目は良く見える。

 そして、見つけた獲物には容赦しないのが、奴らの流儀。

「無許可車両を発見」

 止まれとか警告もしない。無人機の主砲が火を噴いた。

 主力戦車の攻撃に民生の車両が絶えられるはずない。直撃を貰ってトラックは横転、荷台に乗ってた人達をばら撒きつつ、火達磨になりながら滑っていった。壁に激突し止まったトラックから人が飛び出す。炎を背負って喚いている人たちに、無人機はアームの機関銃を容赦なく撃った。

「許可証なし、許可証なし、許可証なし……」

 正確に、冷酷に、二百年前の許可証なんか持ちようもない人達が、紙人形みたいにバラバラになる。私たちは固唾をのんで見守るしかなかった。

 もう、こうなったら……止めに行くだけ無駄だ。私たちが助けに行くより早く、無人機は哀れな人たちをズタズタに引き裂き終える。そして無防備に姿をさらした馬鹿な私たちは次の砲弾の標的になる、それで終わり。

 一人大火傷を負った男が、ライフル片手に無人機に突っ込んでったけど、健気な抵抗者は無人機に頭を掴み上げられて宙づりにされる。

「許可証なし」

 一言告げて。無人機は男の頭をスイカみたいに握り潰し、捨てた。見てると吐き気がこみあげて、目を逸らしたくなる。壊れた殺人狂のロボット。あんなのがいつか、私が迎える結末の一つかもしれないと思うと、おぞましいったらない。

 私もいつか亡きロシアのために敵を撃つだろうか。

 隣にいる相棒を、その手で絞殺すのだろうか。

「つれえんなら見るんじゃねえよ」

 ノーマンの申し出に私は首を振った。

「大丈夫、こんな事で音を上げてちゃ……」

 窓のへりに掴まって、精一杯強がりの笑みをしてみせる。ノーマンの表情はそれで和らいだけど、外に視線を戻した時、私の強がりなんていっぺんに吹き飛んでしまった。

「待って、生きてるのが……!」

「どうした」

 聞かれても声が出なかった。トラックから放り出された生き残り、立ち上がった最後の一人に、無人機が逞しい両脚を踏み鳴らして近付いて行ったから。

 大人の死体の傍から動こうとしない、一人残された女の子の元へ。

「止めて……」

 小さく呻いて、握り締めた指は木の桟に食い込む。冷たい眠りの海の向こうから、いやな記憶が私のCPUに浮かび上がった。

 見たことない、でも確かに憶えている。私に微笑む子供たちの顔。私と同じ顔をした知らない人の愛情が、刃となって私を後ろから刺す。

 死んじゃう、あの子が。

 あの子って……誰?

 自然と息が荒くなる。彼も我慢ならなかったのか、自分のライフルを掴んで出ようとしたノーマンを、袖を掴んで止めた。

「駄目よ……行っちゃ駄目」

「はぁ? このまま指くわえて――」

「私たちが行ったら、あのダチョウ野郎問答無用であの子を巻き込むわよ……!」

 可能性ゼロの救出劇に命を賭けるな。低い声できつく釘を刺す。ノーマンはしばらく迷っていたけど、ケッと吐き捨てて私の隣に戻った。

 無人機が女の子の前で足を止める。その後の動向を私たちは暗い顔で見守る。すぐに撃たれる、そう思っていた。だけど違った。

「許可証を確認」

 無人機はそう言って、茫然自失の女の子からリュックを取り上げて引き裂く。ぶちまけられた玩具の中から無人機が拾い上げたものは、二百年前の許可証だった。

「名前、エブラハム・アダット。年齢五十六歳。渡航理由、亡命……」

 唖然とする私たちの前で、無人機は許可証の文言を読み上げて、用のなくなった証書を女の子に押し付けた。にこやかな声で一言告げる。

「良い旅を、市民!」

 押し付けられた許可証がポトリと地面に落ちて、女の子は眼で追うこともしない。去っていく無人機の背中を、口を半開きにして眺めてた。心が壊れて、泣くことも出来なくなった女の子の傍で、母親と思しき死体がぴくぴく痙攣してる。

 死臭蔓延る街の風景。素人なら見てるだけでひきつけを起こしそうな世界で、アルプスの牧場という曲のオルゴールが物悲しく鳴りだした。

 無人機は歌う。なんの穢れも知らない、少女みたいな声だった。

「こちらは、国連、平和維持軍です。現在、キャハダム空港の、警備任務中です。空港の、利用者は、本機の、妨害等せず、係員の指示に従い、列にお並び下さい。こちらは、国連、平和維持軍です。現在、キャハダム空港の、警備任務中です。空港の、利用者は……」

「クソォ!」

 叫び散らして、バレるのも構わず壁が揺れるほど殴りつけた。

 腹が立つ。見てるだけの自分も。狂った木偶の坊にも。

 何が国連よ。平和維持軍よ。あの恥知らず、無関係な子供の心を壊し尽くしてよくも! 私たちは二百年も前に世界を破壊し尽くしたのにまだ足りないって言うの?!

 地獄に落ちろ、科学者と政治屋ども! ただ落ちるだけじゃない、地獄の最も恐ろしく、寂しい場所へ……いやそんなもんで足りるかっ。願わくば奴らがもう一度生まれ変わって、私のこの手で、直接、地獄に送ってやる!

「始めましょう……ノーマン」

 ひとしきり怒ったあと、窓べりから離れて彼の方を振り返る。唇を固く結んだノーマンは小さく頷いた。そうでないと彼も怒りが爆発しそうな様子だった。




 場所の狙いはつけてた。奇跡的に二百年残った管制塔は空港中を隈なく見張れるし、利用しない手はないでしょう。

「着いたら合図するぜ。それまでちゃんと隠れてろよ」

 ノーマンは釘を刺すと、カスタムした対戦車ライフルを担いで階段を登っていった。

 今日日対戦車ライフルなんて主力戦車には効かないけど、彼の銃はロケットアシストモーターのついた弾丸を撃ちだす改造品だ。小さな弾丸で重要部品だけ撃ち抜き、ほとんど無傷な無人機を業者に引き渡す。そうやって私たちは稼いできた。

 私としては形が残らなくなるまで叩き潰してやりたい。でもそこはプロだから感情と仕事は分けなくちゃ。主人が撃ちやすいよう適度に相手を痛めつけて、狙撃しやすい場所まで連れて行く。それが私の仕事だもの。

 腹部のロックを外して、三本の電池のうち一つをとり出す。勿体ないけど、戦闘中に切れたら元も子もない。しっかり新品に取り換えロックする。

 ちなみに私の武器は素手だ。一応拳銃もあるけど、あのクソ鳥相手なら素手で飴細工みたいに引きちぎられる。良く出回ってる主砲くらいなら千切っても損失にならないから、盛大にもてなしてやろう。

 狙撃に適した地点で無人機を足止めし、後はノーマンが胴体中央にあるAIコアを撃ち抜いてフィニッシュ。シミュレーションを終わらせたところで通信が入った。

『準備OK、お好きなタイミングで』

 よし。気合を入れ直して私は路地裏を走った。無人機はひたすら同じメッセージをほざいてるから、いちいち場所を確認しなくていいのは助かるわね。

「こちらは、国連、平和維持軍です……こちらは、国連、平和維持軍です……」

 分かった分かった。もうすぐお仲間のところに送ってやるから。

 廃墟の壁に張り付く。場所は管制塔から通りを挟んで四百メートルってとこかしら。私に気付かない無人機がお尻を振って通り過ぎた。こっちに気付いて振り返るまでの隙で、私が取り付くには充分だ。

 改造ライフルがロケットの加速を利用するには、二百五十メートルは離れてないといけないから、これ以上近付かれるとノーマンの最大火力が出しづらくなる。限界を見定め、ノーマンに通信を入れた。

「合図するわ、準備良い?」

『いつでも』

「三、二、一、GO!」

 大通りへと飛び出した私に、無人機が振り返るのは早かった。

「許可証なし」

 冷酷に告げられ砲撃が来る。上体だけ屈めて躱す。機関銃の弾幕をジグザクに走って避けてから跳躍し、無人機の砲塔に取り付いてやる。狙いはもちろん主砲だ。根元を両手で抱えて、力任せに上に引っ張った。

「ぐ……うぅ……!」

 毎度毎度のことだけど、しんどいのよねぇこれ。飴みたいに引きちぎれるとは言ったけど、冷えて硬くなった飴って素人が切るのは大変でね……何の話だ、これ?

 関係ないことを考えてたら、下から弾丸が雨あられに飛んできて頬を掠めた。主砲の影で、無人機の小さなおててがウロウロしているのが見える。困るなぁ、人工スキンも結構高いんだよ。

 全力で主砲を引っ張りながら、無人機の機体の向きを確かめる。やっぱり管制塔から背を向けたままだ。怪しむだけの知恵はあるみたい。さすが遮蔽物を片っ端から踏み潰す陰険AIといったところか。楽に仕事は終わらせてくれないってわけね。

 でもさっさと決着付けないと。電池代だけで出費は馬鹿にならないんだから。へその下に力を溜めて、さらに強く引っ張り上げた。

「いい加減に……しな、さい、よ!」

 金属のひしゃげる音がしたと思うと、電柱みたいな主砲は直角に折れ曲がった。

 よし、これで第一段階はクリア。息つく暇もなく無人機の背後に降り立つ。無人機と管制塔で、私を挟み込む形を作る。無人機と言えば人間が焦ってるみたいに折れた主砲を振り回していた。

 今更焦ったって遅い遅い。射角が前方のみのマシンガンしか武器が残ってない時点で、アンタの負けは決まったんだから。

 ハンドガンを発砲。お尻を撃たれた無人機が慌ててこっちに振り返る。マシンガン内蔵のおてては胴体前方についてるから、いちいち機体を回さなきゃ背後の私を撃てない。そして無人機が機体を回す時、管制塔に正面を晒す一瞬を相棒は見逃さない。

『頭を下げてろよ』

 通信が入って屈めた私の頭上を、弾丸が噴煙を上げて飛んでいき、無人機の胴体ど真ん中に突き刺さる。

 爆発もなく、流血もない。ただフレームをギチ、ギチ、と地味に鳴らして痙攣する無人機は、糸が切れたみたいにその場に崩れ落ちた。

 復讐って言うには何だか物足りないわね。不服だけど、取り敢えず無人機のAIコアが破壊されたのを確認した私は、その場に座り込んで省電力モードに切り替えた。

 仕事は終わったし、これ以上電池を無駄遣いする理由はないから。感覚だけどもう半分以上使ったわね。主砲もぎ取るってのが燃費使うのよ。金を稼ぐならノーマン一人の方がもっと楽なんじゃないかしら……いや、間違いなくそうね。

「いい仕事だったぜ、相棒」

 私の憂鬱なんか知りもしないノーマンは笑ってそう言った。

「さあて、ね。仕事は良くても、私自体がいるかどうかは別でしょ?」

「なんだそりゃ。オリガ、お前が囮にならなきゃ俺は今頃塔の瓦礫に埋もれてたぜ」

「やっぱり……お金かかり過ぎるわよ。この方法」

「サボタージュかぁ? 流石に俺でもな、百五十万金掛けた武器をただしまって置くなんて出来ねえぜ」

 その金掛けた所ってのは、人工スキンとかマニキュアとか、何の戦術的意味もない無駄機能でしょうが……

「私向きの任務って街一個潰すとかだと思うのよ。こんなチマチマした仕事じゃ牛刀で鶏を捌くってもんだわ」

「奇遇だな。鶏とは五代前からの因縁があってなぁ、かっちょいい武器で捌いてやろうと思ってたところだ」

 まともに取り合ってはくれないわけね。溜息をもらす私をにやけ面で見守っていたノーマンは、無人機の状態を検めだした。

「うん。AIコアはぶっ潰れてんな。我ながらほれぼれするぜぇ。さっさと済ませて、さっきのガキ回収するとするか」

 ブツブツ独り言を言ってるノーマンの背中は私を完全に無視していた。もう話はこれきりだ、と。明朗さを装う外見に隠した、内に眠る頑固さは百万ドル積んだってどうにもならないだろうな。

 前にも……こんな話をしたことがあった。賞金稼ぎを始めたばかりの頃、中々黒字にならない状況に業を煮やしたノーマンに言ってやった。私とその珍妙な改造ライフルを売り払って、射程の長いスナイパーキャノンでも買いなさいって。

 その方がお金が貯まるのも早いし何より、安全だから。

 私という無駄な出費の割にこの戦い方はリスクに見合わない。ノーマンの命っていう、最も重いリスクが常に危険に晒されている。私なんかアンドロイド買って、顔を変えればすぐ手に入るんだから。そう、言ってやった。

 私は相棒の執着心を舐めていた。見た事もない顔で睨んできたノーマンは、言い訳も許さず私の電源を切った。

 最初は馬鹿なガキだとしか思わなかった。けど……視界が閉ざされる間際のノーマンは、怒っているというより泣き出しそうな顔になっていた。遊園地で手を離された迷子みたいな、絶望の顔……どうしてあんな顔をロボットにしてしまうんだ、あいつは。

 あの顔を思い出すと、ノーマンの執着心が十万払った意地からって持論が、ただの願望でしかないんじゃないかって、時々思う。

 でもそんなはずない。変人として有名になる前は、ノーマンだって友達と一緒に女の子と遊んでたんだから。人間とロボットが結ばれるなんて、頭のおかしいアニメシュニキ(オタク)の夢よ。健全な愛とは人間に向けられると、聖書にだって書いてある。

 私だってそんなもの望まない。誰かと付き合うってことは、眠るまでの間に憂鬱にさせられる心配事がたくさん増えるってことなんだから。エアコンみたいに、スイッチ一つで自由自在って訳にはいかないんだから。

 今日の仕事でお金は充分貯まるはず。ノーマンは何回か私を抱いたら飽きて、私を珍妙な金持ちに売り払う。そして女の子にプレゼントを買うため新しい武器を買うの。ちょっと遅れたけどその方がいい、そうあるべき……まだ間に合ううちにそうするの……

 弱い私じゃ……決められないから。

「なんか今日は機嫌わりぃなお前。どうした、あの日か?」

 クソみたいな冗談を飛ばす相方に舌打ちしてやる。このガキは、人の気も知らないで!

「ノーマン、私が節約家で良かったわね」

「でなかったらどうするんだ? 首の骨でも折るか? 怖えぇ……」

「ちゃんと話を聞いて欲しいだけよ……それだけ」

「あとでな、仕事が終わってからな」

 何があとなもんか。終わったら電源切ったままにしておく癖に。私は頑固な相棒から視線を逸らす。

「!」

 新たに視界に入ったものは、私の背筋を凍り付かせた。

 ゆっくりと。フレームの軋む音すら立たない、ゆったりとした速度で、無人機のアームが私に機関銃の狙いを付けている。

 何故? AIコアは確かに……そんな事より動力の復帰を……駄目、間に合わない! こんな距離でくらったらさすがに私でも無事じゃすまないのに!

 あまりの恐怖のせいで喉は潰れていた。コイツ、無人機のヤツ、絶対に今意識を取り戻したんじゃない。狙って倒れてた、私たちを罠にはめようとして。

「許可証……なし」

 照準を無人機が定め切った時、恐怖で潰れた私の喉から出たのは小さな、短い音だった。

「ノーマン……」

 目を瞑ると同時に発砲音がして、私は後ろに吹き飛ばされる。壁に叩きつけられて頭をしたたかに打った。

「……っ!」

 頭のAIが揺さぶられる……でも、変ね……全身に痛みが回るはず、なのに……

 無人機の狙いが……それだけ正確だったの? 有り得るか、多分……アイツは……

 何故か残っている目を、恐る恐る、開く。

 やっぱり、何かがおかしいわ。私の上に、何か乗っかって……赤い、何か!

「! ……いや、嘘よ、そんな……ノーマン!」

「ゴホ……無事、だな」

 どうして……声は出せなかったでしょ、何で居るのよ……!

 背中を真っ赤に染めたノーマンは私の頬を撫でたきり、動かなくなった。

 考えがまとまらない。すっかり混乱しきった私を横目に、無人機はゆっくりと余裕をもって立ち上がる。快哉とばかりに天を仰いだ。

「キャハハハハハハ!」

 それは聞く者全てが戦慄する、悪魔みたいな高笑いだった。

 故障じゃない、確実に笑ってる。天を仰ぎ、次には体をくの字に折るように屈めて、小刻みに震えているのは、酒の席で笑う親父そのものだ。

 ぐちゃぐちゃに湧きだす考え事がいっぺんに吹き飛んだ。空っぽになった頭の中に私は、本能的に今やるべきことを詰め込む。

 通常動力に復帰。ノーマンを担ぎ、彼のライフルをもって、無人機に背を向けて全速力で駆けた。

「キャハハハハ!」

 無人機が横薙ぎに放った弾幕が、私の周囲に突き刺さる。

 いえ違う、あいつワザと外した。いたぶるため、無様に逃げ惑う姿を楽しむために。

「冗談じゃないわ!」

 吐き捨てて、まだ無事な路地裏に入る。無人機は障害物なんて気にしないで、土で出来た家を踏み潰しながら追ってきた。呪詛を吐いて回りながら。

「こちら! 国連! 平和維持軍です! こちら! 国連! 平和維持軍です!」

 そう言って放ってきた弾丸はやっぱり私のギリギリを避けていく。

 こんな悍ましいモノ、本当に人間が考えたの? 死んだふり、狩りの成功で高笑い、獲物をいたぶる。どれもただの無人機に出来るはずない! やっぱりアイツは私の同類なんだ。悍ましい、イカレてるなんて言葉じゃヌルすぎる。おかしくなって当然だ。

 戦車に人間の記憶を閉じ込めるなんて……!

「センパーファイ! センパーファイ! センパーファイ! キャハハハハハ!」

「まさに身も心も……って、ヤバ!」

 走って抜けた先は袋小路、というより家に囲まれた小さな広場になっていた。マズい。上に飛んだら絶対撃たれるし……考えてたら、無人機が土の家を強引に突き破って追い付いてきた。

「フー……! フー……!」

 呼吸もしないくせに体を上下させてる。激しすぎるアプローチに私は後退ると、ブーツの踵に何かが当たった。これは埋めた土管……いえ枯れ井戸!

 光明が差した思いだった。同時に無人機も狙いを付け終わる。

「良い旅を、市民!」

「そりゃどう、も!」

 腰のベルトから閃光手榴弾を抜き、投げると同時に井戸へ飛び込む。頭上で閃光が瞬き、耳を突き抜ける高音に混ざってハンターの悲痛な叫びが聞こえた。

「ギャアアア! アアアア!」

 辺り一面にぶちまけてるだろう銃声を背中に聞きながら、私は地の底へと降り立った。




 壁際に寝かせたノーマンは意識がなかった。背中の傷は引っ掻いた程度だけど、脇腹の傷が致命的で止血帯がすぐ赤く染まる。

「ノーマン! 目を開けて、ノーマン!」

 叩く、揺する、耳元で叫ぶ。良くはないけどやるしかなかった。目を覚まして貰わないと、治療しても意識が持ってかれちゃ意味がない。

「起きなさい! 返事をして!」

 どうして嫌な予感ばかりが当たるんだろう。傷を押さえながら辟易する。最初に見た時におかしいとは思った。確信がなくても話してさえいれば……知ってさえいれば、ノーマンはやられるような奴じゃないのに……! どうして黙ってたの……! 笑われたって良いじゃない! 杞憂ならなおさら良かったじゃない!

「お願い……何か喋ってよ、ノーマン!」

 もう神でも、何でもいい。少しはこの無垢な馬鹿を助けてよ。

 祈るようにノーマンの脇腹を押さえていた私は、もう片方の手で彼の手を握った。

「ノーマン、分かる? 無駄に高いのを選んだ人工スキンの感じはどう? 本物みたいにすべすべでしょ……アンタの十年分の稼ぎの感触よ!」

 とにかく意識を戻さなきゃ。安心させようと必死に笑って話しかける。

 なのに涙が……止まらない。クソ、なんて忌々しい無駄機能なの!

「全く大したもんよ……ねえ、憶えてる? 初めて私が起きたときのこと」

 涙交じりの声で、引きつった笑顔で言ってやる。

「目覚めた私にアンタ、初っ端で言ったわよね。“お願いします一発ヤらせて下さい!”って。私もう面食らっちゃって、呆れて何にも言えなかった」

 彼の頭が下がったのは、頷いたからではないだろう。

「ムードも何もあったもんじゃない。生身の女だったら、張り倒されてもおかしくない台詞を恥ずかしげもなくさぁ! あんな必死な人間、始めてみた」

「……」

「少しずつ、両手の皮膚から買ってさ。それから胸とか、背中とか、お尻とか、壊れたらその都度買い直して……私が出来上がるよりアンタが死ぬ方が先だと思ってたわ」

「……」

「なんてイカれたガキだって、ずっと馬鹿にしてた……でもアンタが正しかったわ。皮膚があると触るアンタも違うんでしょうけど、触られる方も……違う」

 初めて両手の皮膚が揃った日にノーマンがお願いしてきた。腕枕してくれだって。

 おいおい私は母親かよって文句を言いたくなったけど、しまりの悪いことに嵌ったのは私の方だった。

 皮膚越しに伝わってくる髪の感触。呼吸に合わせて変化する子供の頭の重さ。誰かの記憶の中で味わうしかなかった感覚を、永遠に手に入るはずのない思い出を私はアンタのおかげで所有出来た。

 そうやって一歩一歩、惨めさしかくれないトラウマを、私は誰かのアルバムの一ページに変えて救われた。眠りに就く恐ろしさを和らげてくれたのはノーマン、アンタなのよ!

「百五十万で救われたのはアンタじゃない、私よ! まだアンタはなにも元を取っちゃいないじゃない。全部全部私の利益よ、アンタは丸損ね! 悔しい? だったらこんな所で寝てんじゃないわよ、一発ヤるんでしょ!」

 こっちは捨てられる前にやりたいことが、やらなきゃいけないことがあんのよ!

「私に何も返させずに死ぬなぁ!」

 ……もう、これ以上はないくらい喋り倒した。でもノーマンの目は閉じたまま。

 笑ってるのももう、限界……

「う……うぅ……ノーマン……」

 堪えきれず嗚咽を漏らして、離しかけた手が強く握り返された。

「ノーマン!」

「……ったく。とんでもねえ、ロボットだ……人のこっぱずかしい話を、べらべら……」

 薄目を開いて力なく笑ってたノーマンはすぐに顔をゆがめた。

「イデデデ! 馬鹿オリガ! 強く握り過ぎだ!」

「あ! ごめん……」

 ハッとして止血してた手を離した。変わってノーマンが脇腹を押さえつつ、部下のロボットに殺されちまうとかぼやいてる。フン、知らないわ。心配させる方が悪いんだから!

「だがまあ、助かったぜ。元も取らねえで死なずにすんだ」

「応急処置よ。ちゃんと処置しないともたないわ……上の奴を何とかしないと」

 言って頭上を見上げた時、銃声が枯れ井戸の中を木霊した。

「センパーファイ! キャハハハハ!」

 命を刈り取る悪魔の叫び声。憎くて、殺したくてたまらなかった笑い声だったのに、今の私には悲痛な叫びにしか聞こえなかった。

「お並び下さい! 列に! 指示に従い! 列に! 係員の! 列に!」

 あの野郎はきっとあの人にも、ノーマンにも出会わないまま、たった一人で二百年生きてきたんだ。あんな怪物の身体に入れられて、ホントにぶっ殺してやりたい奴らはとっくの前に死んで、人間扱いもされずに狂ったのね。

「やっちまうのか?」

 ノーマンの質問が初め私には理解できなかった。

「仲間みてえなもんだろ」

「気付いてたの?」

「今のお前の顔を見て何となくな」

「……えぇ。仲間みたいなものかもね……」

 私はノーマンの穴の開いた脇腹を凝視していた。

 戦前の記憶の中で、私が持っている数少ない本物の記憶に出てくるあの人も、最後はこんな風に倒れていた。私を後ろから抱えて、敵から庇ったあの人は虫の息で謝ってきた。

――悪かった。君をこんな目に遭わせて。悪かった……!

 こんな目に、か。自分の妻の記憶を植え付けられたロボットは、彼にとって哀れな実験動物でしかなかった。それが一番私を惨めにさせる言葉だとも知らずに。

 誤解を解く暇もなくあの人は死んだ。また同じことが起きるぐらいなら、私はイエスでもブッダでも殺してやる。

「それに、私があの無人機に出来るのは、終わらせてやることだけよ」

「そうか……なら、行ってこい。終わらせてやってこい」

 脂汗を流してノーマンは微笑む。私が負けるとか死ぬとか、鼻から信じてない顔だ。だから不敵な笑みで答えてやった。

「行ってきます」

 ノーマンのライフルを掴み、地上へ向かって一気に跳躍。かび臭い空気が一気に晴れて、砂に侵された地上へと飛び出した。

 高度三十メートル。敵は下方一時の方向。早いわね、もう私の方に機関銃を向けていた。

「キャハハハハ!」

 無人機へライフルを構え、発砲。反動で後ろに半回転する私の背中を、無人機の弾丸が掠め飛んでいった。

 この距離じゃロケットモーターの補助は期待できないけど、機関銃を壊すだけならその方が都合がいい。

 もう半回転。姿勢を戻して成果を確かめた。よし! 無人機の片手に損傷確認! めげずに残った片手の機関銃をこっちに向けて来るけど、

「もう終わりよ!」

 発砲。素早く一回転して着地する。よし、どっちの機関銃も潰せてる。ライフルをおいて無人機へと一直線に肉薄した。脳味噌があるとすれば一番装甲が分厚い所だ。すなわち、砲塔の中!

 武器を全部奪われた無人機はさっきみたいに狼狽えたりしなかった。アームで自分の主砲を掴んで、思いっきり下に引っ張り出す。バギン、と金属の捩じ切れる音がした。

「うっそぉ……」

 足は止めなかったけど、目の前の光景に私は瞠目した。

 無人機のやつ、壊れた主砲をもぎ取ってでっかい棍棒にしちゃうんだもの。こんな柔軟性、タダのプログラムが持ってたらそっちのが恐ろしいわ。

「ギャアアアア!」

 上段に棍棒を振りかぶって無人機も走ってきた。さっき上に飛び乗られたから、私がジャンプしたら叩き落としてやろうってわけね。

「甘いのよ!」

 棍棒が振り下ろされる、一瞬先に私はスライディングで無人機の股下を潜り抜ける。

 砂を浴びながら背後に回って再び跳躍。砲塔上に降り立ってハッチに手をかける。力任せに引っ張り上げた。

「ぐ……ああ! かった、い!」

「ギャアアアア!」

 悲鳴を上げる無人機のアームが、私を八つ裂きにしようと下から伸びてくる。でも遅い、がっちりロックされてるハッチを私は何とか引きちぎった。

「はぁ! あった!」

 大砲と砲弾しか詰まってないはずの砲塔内部で、明らかに異質なゲーム機大のマシンケースを掴み上げる。極太のケーブルに繋がったそれを私は胸に抱えると、無人機がさらに暴れたせいで砲塔から足を滑らせた。

「ちょっと! 待っ――」

 背中から地面に落下した時、AIコアに繋がっていたケーブルの幾つかが千切れた。

「ギャ……! ギギ……!」

 それはきっと、運動系と視覚系のケーブルだったのだろう。

 無人機の目の前に落下したはずの私だったが、無人機の方は足を痙攣させるだけで一歩も歩いて来ない。すぐ伸ばせば私に届くアームも必死に辺りの地面を探っていて、視覚センサーが機能していないのは一目瞭然だった。

 不気味より、同情の方が勝った。盲目の人間を弄ぶのは私の趣味じゃない。見てるだけで猛烈な自己嫌悪が襲ってくる。

 もうさっさと終わらせよう。ケーブルを足で挟み、マシンケースを思い切り引っ張った。激痛でも走るのか、無人機の震えが大きくなる。

「ギャアアアア! ギャアア――!」

「恐がらないで!」

 一喝したら、びくりとして無人機は止まった。やだ、聞こえてんの?

 何でも良いか。とにかく終わるまで暴れないようしなきゃ。必死の思いで喋り続けた。

「死ぬんじゃないの! 帰るのよ、家に! もう帰って良いの!」

「……カエ、ル……?」

「そうよ……! どこの出身か……知らないけどアメリカの、アンタの家に帰るのよ! 田舎のガレージ付きの家に、私も見たわ! 映画だけど!」

 まさしく映画のように、またあの嫌な記憶が浮かび上がる。

「いつも遊んでた湖に!」

 モスクワ市内の集合住宅。住所だって憶えてる。

「子供のころの友達のところに!」

 私へのプレゼントを片手に、迎えてくれた子供たち。

「ミートパイを作ってる母親と、休みだからって飲んだくれる父親のところに!」

 誕生ケーキの材料費に頭を抱える母さん。休日昼間から飲んだくれてた父さん。

「残してきた恋人のところに!」

 父さんの相手を、飲めないのにしていたあの人の苦笑い。

 私たちには永遠に手に入らない故郷へ。でも心の中に確かにある故郷へ。

 私たちに唯一残された、偽りの故郷へ。

「さあ……帰りなさい!」

 一際力を込めて思いっきり引っ張る。ブチン! という無理矢理な手ごたえがして腕は軽くなり、私はマシンケースをはるか遠くに放り投げてしまった。

 地面に叩きつけられ、バラバラになったケースにはケーブルがついてない。制御AIを全部失って無人機は前のめりに、私の方へ倒れ込んだ。

 地響きと一緒に巨体が砂にめり込む。無人機に残った意識の残滓なのか、アームは何かを探すように辺りを這いだした。

「マ……マ……」

 行くあてもなく彷徨う彼の手を、私はしっかりと握ってやった。

「お帰り、ぼうや」

 呟きが荒地の乾いた空気に染みて、全ての音がなくなった。

 力を失ったアームを離す。バサッと音を立てて砂に埋もれたアームに、命はもう残ってなかった。

 重い体を何とか立ち上がらせる。風で砂が地面に擦れる音さえ聞こえる静寂は、死者が蘇らぬよう強く地面へ押し付けるような強制力を感じさせる。

 優しい静寂が、やがて彼の狂気も思い出も包み込むだろう。どこかにある彼のための国に、連れて行ってくれるだろう。

 ……ちょっとだけ、羨ましく思った。

 無音。生きるもののなき無音。下手すれば私も連れて行かれそうな、無音。

 でもまだよ。私にはまだ、やることがある。

「ノーマン……」

 踵を返し、枯れ井戸の方へ踏み出した足は、

「……!」

 力を失くして、私はうつ伏せに倒れ込んだ。

 顎をしたたかに打つ。そしてまた、砂の擦れる音。

(……あぁ、そっか。電池の残量、気にしてなかったな……)

 伝導チューブからエネルギーがなくなるのを感じる。その隙間に冷たい水が満ちていく。冷たい眠りの海がチューブから染みて、私の全身を覆いだす。

 いや、違うな。これも私の記憶だわ。戦前の、本物の記憶だ。

 海の上の……小さな島にある研究所だ。戦う時以外に、起きることを許されなかった私の記憶だ。

 唯一の例外は、あの人がいる時だけ。

 あの人の手が私のスキンを外して、中身を隅々まで検査する。家族の話をしながら。私に許された唯一の安息の時間。

 いつ帰るの? 私が聞いて。もう直ぐだよって、返すのがあの人。

 今日帰れる? 私が聞く。いつかね。作り笑いのあの人が返す。

 明日は? 私が聞く。もうちょっとだ。苦笑いのあの人が返す。

 明後日でしょ? 私が聞く。すぐだ。無表情のあの人が返す。

 信じてた。無邪気に馬鹿みたいに信じてた。いつか約束が守られて、うちに帰れるんだって私、信じてたのに……信じてたのに……!

(一人は、いやよ……一人、は……)

 起きなきゃ……行かなきゃ……

 助けて……ノーマン……




 床が、確かに震えた。

(……人?)

 もう目に回す力がない。

 でも大きい。人が歩いてるんじゃない。

 地面を叩く。強い。小刻みに。近付いてる。排ガスの臭い。

 ……ノーマン?

 近くで止まった。砂利を踏む音。今度こそ人。

――おい、無事か。

 くぐもってる。不明瞭。電源が切れかかってるから、か。肩を揺さぶってくる。荒っぽい。誰?

――損傷はない……電池切れか。

 誰なの? 

――さあお姫様。白馬の王子様が迎えに来ましたよ。

 あぁ……その軽口……

「ノーマン……でしょ」

――酷いもんだな。最後まで電池使い切っちまうとは。オマケにこの大怪我、治療費だけで損益だぜ。目も当てられん。

「お互い……さまよ……」

――賞金稼ぎは、もうちっと金回りの良い商売なんだがな。まあ説教は後だ。せーの!

 地面を離れる。抱き上げられた。

 指に触れる。布。ボタン。摘まむ。

――よし、と。じゃあしばらく待ってろや。

 シート。いつもより柔らかい。指……離れる!

 待って。あと、ちょっと……もう少し……

 ……

 ……寒い。

――今日は暑いな。オメエの相方連れてくっから、クーラーで涼んでリラックスしな。

 いや、よ。待ち、なさい。ノーマン。

 クーラー、なん、て……いらな、い。

 ここは、寒い、わ……寒す、ぎ、る……の……

 ……




 トレーラー。ストーカーの武器店の在庫に囲まれたテーブルで、ノーマンは親友と一週間ぶりの夕食をとっていた。

「コーヒー、おかわりいるか? 無料だぜ」

 ノーマンはしかめっ面で拒絶する。拒絶した相手、ストーカーも魔法瓶を置くと、しかめっ面でノーマンの反対側の席に座ってきた。

「釣れねえなノーマン。オメエを手術して、相方を運んでやった恩人だぞ。少しは愛想良い振りしろよ」

「その恩人が……悩みのタネでね」

「オメエが招いたコストだ。自分でどうにかしろ」

 声は刺々しいが、ストーカーはそれ以上責めようとはしなかった。

 同情されている。こうなると八つ当たりしてる自分が惨めでしょうがない。親友にすっかり弱点を知り尽くされているノーマンは、テーブルに突っ伏し溜息をつく。

(最悪だ……)

 起きたばかりに聞かされた報告が夢であって欲しかった。標的は損傷がひどく、いつもよりずっと安い値段で買い叩かれていた。それだけならまだましだが、今回は利益の減少に電池四本分の代金、治療費、オリガの整備費と経費が積み重なって赤字だ。

 友達価格で治療費が安かったのが救いか……どちらにせよ金は足りない。そしてストーカーは今夜この場所を発つという。何という、不運。

 いや不運なんかじゃない。ノーマンは頭を振って愚かな考えを振り払った。全ては自分の油断から来ていたのだ。

 あの無人機が人格入りだとか、そうでないとか関係ない。パーツが入ったと聞いて舞い上がり過ぎた。明日の事ばかり考えて、今を疎かにした愚か者の、当然の末路だ。

 自分がもっと慎重に立ち回っていれば。撃破確認をオリガに任せていれば……!

 今頃目当ての物を手にしてウハウハで帰ってた。

 オリガをあんな……悲しませる事もなかった。

 相棒には後でお叱りを受けるとして……ノーマンは今後の事に頭を悩ませていた。

(どうする……まさか金が入るまでいてくれなんて言えねえし。ストーカーについて行くか? いや行った先に獲物がいるとは限らねえ……)

 良い友達だがストーカーも商売人だ。絶対に買うからその商品取っといてくれ! なんて甘い言い訳は通らない。在庫はどんどん売っていかないと赤字でしかないからだ。

 一ヶ月、二ヶ月は大丈夫だろうが……それ以上となると……都合よく会えるとも限らない。それだけあれば、パーツを買うもの好きも出てくるだろう。そしてまたパーツが見つかるまで、ノーマンの長い長い放浪が始まるのだ。

「硝子のハートの割れる音が、聞こえるようじゃねえか」

 頭を抱えるノーマンにストーカーが言った。友達の不幸を楽しむような響きがあったが、今のノーマンにはどうでも良かった。笑いたきゃ笑えと投げやりな気分だった。

 あぁ……全部うまくいきかけていたのに……あと少し、ここまで来て、チャンスは砂のように指の隙間から零れた。零してしまった……!

「クソォ……クソ! 手が届きそうだと思ったらこれだ! ザマぁねえや……」

 顔から血の気が引いていく。他人事みたいに言わなければ受け入れられなかった。憔悴しきったノーマンは黙り込む。

 ファンが回る音がトレーラー内に木霊する。ストーカーがご機嫌に鼻を鳴らす音が響いたのは暫くしてからだった。

「兄弟よ、気を落としなさんな。少なくとも街の住人はお前達に助けられたんだ。子羊の善行を神は見てらっしゃる」

「俺は賞金稼ぎだ。神は金、それだけ!」

「言うと思った。なら、オメエの信心深さを、神に見せてやろうじゃないか」

 言うとストーカーはテーブルの下に手を入れ、クリスマスプレゼントを勿体ぶる父親みたいな手つきで小汚い袋をテーブルの上に置いた。

「コイツは?」

 ノーマンが訊ねても、ストーカーは首を振るだけだ。

「言ったろ、ノーマン。オメエの神様だ」

 暫く呑み込めなかったノーマンは、やがてハッとして袋をひっくり返した。

 落ちる。落ちる落ちる落ちる! 袋の底から銭の山が転がり落ちる。クロム貨、ニッケル貨、タングステン貨。金貨もいくつか混じってる! とてもガラクタの無人機を売った程度じゃきかない量の大金にノーマンは目を剥いた。

「んだこりゃ……悪い夢か?」

「街の住人たちが置いてったぜ。あの無人機、街の用心棒を全滅させたらしいからな。英雄へのささやかな贈り物さ」

「ささやかだと……あぁ、神様……」

「前金の意味もあるらしいがな。新しい用心棒が来るまでオメエ達を雇いてえと。こんだけありゃあの玩具も……おい、ノーマン。聞いてるか?」

 ストーカーの言葉はもう届いていなかった。ノーマンはポカンと口を開けて、手元の神様を新種の動物を見るような目で見つめる。

 金。あれほど欲した金。十年来の夢を叶えてくれる存在を手にしたのに、心に広がるのは喜びというよりむしろ、戸惑いの方だった。十年かけたビックプロジェクト、その終わりがこの狭苦しいトレーラーの片隅か。こうもあっさり。

 分からない。ノーマンにも自分が何を期待しているのか分からなかった。

 終わってしまう、その事実を反芻し続ける。

 終わる。終わる。ここで全部、半生を賭けたものが成就する。されてしまう。

 苦難の旅路の走馬灯など無かった。ただいつも、助手席で微笑んでいた相方を思い出す。

 オリガ……手間のかかる相棒を手元に置いてる言い訳は、今ここに潰えようとしている。

「おぉい、どうしたんだボケェッとして。撃たれて頭でもやられたか? やっぱりこの金はスナイパーキャノンに変えた方がいいぞ。TOWランチャーでも良い。対戦車ミサイルで五キロ先から敵をボォン! 木っ端微塵だ」

 勝手に盛り上がり出すストーカーが金に手を伸ばしてきた。不躾な手をノーマンはさっと払い除ける。

「馬鹿! 一発五十二万のミサイルなんぞ使ってたら、赤字垂れ流しじゃねえか!」

「チッ、息を吹き返したか。で? お求めの品は何でごぜえますか、ノーマンの旦那」

 俺が求めるもの、か。暫く唸っていたノーマンは、渋々言葉を紡いでいった。

「俺……俺に、必要なのは――」

 もう、言い訳はできない。彼女にも。自分にも。どうする……




 眠りの海は、その日ちょっとだけ違った。

 なんて言葉にしたらいいんだろう? 氷みたいだった水温がちょっとずつ温まって、私の精神は温かい手の平に包まれて、ゆっくりと浮かび上がる。

 いつもの無理に流し込まれる感じじゃない。エネルギーはむしろ、私の中から湧き上がってくる。お腹の中から滾々と、無尽蔵に。

「……」

 浮き上がる。視覚センサーは良好。今日は電池が切れてから一週間後。

 瞳を開く。最初に見えたのは褐色の制服、錆の目立つ金メッキボタン。

「……ん、動作に問題はねえな」

 私を見下ろしてそう言ったのはノーマンではない。機械油の染みた、朝鮮人民軍将校の制服を着る東洋人の男だった。

「って、わぁ! だ、誰?! えと……チョウム ペプケッスムニダ?(初めまして?) ドンシ(同志)」

「あ? 何だって? 悪いが学はないんだ。イングリッシュ! プリーズ!」

 ノーマンと同じ、育ちの悪そうな下町英語で私は男の正体に気付いた。

「もしかして、ストーカー?」

 落ち着いて辺りを見る。たしかに見たことがある部屋ね。壁にガラクタを飾った三畳の狭いベッドルームは、目の前のジャンク屋の物で間違いない。

「随分久しぶり、ね……」

「こっちはそうでもねえが……あ、そうか。俺が会う時は大抵寝てるもんな」

 合点がいったとストーカーが手を打つ一方、私は再会を喜ぶどころではなくなる。ある……違和感というか、押し寄せる羞恥の前兆みたいなものに怯えていた。

 ストーカーの着ている服のボタンだ。今どきの戦闘服に金ボタンなんて使わないから、あの時私を回収したのは確実にノーマンじゃない。

 とすると何か? 私がノーマンだと思って甘えてたのは勘違いか? うわぁ、はっず! これストーカーにバレてないよね? バレてないって言ってよ神様!

「何を悶えてんだ。寝顔を覗かれたのがショックだったのか?」

「人を初心な小娘みたいに言わないでよ……」

 初心でないのは記憶の中だけだけど。

「でもなんで電源なんか入れたの? 電池の無駄じゃない」

「なんでだと思う? 全く馬鹿な奴だよお前の主人は」

「意味が分からないんだけど……どういうこと?」

「本人が直接言いたいんだとさ。最後の仕上げもな」

 何も要領を得ないわね。勿体ぶってないで言いなさいよ。

 ケチな商人の煮え切らない態度に悶々としてたら、これも勿体ぶってストーカーの背後の扉が開きだす。後ろ手に手を組み、二人だけでも狭い部屋に押し入ってきた人間に、私の意識は完全に覚醒した。

「……ノーマン」

「おはよう……オリガ」

 ノーマンの微笑はいつも通りの変わりないものに、外面は見えた。

 でもやっぱり、何か違う。私が思ったのは機械としての緻密な観察眼でも、兵士としての経験のせいでもなかった。強いて言うなら、女の勘? そんなものがあれば、だけど。

 口から覗く歯がいつも以上に光って見えた。目は……そうね、何かを防いでいる感じ。脳から溢れる感情が、眼窩からあふれ出して暴れるのを、必死で押さえてるみたい。

 暴れる先は……もう勘なんて関係ないわね。そう、そう言うことなの。

 私の勝手な想像はきっと間違ってない。

 どうしよう。思わず目を逸らした。どんな顔をしたら良いか、分からなくなっちゃった。

「十年の青春をこんなことにねえ。ケチなジャンク屋には一生分かんねえな」

 皮肉交じりなストーカーの声がして、彼は一人ベッドルームを後にする。途中で止まって、ぼそりとノーマンに話すのが聞こえた。

「……部屋にこぼしたら殺すからな」

「い、言われなくてもわあってら! ……すまねえ」

 しおらしいノーマンに、ストーカーはフンと鼻を鳴らして歩き出す。

 私としては……出来れば今は此処にいて欲しいというか……でも、見られたいとかそう言う訳じゃないんだけど……あぁ、行っちゃった。

 堪らなくなって袖を握り締める。でも握ったら余計に緊張が高まる気がした。張りつめた空気が部屋を包み込む。ノーマンが今どこを、何を見ているのか、気になって仕方ない。

「……オリガ」

「な、なによ」

 ギクシャクして、ついつっけんどんな言い方になってしまった。

 ノーマン、そんな捨てられた子犬みたいな顔しないでよ。ていうか女の子とそういう事するのアンタの方が慣れてるでしょう? なんで私にリード期待するの。止めてよ、ただの耳年増に過ぎないって実感し始めたんだから。

 怖い? 嬉しい? 自分の心が見えない。そんな単純な話じゃないような気もするし、その二つだけがぶつかり合ってるだけな気も……あああぁ! もう、分かんない……

「ふ、服って……脱げばいいの?」

 観念して訊ねたら、ノーマンの笑みから緊張が和らいだ。

「じっとしてろ、俺がやる」

 そう言われ伸びてきた右手に私は抗わなかった。羽毛より軽く肩を押してくる手に従って、近くにあった椅子に静かに腰を下ろした。下ろしたら、少しだけ余裕も出来た。

 安堵する、て言うのが、今の私にはしっくりくる、と思う。嬉しいより、怖いより、相棒が十年の野望を叶えたって事実に、心がぎこちなく震えている。

 あぁついに……やったのね、ノーマン。アンタは成し遂げたのよ。

 馬鹿げた夢かも知れないけど。誰にも褒められないかも知れないけど。十三歳の子供の物語を一番近くで見続けて、その終わりまで見れた。いう事は何もないわ。何も……

 何もない……そうでしょう? これで満足、満足……

(……やっぱり、無理か)

 ちょっと長く……深く居すぎたのかな。十年も一人の主人についてたのは初めてだし。倉庫で埃をかぶってる時間のが私は長かったから。

 でもこの先に待っている未来の想像は、そんなに嫌ってわけでもない。

 ノーマンは私を抱いて、暫くしたら私を売り払う。そして新しく買った武器でお金を貯めて家族を作って暮らす。傍に居るのは私ではないけど、そんな未来が彼に待っているってだけで充分だ。

 美しい夢は夢のままであって欲しい。彼の未来が壊れてしまう、救いようのない結末を見てしまうくらいなら、ここでお別れするのも悪くない。

 欲張りはいつか自分の欲に刺される。二百年で学んだ最大の教訓だ。だからこれで……良いのよ。

「ところで、さっきから隠してるのはなに? もしかして、お姉さんにプレゼントとか?」

 とっくに化けの皮は剥がれてるんだけど、私はいつもの調子を装った。ノーマンは言われて渋い顔になると後ろめたそうに俯く。

「いや……悪い。いつかちゃんとしたモンを――」

「う、うそうそ! ごめんね。こういうの初めて、で……」

 うーん。これはいきなりしくじった気がするな。ノーマンにロマンチックな贈り物なんて求める私の方がどうかしてた。

 よし、お口はチャック! 私はただ微笑みを浮かべるに徹して待ちの体勢を取ると、ノーマンは隠していた物を恐る恐る晒した。

「……んん?」

 思わず声が出た。ノーマンが持っていたのは、その場に不釣り合いな小汚い小型タンクだった。なにこれ? その手の玩具にしてはあまりに武骨すぎやしませんかね。というより人の体に入れたり塗ったりしちゃいけない類のものでは?

「なんなのその……タンク? 容れ物は」

 慎重に訊ねると、ノーマンは真っ直ぐ私を見据えて言った。

「これは冷却剤だ」

 その言い方にさっきとは別な不安が心をよぎる。でも何とか微笑みだけは維持できた。

「……始める前に冷たい飲み物でも用意してくれるの?」

「違う。オリガ、お前の冷却剤だ」

「熱なんて出るように見える? どうしちゃったの――」

「俺が買ったのは人口膣じゃねえ……核融合炉だ」

 核……融合炉……

 動かした口から声は出ない。立ってたら、私はその場に崩れ落ちていただろう。

 無限にエネルギーは湧き出るはずなのに、背中を冷たいものが伝った。無限……そう無限だ。私の身体からエネルギーが尽きることは半永久的になくなった。眠りの海はもう訪れない。永遠に!

 私が絶句していると、ノーマンは気まずそうに俯いたまま話し出した。

「……相談しろってストーカーにも言われたがよ。お前絶対反対したろ? だから……やっちまえば認めるしかないんじゃねえかって思って……でもこれで、お前の食いもんは水素と冷却剤だ。核燃料電池よりずっと安く済む! ……もう、寝なくて済むんだよ」

 何だ? その、子供みたいな理屈。内から湧き上がってくる熱量は、無限のエネルギーとは関係ない。こんなに、こんなに、腹を立てたのは初めてだ。

 寝なくて済む? そりゃあ良いね。これからずっと眠ることなく、死ぬこと無く、私はこの世界を永遠に彷徨い続けられるんだ。ノーマン、アンタが死のうと永遠にね!

「何てこと、してくれたの」

 堪った鬱憤と一緒に吐き出したら、ノーマンは明らかに蒼ざめて見えた。だけど負けじとこっちを見つめ返してくる。

「……戻してよ」

 睨みつけてやった。ノーマンは黙って首を振るだけだった。

 なにその、子供みたいな振る舞いは!

「戻しなさいよ!」

「……いやだ」

 また子供みたいな物言いで。二十三にもなってガキみたいに。ふざけるんじゃない!

 怒りのままに外へ飛び出そうとしたらノーマンに肩を掴まれた。

「待ってくれ、話は終わってねえ!」

 行かせまいと必死に抑えつけてくる手に愛しさなんて感じない。

 理解してくれてると思ったのに。私が自分のこと、たかがロボットだって自嘲するのがどれだけ気に入らなくても、心の底では彼も理解してる。そう信じてたのに。なんて無責任で、自分勝手なんだ、コイツは!

 どれだけ力をかけた所で私に意味はない。彼の手首を掴んで上に持ち上げてやった。そうして私たちはしばらく揉みあう。振りほどくのに手間取ったのはノーマンの力が強いからじゃない、彼の手を潰さないよう気を付けなきゃいけなかったからだ。

「もう構わないでよ! ほっといて!」

「いやだ!」

 またか……このガキ、性懲りもなく……

 必死になって。ロボット如きに泣かされそうになって。泣かされるような価値が、私にあるはずがない、いつもいつも言ってるのに!

 鬱陶しいんだよ……!

 一瞬沸き上がった悪意は、理性なんて眼じゃないスピードで私を支配した。

「うっとうしいのよ! 何にも分かってない癖に!」

 動揺したノーマンの力が弱まって、私は彼をベッドの上に放り投げた。ベッドの上を跳ね茫然としている彼を、横目に睨みつける。

「無理よ……アンタの恋人なんて、まっぴら」

 最初から決まってんのよ。人間の恋人は人間だって。化け物には無理。

 こうやって現実を知らなければ、私だって夢ぐらい見られたのに。

「よくも奪ってくれたわね、ノーマン。よくも……!」

 扉の取っ手を握り、部屋を抜けようとしたら――

 後ろから大きな手が、私を優しく包み込んだ。

「……!」

 息を呑む。取っ手を握る手の力が抜けた。私を掴まえる圧力があの記憶を蘇らせる。

 私を後ろから抱きしめる、あの人の大きな手……

 人間の手なんて振りほどくのは造作もない。なのに、私の身体はそれを拒んだ。

 折角……嫌われようとしてたのに……嫌いになろうとしてるのに……

「アンタだって見たでしょ……あの無人機、あの化け物が、私の結末かも知れないんだよ。これで人間だって言えるの? 明日アンタの頭を握り潰しているかも知れない私が!」

「人間でなきゃ、駄目なのか?」

 止めてよ。そんな優しい言葉。顔を耳に寄せるな! 限界も現実も忘れて、駆け出してしまいそうになる。その先に待ってるのはただの地獄よ。

 駄目だ。考えてたら、もっと引き込まれる。反論する気力すら奪われる。喋り続けなきゃ、この馬鹿に分からせなきゃ。必死で開いた口から漏れるのは、涙交じりで上ずった悲鳴だった。

「眠るのなんか……死ぬのなんか怖くないわ」

 それは私が考えてたのとは、全然違う切り出しだったけど構わない。止まらないよう、止められないよう話し続ける。

「むしろ望むところ、私が怖いのは一瞬。死んでるなんて眠ってるのと変わらない。死で一番恐ろしいのはね、命が途切れるその瞬間なの! ……枕元にアイツらが立ってる、会った事もない私の家族が。彼らは私の事なんか知りもしない、娘や母親の生まれ変わりだって信じて、そのまま死んだ。惨めったらないわ。私はただの代用品、一人で死ぬしかないんだって……叩きつけられてさ。それはノーマン、アンタも変わらない」

 反応を見る。少しでも動揺したら振り払おうと思ってたけど、彼は全く動かなかった。

「分かっててやったの? 慈悲も何もないのね」

「俺は――」

「アンタ私より先に死ぬって、いくら馬鹿でも分かってるわよね!」

 どれだけ愛してたってノーマン、アンタは私より先に死ぬんだ。私を置き去りにして枕元に現れる死神になる。私の惨めさを掻き立てるだけの存在に。そんなのごめんよ。

 電池が切れれば眠る体なら、死が身近である状態なら、弱い私にだって耐えられた。

 このまま別れられれば、ノーマンは死神でなく思い出として諦められた。

 全部全部台無しにして……どういうつもりよ……

「一人はいやよ……一人は……」

 ずっと一緒にいられないなら中途半端なことしないでよ。

 また無駄機能が悪さをした。視覚センサーを溢れる水滴が邪魔をする。

 そうよ……眠っていれば、こんなものに煩わされもしない。

「愛してるなら、もう殺して。アンタが死ぬところを見るなんていやよ……!」

 それ以上はしゃくり上げるだけで声にならなかった。最低だな、私って。自分のためにしか生きる気がないのに、誰が私の事なんて顧みるかっての。ノーマンのためとか言いながら、結局自分が怖いだけじゃない。

 もう、なんでも、どうでも良い。全部を台無しにしちゃった、この時間が早く終わって欲しい。ノーマンが電源を落としてくれれば、私をバラバラにしてストーカーに売ってしまえば全部それで終われるんだ。

 良いでしょ? ノーマン。アンタが夢見たショーウィンドウのお姉さんは、ただの幻だったのよ。本当にいたのは生きるのが怖い惨めな怪物だったのよ。

「お前が人間かどうかは……坊主じゃねえ俺には分からん……」

 暫く黙ってたノーマンがポツポツと喋り出した。

「だがよ、ただの機械は殺してくれなんて頼まねえ、と思う」

 その一言で、私の中で張りつめていたものがしぼんでいった。思わず自嘲の笑み。

「……語るに落ちるとはこのことね」

 湿った忍び笑いは、部屋の空気の重みに圧し潰されて消えた。ノーマンが続ける。

「ガキが……無人機にガキが襲われてたろ。俺はあん時、ホントはガキなんかどうでも良かったんだ。オリガ、お前が苦しんでる、そっちの方がずっと大事だった」

「……そう」

「お前が笑っていること、それが何より俺には大事だ。何よりも」

 知ってた筈なのに言葉にされるとその感情の重みに足が揺らぐ。

 ふらつく私の体をノーマンはより強く、しっかりと抱きしめた。

「俺だって最初はよぉ、元を取ることしか考えてなかった。でも今は違う」

「……」

「抱けないって知って、唖然とする俺に苦笑いを浮かべてたお前が好きだ。腕枕して貰った時、バレないよう浮かべてた淋しい笑顔が好きだ。俺が失敗するたびに、溜息しながら浮かべる呆れた笑みが好きだ。ずっと見ていてえんだ」

「ろくな笑顔がないじゃない……」

「そうだ。俺は自分の事しか考えてねえ、お前に迷惑かけてばっかのロクデナシだからよ。だから俺に、お前を楽しい思い出で笑わさせてくれ。生きててよかったって、お前が心から笑える日を、俺は見てえんだよ」

 単純、愚直、考え無しの正面からの特攻は、私にはしかし酷くこたえた。

 狂ってるよノーマン。ただのロボット相手にこんなの、子供だって許されるもんか。

 私を引き留めてた理性のタガが外れていく。

 違うか。そんなものはとっくに壊れてる。私がビビッて、足踏みしてただけだ。

「アンタの頭、明日には潰れてるかもしれないのよ」

「そん時は諦めるさ」

「アンタの周りの人を殺して回るかも」

「責任取って、お前ごと自爆してやる」

「……何を言っても、無駄なの?」

「あぁ無駄だ。お前が自分を壊しても何万、何年かかろうが治す。一人になるのが嫌なら、ストーカーに俺の脳味噌を機械に繋がせてでも生きてやる。お前が生きててよかったと思える日まで、俺にやらせてくれ。頼む……」

 言いかけた言葉をノーマンは飲み込んだ。背後でニッと笑う気配がする。

「分かった。オリガ、命令だ。俺にお前を笑わせろ。十年後、お前は腹が捩じ切れるんじゃないかってくれえ笑ってて、そんなお前を俺が笑ってやる。『何だあお前、生きるのが怖いとか言ってたくせによ』ってな。自分だけは何でも知ってるみてえな面してた、思い上がりで独りよがりのロボットを俺に笑わせろ。主人としての命令だ。最初で最後の!」

 彼が言い終えるより前に、私の心は折れていた。知らないくせになんて我ながら酷い言い草ね。彼以上に私の事を知ってる人なんているはずがないのに。でなきゃこんな逃げ道作ってくれないわ。

「そう……命令なの、しょうがないわね。それじゃあ……」

 微笑を浮かべて、私を抱える大きな手にそっと手を添えた。まだ怖くて、自分で決める勇気なんかないけれど、これで良いんだ。だって、命令なんだもの……

「ノーマン……ありが――」

 言いかけた私の後ろで、ノーマンは大きなくしゃみをした。

「……あぁ! クソ、ストーカーの奴、暖房ケチりやがって。しまらねえなぁ……」

 そう言って離れようとした彼の手を、私は引き寄せ頬ずりする。

「良いのよ、これで。良いの……」

 いつの間にか大きくなっていた少年の腕の温かさに、私はまた一つトラウマを思い出に変えた。私を後ろから抱きしめる、あの人の大きな手を……

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