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FMDB(今日良い)

略してみた。写真は、鴨川で息子が拾い集めてきた宝物。意外と割れた食器が出てくる謎。

2021-0515
 福永令三著「クレヨン王国」シリーズの中でも長編の「月のたまご」に出てくる、ストンストンの口癖が「永久(とわ)に」と「可及的速やかに」だったことを思い出すのは、最近、息子のお気に入りの言葉が「無量大数」と「断続的に」だからである。意味をなすような、なさないようなタイミングでこのふたつの単語を差し込んでくる。意味がわかっているのかどうか聞くのは無粋だが、そのあたり気になる。「おかわりー!俺は無量大数!」「俺は、断続的に遊びたいの!」 合ってるような合ってないような、分かるような分からないような……。

 ちなみに、娘のお気に入りは「もー、かんべんかんべん(勘弁)!」

2021-0528
 就寝する子どもたちのベッドをのぞく。無駄なこととは思いつつも、それぞれが蹴り飛ばしたケットをかけなおしてやるとき、私、おかあさんっぽいな、と思う。そっとかけたつもりでも、それが刺激になったのか、突然、娘が大きな声で「パパがいい!」「私、パパと行く!」「パパと行きたいー!」と再三訴えた(寝言)。何事、と続きを待っていると、
 「だって、私、ドーナツ食べたいもん!!!」 動機はドーナツ。

2021-0529
 この時期、天気の良い週末は、鴨川で水遊び→ロッテリア・テイクアウトが定番コースになる。外で食べるごはんは美味しい。これが、公園に行くとなれば、やれブランコを押して、やれ砂山にトンネル掘って、鬼ごっこして、と何かと活躍させられるが(親が)、川に行けば、勝手にじゃぶじゃぶやってくれる。素晴らしい。子どもたちは、流れる浅瀬の中を歩くだけで、楽しいのだ。
 この程度を自然と言えば、笑われるかもしれないが、自然ってすごいなぁ、と思う。水が冷たい、このへんはぬるい、流れの速さが変わった、体の向きによって変化する抵抗、大きな水が流れてきているようで、葉っぱを落とせば、流れの表情が見えること。
 私は、ただ河原にいて、そうだよなぁ、と、すでに知ってることを新鮮に、そうだよなぁ、と思う。

2021-0530
 あー、言ったらあかん!と思うのに、言ってしまった。
 最近、息子が少々反抗的な態度をとるようになり、そのことに振り回されてはいけない、と思えば思うほど、逆に、正論で彼を責めてしまうことが続いていた。毎日のように、正しさでもって、彼と向き合ってしまう。それは、わたし自身にとっても、正しいことのようでしんどいことでもあった。こんな風に育てたいわけじゃないのに。相手はまだ、どうするのが正解なのかわからない、何もかもが練習中の子どもなのに。私にとっちめられる度に、息子からは、自分で考えているというより、なんて答えればママがいいよって言ってくれるのかを考えているのが伝わってくる。ちがう!ちがうんだーーー
 そして、昨夜、就寝前の準備を手伝いながら、一日(と、ここ数日)を振り返り、心なしかしょんぼりして見える息子に「そりゃ、ママのこともきらいになるよねえ...」と言ったのだった。
 その一言は、息子の心情に寄り添ったというよりは、落ち込んだ私に寄り添ってほしいがためには違いなかった。うわー、今の、めっちゃダサい。言った瞬間、取り返しのつかない気分で固まっていると(私が)、息子が戸惑った顔をして言ったのだった。
 「ぼく、ママのこときらいだと思ったこと一度もないよ」。

 親の心、子知らず。しかし、知らなくて良いのよな。


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