MAYO

本音に従っていきている。

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本音に従っていきている。

最近の記事

人生の岐路にいる。宿命ではなく、運命を選ぶその狭間にいる。

    • surrenderに飽きる。

      1日の中で、何人格も駆使して、キモいぐらい文章を垂れ流し続けているが、止まらないからこのまま垂れ流し続けるとする。 何もしたくない日常は続いていて、だけど抵抗なくできることはとりあえずやる(勝手に動かされている感覚)のだけれど そのひとつにオラクルカードを引くというものがある。 スピリチュアルは好きで、詐欺まがいなものに騙されたこともあるぐらいだが(笑) そこから一周して スピリチュアルに依存するのは「自分に対する不信からだ。」みたいなところに帰着するまでは、 と

      • 非生産と生産は同質。

        私は今社会的に見たら 非生産的な人間なのかもしれない。 30歳、無職。 最低限の家事 そして毎日9時間の睡眠をしっかり確保する 私の姿を見て母は「プータロー」という。 しかし、非生産的というのは とある一面からの見方であって 実は生産(=生み出す)ということを 同時に行っているのではと感じている。 「◯日、暇ですか? 砂浜でマッサージをしたいのだけど 一緒にやりませんか?」 前職のタイマッサージ店の同僚から 突如、連絡が入る。 二つ返事で了承する私。 話を聞く

        • どうやら本当に何もしたくないようだ。

          どうやら本当に何もしたくないようだ。 自宅にいると、諸々の頼み事がくる。 母から。 近くの発酵料理屋に行きたいから、一緒に行こうよ。とか、今月の会議の議事録を打ち込んでほしいとか。バナナのパウンドケーキ作ろうよとか。 前職の同僚から。 浜辺でマッサージをしたいから、一緒にやってほしいとか。 その体験自体は、豊かな日常の一場面で、もはや今世で思い残すことはないなと思ったりするのだけど 一方で。 今世で思い残すことはないほど「やり尽くした」とも感じるのだ。 そう。

        人生の岐路にいる。宿命ではなく、運命を選ぶその狭間にいる。

          感覚を信じる。

          感覚を信じる。 やっぱりこれしかないって 最近は思う。 今までも自分の感覚を信じて 何かを始めたり、辞めたり してきたけど それでよかったんだって思ってる。 感覚を信じて行動した瞬間は 苦しみや、ショックや これでよかったのだろうか?という 多少の疑念と後悔が 付きまとうけれど でもその決断から 数ヶ月、数年経った今 過去の選択を振り返ったとき やっぱりそれでよかったんだ って思うから。 感覚を信じて生きていきたい。 そんなことを昔、誰かに話したときに 「地に足が

          感覚を信じる。

          ドリームキラー。

          したいように生きると 少なからず他者から批判を浴びることがある。 2.3年前。 当時勤めていた企業を退職し 声をかけてくれた1人の社長と 会社を創業することになった。 麻布十番にある小さなシェアオフィスの 1角で事業は始まったが 入社前に想定していた 「この3畳弱の密室空間でやっていけるのだろうか。」という不安が見事に現実化する。 創業期の自転車操業に隠しきれない不安を 無言の圧力に転換する社長と密室に2人きり。 ただでさえ 感受性の高い自分にとって その空間は地獄で

          ドリームキラー。

          SNSが嫌い。

          SNSが嫌い。 自分のいいところばっかり みせる。 その裏側にあるクソみたいな一面は 絶対にみせない。 そういうのが嫌い。 葛藤まみれの キモい絵が好き。 ど素人が書いた 幼稚園児みたいな抽象画が好き。 不細工が愛嬌とか 言えてしまう奴が好き。 人間のクソみたいな葛藤が好き。 わかりますか?

          SNSが嫌い。

          動きたいけど動けないもどかしさ。

          世界が動けば動くほど 私は何もしたくない。 極端なようだけど 現実世界は正反対のようにみえる。 私が一生懸命動いたり やりたいことやってるときほど 周りは何もしていないように見えるし 私がとどまっている時ほど 周りはすごく一生懸命だし したいことに熱中しているように見える それを見て いいなぁって思ったり いや、私は今は動きたくないんだって思ったり どちらにせよ 対極にある現実を見て 今の自分をそれでいいと 許可することが大切なようだ でもやっぱり 動くのが好きだか

          動きたいけど動けないもどかしさ。

          Today's message for Ourselves 4/22

          4/22 会社を辞めて、早2週間。 この間にも多くの内的変容があり、それが現実世界を動かしているという実感がある。 例えば、自室の断捨離。 クローゼットの中に詰め込まれた 学生時代の品々。 高校時代、父親が購入してくれたワードローブ。 どれもこれもが、今の自分とは違う感覚で 数日かけて多くの物を手放した。 たった今、がらんとした4畳半のスペースで オラクルカードを広げる。 Breath of the cosmos 宇宙の呼吸 天の意志に任せる 全てを思い通りにしよう

          Today's message for Ourselves 4/22

          人生の強制終了。これでもうすべて終われ。

          生活するために 教育ローンを払うために お金稼ぐこと 仕事することを 辞めたかった。 お金と自己価値を天秤にかけたとき お金の方が自分よりも価値が高いと 思っている現実を理解はしていたけど その現実を壊せなくて ずっと苦しかった。 お金稼ぐために生きるの辞めたいって ずっと思ってた。 もう辞めたいもう辞めたいって。 教育ローンの支払いも  カモられたお金も 終わりが果てしなくて 誰かにお願いすることが できなかった。 迷惑かけるし 誰にも頼れないってなって 収入が1/4

          人生の強制終了。これでもうすべて終われ。

          29歳の1年-人生の転機。

          この1年の出来事を 自分のために残しておこうと思う。 2019年頃から 本当にジェットコースターのように 色々なものが目まぐるしく 動いてきたように思うけど それらはこの29歳に起きた 転機に向けて回り始めた 運命の輪のようなものだったのだと。 すべてのプロセスが 現在につながるための軌跡だったのだなと。 今となって思う。 この1年で起きた出来事。 まずひとつめは転職。 20代の10年間で歩んできた ビジネス系のキャリアに 終止符を打ち タイ古式マッサージ、アロママ

          29歳の1年-人生の転機。

          給料日。

          4ヶ月分の歩合料が まとめて振り込まれた 銀行口座を見て 思わず笑みが溢れる。 ああ、頑張った…。 とても。 何もできなくて ただの勉強代にすぎなかった 初任給よりも スキル以上の 高待遇を与えてくれる 大手企業の ボーナスよりも ただ心身を消耗しながら 稼ぎ続けた 業務委託費よりも 何よりも嬉しくて 何よりも幸せだ。 たった十数万。 されど十数万。 これまでの 苦しみが 虚しさが 全て癒されていく。 溶け出していく。 引き落とした1万円を 財布に入れて 向か

          給料日。

          幸せにする覚悟

          どんなに周りに求めたとて 自分が自分を幸せにする覚悟がなければ ただの期待であり、ただの依存だ。 * 口だけで行動の伴わない奴は嫌いだ。 自分の行動に責任を持てない奴は嫌いだ。 自分にも他人にも嘘をつき続ける 不誠実な奴も嫌いだ。 どっちつかずで中途半端で、 覚悟の持てない奴も嫌いだ。 大切なものを大切な人を守れない奴も嫌いだ。 この世で一番嫌いな男性像を 一度吐き出してみる。 これでもかと吐き出してみる。 吐き出した全ては 自分の中の醜い男性性に対する叫びでもある。

          幸せにする覚悟

          この私でいい。

          この私でいいのだ。 隣の芝生は青く見える。 しばしば、他人の世界が 羨ましく見えるときがある。 羨ましさは 度が過ぎれば 妬ましさへと転化する。 アイツが目障りだ。 決して、本人を目の前にして 言えるわけがないひとことを 敢えて口に出してみる。 あぁ。アイツが目障りだ。 しばし、爽快感に浸る。 さて。 何が目障りなのか。 収入? 肩書き? 外見? 時間の有無? 仲間の有無? 嫌悪すら感じるそれらは 私が私に許せていないそれらである。 収入が低い自分。 煌

          この私でいい。

          聖人であることをやめる。

          いい加減 自分を苦しめるのをやめる 日々心穏やかに過ごすことに 集中する 心地よさと安心感 湧き上がる熱量を選択する 最大限、自分に寄り添う 全ての依存心を断ち切り 内的自由を実現する * 自分自身に 一切の我慢をさせない 無条件に受けいれ 失敗しても 不器用でも 上手くいかなくても そんなことは関係なく 世界で一番大切な存在であることを 腹の底から信じる * 他人は一切関係ない 自分が何を感じるか どうしたいか それだけをわかっていればいい そして内側

          聖人であることをやめる。

          委ねるということ。

          一見、自由意志で選択しているように見えて、 完全に選択させられている。 全てを委ねる、という究極の信頼を決めてから、 そのように感じることが増えてきた。 今、自分がやるべきことは、これしかない。 今、自分がとるべき行動は、これしかない。 様々な選択肢があるのは承知の上で、 本筋以外の道筋が全てスコトーマとなり、 自動的に閉ざされる。 要はそこに一切の迷いがない。 そして、ときにその決断や行動が 自身にとって意を決するものであったとしても、 それが結果的にマイナスに

          委ねるということ。