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非生産と生産は同質。

私は今社会的に見たら
非生産的な人間なのかもしれない。

30歳、無職。

最低限の家事
そして毎日9時間の睡眠をしっかり確保する
私の姿を見て母は「プータロー」という。

しかし、非生産的というのは
とある一面からの見方であって

実は生産(=生み出す)ということを
同時に行っているのではと感じている。

「◯日、暇ですか?
砂浜でマッサージをしたいのだけど
一緒にやりませんか?」

前職のタイマッサージ店の同僚から
突如、連絡が入る。

二つ返事で了承する私。

話を聞く限り
いつか砂浜でマッサージをやる
ということを切望していたようで
彼女の瞳には
少々の羞恥心と好奇心が
入り混じっているように見える。

夏日を思わせるかのような
燦々と降り注ぐ太陽。

勢いよくサーファー達が
乗り出していく波打ち際での
ゆったりとしたひとときは

ただそこに居合わせた私と彼女自身に
豊かなエネルギーを
注いでくれる。

他日。

その日、友人とご飯に行く予定だったという
母から声をかけられる。

近場にある古民家の発酵料理店へ
ランチに行きたい。

年代物のアンティーク家具と
非日常空間。
手の込んだ品品に
大満足の母。

私はただそこに居ただけだけれど
その無為な時間に
思い残すことはないという境地にさえ
到達する。

非生産的であるわたしは
生産的なわたしと
常に隣り合わせで。

自分自身の存在を
どう捉えるかは
自分次第とも言える。

二元のこの世界は
実は非二元で
両極を行き来するばかり。

一見「悪」と判断していることが
ただ愛だと気づく時
私たちの葛藤は外れるのかもしれない。

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