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米国の軍拡への再転換点に学ぶ―――NSC-68、国民の反応、その後


1 はじめに

 「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境のただ中にある。」、「このような安全保障環境に対応すべく、防衛力を抜本的に強化していく。」と、2022年末に策定された「国家安全保障戦略」にある。一方で、防衛力を強化していく上で、部隊・基地・駐屯地等整備に対する住民の理解、防衛増税や国民保護に関する国民の理解は、いまだ途上の段階にあるように思う。この微妙な状況が今後大きく変わりそうな気配は、今のところない。
 他方で、第2次大戦以降、世界の安全保障・経済のリーダーとなった米国が、半世紀以上にわたり、自国の安全等のためとは言え、大規模な軍事力の世界展開を継続しつつ、世界における経済的地位を維持できているのは、凄いとしか言いようがない。国土の大きさこそ大差があるものの、日米の人口比は、1950年代以降1対2から1対3程度である。米国民は、巨額の国防費負担について、日本国民よりも寛容かつチェックが緩いのだろうか。このような疑問に対し、以下のことが言える。

〇 海の向こう側に、安全保障上の主たる脅威対象がある点は日米共通であ るが、日本国民よりも米国民の方が、数十年にわたり、自国の軍事力に関する負担を請け負っている。(少なくとも1960年以降、国防費の対GDP(GNP)比率は、3%以上で推移している。)
〇 国防費を含む国の支出や税収等の収入に関することは、議会(上院・下院)の議決(法案成立決議)を経る必要がある。脅威に対し国民に負担を強いるべきか否かは、議会においてチェックされる。

 元来、「モンロー主義」/「孤立主義」とも言われる、米州外への不介入政策を国是とし、かつ大規模な連邦軍(国軍)の保持に慎重であった米国は、第2次大戦への参戦をもって名実ともに政策を転換し、大戦後半から、国連主導の秩序構築を推し進めるとともに、戦後は「対ソ封じ込め政策」に基づき、大規模軍事路線に舵を切った。特に第2次大戦直後、軍縮気運の中で再び軍拡に舵を切った米国の政府・国民の動向は、類似の局面にある私たち日本人にも学びの余地があるように思う。本稿では、その軍事力強化(軍拡)に至った米国の事例を、「軍事」と、「政府」及び「国民」の関係に焦点を当てながら紹介したいと思う。(以下、各種の引用に際しては、敬称略。)

2 政策の変遷(戦時体制→ 復員・軍縮→ 軍拡)

 私の接する米国人は、どの人も、自分が使うお金や自分が為すことの意味については、日本人以上に厳格な側面がある。少なくとも、これらのことを有耶無耶にしたまま、周りに流されて追認している人は少ないように思う。そのような国民性の一端を頭の片隅に置いたとき、第2次大戦後半、特にヤルタ会談に臨むにあたり、米政府は、軍事と国民との関係において、以下の問題を感じ取っていたのではないかと考える。

 Ⓐ 対軍事
  Ⓐ-1 どのようにして大戦を終結させるか、特に、どのようにして日本を降伏させるか、日本を降伏させるための戦力の所要は?
  Ⓐ-2 独・日を降伏させた後の、占領地の占領(戦争再発防止)をどのように行うか、最終的にどのような態勢を執るか、当面の占領地の占領や秩序構築のための戦力の所要は?
 (Ⓐ-3 ソ連共産主義とどう対峙するか?)
 Ⓑ 対(米)国民
  Ⓑ-1 動員(兵員や軍需品)体制や経済・産業体制をどのように転換又は継続させるか?
  Ⓑ-2 国民の理解・納得が得られる軍事政策を、どのように形成するか?

 戦争における「国民」、「軍事」、「政府」の関係を、クラウゼヴィッツは、「戦争における三位一体(Trinity)」と表現し、その一体性と、各要素が戦争において果たす役割の大きさに応じて戦争の姿が変わる現象を説明した。「軍事」が必要性と可能性を踏まえた答えを準備・実行し、「政府」がシビリアン・コントロールによりその答えや実行をチェック・補完し、その恩恵や負担を「国民」が受ける・負う、の関係の中で、戦争に関する物事が進められる。
 話を戻すと、今次のテーマでポイントとなるのは、今の戦争や次の戦争準備に対する米国民の理解・納得である。日本ほどでなかったにせよ、米国においても欧州とアジアに膨大な人・物を動員し供給する戦時体制を敷いていた中、その体制を歓迎した米国民は、多数ではなかったと察せられる。加えて、モンロー主義を国是とした時代から数年しか経っていないことも考えると、戦争が終われば平和の配当が得られる、という空気もあったのではないかと思う。そういった見立てを踏まえ、当時の米政府内では、Ⓑ-2の答えを確立するために、それ以外のⒶ-1~3、Ⓑ-1の問いにどう答えるか、が練られていたに違いない。
 これらを踏まえた上で、以下の年表を通覧し、本題に入っていきたい。

表:第2次大戦後の主要事象(参考文献を参考に筆者が作成)

 冒頭で述べ、また上表からもわかるように、米政府は、戦時体制から復員・軍縮を行い、その直後、再び軍拡に舵を切った。その転換点となったのは、1947年の、いわゆる「トルーマン・ドクトリン」であり、その宣言に基づく軍拡路線に舵を切る動力源となったのが、1950年の「国家安全保障会議報告(NSC-68)の大統領承認」である。結論として、米国民は軍拡に伴う負担を甘受することを認めたのである。この点は、特に山田浩「胎動期の核抑止戦略とNSC-68」にまとめられている。

3 米国民が負担を受け入れたポイント

 米国民が負担を受け入れたポイントは、以下にあったと結論づけたい。

 ① 脅威認識:ソ連共産主義の脅威が、原爆開発等と相まって、国民に直接及ぶ脅威として米国民の間に浸透した。(米国民に脅威認識を浸透させる政府の効果的な取組があった。
 ② 理念の変化:第1次大戦後から国際連盟創設に至る過程で、米国民の理解が得られなかった世界平和を米国が主導性する重要性を、第2次大戦における世界平和への軍事的・外交的・経済的貢献を通じ、米国民も認識し期待するようになった。
 ③ 社会構造上のニーズ:大戦後、世界的復興を支える米国産業が、世界を相手にビジネスを更に拡大していく上で、国外における軍事プレゼンス強化を必要とする認識が広がった。
  
 ①は、核攻撃に対し国民の防護と国家運営体制を維持するための民間防衛の取り組みを分析した、川上耕平「トルーマン政権における民間防衛政策の展開 : 冷戦初期の『安全保障国家』アメリカによる社会動員」(2003年)にまとめられている。核攻撃が国民に対する直接的脅威であること(脅威への対応が、単に軍隊や政府だけのことでないこと)を国民に感化・認識させた上で、パニックにならないように慎重を期しつつ、文民主導で民間防衛体制を整えていった10年にわたる取り組みが紹介されている。このような政軍民を一体化(当事者化)させる取組を通じ、脅威認識の共有化が進んでいった。
 一方、②、③については、各種文献を見ながら私が感じたことをまとめたものである。米国が世界で最も進んだ最強国家というプライドが、大戦を通じ、国民レベルに浸透したこと、また経済活動の拡大と軍事が、大戦以降大きく関わるようになったことが、米国民が負担を受け入れの底流にあったのではないかと推察する。

4 おわりに――翻って、日本として取り組むべきことは?

 「軍事に、それだけお金をかけていくことが、本当に必要なのか?」という国民の漠然とした疑問を細かい問いに分け、その一つ一つに丁寧に答え得る準備をする、ということに尽きるが、米国の事例から、「国民も当事者化し、かつ脅威認識に関する国民の理解を促進させる」という能動的な取組(民間防衛施策)が効果的だったと考える。民間防衛に本腰を入れる、ということは、上記疑問を構成する主要な問いの一つである「脅威が国民にどのように及ぶのか?」に対する答えに直結する。
 また、NSC-68に関する各種の文献では、上記のように国民を感化していく政府の取組の一部を、政府の「プロパガンダ」と表現している。具体的には、「政府」、「国民」、「軍事」を一体化させる上で、「ソ連による直接核攻撃」が「国民」に対し誇張された点を指しているが、これも奏功したと捉えられている。
 仮に上記のような施策を今日の日本がそのまま見習って取り入れた場合、日本国民はそれをどう受け止めるだろうか。中国、北朝鮮、ロシア等周辺の核保有国が日本に対し核攻撃できる能力を有していることは、今に始まったことでないことから、仮に今から、核攻撃に対応した民間防衛施策に政府が本腰を入れたとしても、「いまさら、何故?」というように受け止められるのではないかと思う。また、プロパガンダに関しても、「脅威が誇張され過ぎているんじゃないの?」とも受け止められると思う。北朝鮮のミサイル発射に対するJアラートの警報等、国民の受け止め、政府の対応等を見る限り、脅威に対する政府の本気度はあまり見えないように感じるし、抑止が効いているか否かの評価が何より不明確である。
 「戦争における三位一体(Trinity)」は、今日においても適用できる概念である。その一体性と態様を適切にするには、やはり、漠然とした疑問を構成する様々な問いに、説得力のある答えを準備し、国民の間にパニックを引き起こすことを慎重に回避しつつ、それを丁寧に説明し、かつ国民を巻き込んだ施策として実行していくことに尽きる。その中で、日本としての理念の再構築や社会構造の変革等も考慮した上で施策を進めることが効果的である。
 この際、既に進んでいるが、米の民間防衛施策を参考にすれば、国民と巻き込むことに関連し、防衛省や自衛隊以外の機関に主体的に取り組ませることも重要であろう。これについては、「脅威が国民にどのように及ぶのか?」等に関し、まず政府全体で認識が共有されていることがより必要になる。
 前項で紹介した川上耕平の論考では、このような米国の国家体制を「安全保障国家」と評した。日本も「安全保障国家」に近づこうとしている。地に足がついた、身の丈にあった、バランスのとれた、日本版の「戦争における三位一体」による「安全保障国家」体制が整えられていくことを期待したい。

参考文献

GraphToChart「アメリカ合衆国の軍事費の対GDP比率(推移と比較グラフ)」
https://graphtochart.com/public-sector/united-states-of-america-military-expenditure-of-gdp.php

国立社会保障・人口問題研究所「表1-15 主要国の人口及び人口増加率:1950~2050年」(2005年年央時の情報)
https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popular2005/01-15.htm

Y-History 教材工房「世界史の窓・世界史用語解説 授業と学習のヒント『モンロー主義』」https://www.y-history.net/appendix/wh1203-010.html

The National WWII Museum, New Orleans, “The Points Were All That Mattered: The US Army’s Demobilization After World War II”, August 27, 2020,
https://www.nationalww2museum.org/war/articles/points-system-us-armys-demobilization

武内和人「軍事学を学ぶ――戦争の三位一体」
https://www.learningmilitaryscience.com/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%B3%87%E6%96%99/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9F%A5%E8%AD%98/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93

U.S. Department of State, “A Report to the National Security Council by the Executive Secretary (Lay)”, 1950,
https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v01/d85

川上耕平「トルーマン政権における民間防衛政策の展開 : 冷戦初期の『安全保障国家』アメリカによる社会動員」(2003年)、九州大学学術情報リポジトリ
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4494562/014_p169.pdf

山田浩「胎動期の核抑止戦略とNSC-68」、『修道法学』31巻2号(2009年)、(広島修道大学リポジトリ)
https://shudo-u.repo.nii.ac.jp/record/1400/files/KJ00005129001.pdf

石田正治「トルーマン政権とNSC68」、『法政研究』(1988年)、九州大学法政学会(九州大学学術情報リポジトリ)
https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1874/KJ00000742969-00001.pdf

行天豊雄「アメリカがいなくなる!」公益法人国際通貨研究所(2017年)
https://www.iima.or.jp/docs/merumaga/2017/201707gyohten.pdf

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