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猫と音楽に生かされているライター。日記を書いています。どこにでもあるような毎日かもしれ…

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猫と音楽に生かされているライター。日記を書いています。どこにでもあるような毎日かもしれないけれど、私という人間を介して見た世界は多分ここにしかないはずだとか、そういう考えをこねくり回して生きています。https://www.instagram.com/ynynmsm4

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本のページに挟まったなんてことはない人生

「買い取ったトールペイントの本にね、図面を写した薄い紙が挟まっていたの。本当は抜き取らなきゃいけないんだけど、そのままにしちゃった」 そう話してくれたのは、久しぶりに会った前職の先輩だった。彼女は前の職場を退職して、今は古本屋に勤めているのだと聞いた。 本には、持ち主の暮らしぶりや人となり、人生が染みついている。物置の隅に置き去りにされて埃を被っていた本も、本棚の中で眠り続けていた本も、そのページには、文字だけでなくかつてその本をめくっていた人の生活も一緒に記されている。

    • 他者と生活をともにするにあたってのメソッド

      交際相手と同居を始めて、早いもので半年以上が経った。幸い大きな言い争いなどもなく生活できているものの、もちろんそれは程度の差はあれお互いの我慢やこらえの上に成り立っているものだろう。 人と暮らすにあたって難しいのは、お互いの「我慢ならんポイント」が全然違う方向を向いていることだ。 部屋が多少汚かろうが平気な顔でソシャゲに打ち込める私のような人間もいれば、洗い物がシンクに溜まっているのが嫌で嫌で仕方がない人間もいる。人と一緒に暮らし始めるようになると、生活音や流しのにおい、

      • あまねく私を、私たちの「生」を照らす歌――a flood of circleによせて

        こんなにも純粋で、呆れるほどにまっすぐに胸を打つ「生への肯定」があるか。 力強くひたむきに鳴る轟音を身体の中に反響させるたび、その飾らないメッセージに胸がカッと赤く熱くなる。a flood of circleの音楽を聞いているとき、私は自分が自分という存在のまま生きていくことを力いっぱい許されるような、そんな救いにも似た感情を覚える。 生まれ変わるのさ 今日ここで変わるのさ 不可能の壁を 壊し続けて 生まれ変わるのさ 今日ここで変わるのさ 君を連れてく 約束の地へ さあ 

        • 自己紹介

          はじめまして。ライターのmizukiです。 この記事では、私が今まで関わらせていただいたお仕事や、どういった人間なのかについて、紹介させていただきます。 そもそもどんな人間か?上智大学卒業後、新卒で入社したゲーム関連会社にてインタビュー記事の制作やディレクションを行い、現在は東京のとっておきのお店を紹介するメディア「Pathee Epic」のメインライターとして活動しています。 好きなものは猫、音楽(邦楽メイン)、映画、商業BL、ゲームやアニメなどのサブカルチャー。興味関

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        本のページに挟まったなんてことはない人生

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        記事

          体調不良の同居人との距離の測り方について

          自分は自分で思っていたよりもずっと世話焼きなのかもしれない。 冷えピタの交換だの検温だのと何かと理由をつけては相も変わらず胃腸炎で床に伏している同居人の部屋に忍び込んでいる。そろそろ鬱陶しいと思われるラインを越えてしまいそうだ。 同じ家に暮らす人間が体調を崩したとき、向こうも大人なのだから原則別に放っておけばいいのだと思う反面、自分自身が未だに甘ったれなせいで「苦しかろう、心細かろう」と無駄に構ってしまうきらいがあっていけない。病気で気が弱くなっているときは誰かが家にいてく

          体調不良の同居人との距離の測り方について

          「本当のこと」は誰にも分かってほしくない

          朝、家を出るのと同時に、私よりも先に出た同居人と玄関先で鉢合わせた。出勤するつもりだったが、病院に寄ってそのまま帰ってきたらしい。どう見てもふらふらの状態だったので、家で寝ていてくれた方が幾分か安心だ。 私は私で心療内科で診察を受けたりしていたのだけれど、ひとまず薬をやめてみましょうかという話になって少しほっとした。暫くは様子を見なくてはいけないけれど、また自分のペースを取り戻せたらいい。 いつからかこの時間はいつも窓の外で虫が鳴いていて、不規則に鳴るその音で眠れないなん

          「本当のこと」は誰にも分かってほしくない

          38.2℃の熱を帯びた夜

          同居人からの「頭が痛くて下痢がひどい」という連絡を受け取った。家に帰っている途中、体温計の画像が送られてくる。38.2℃。さすがにぎょっとして、簡単に口にできそうなゼリーを買って帰った。 横になっているとのことだったので起こさないよう気を配りつつ、つい先日にもこんなことがあったな、と思いながらシンクに溜まった洗い物に手を掛ける。一緒に住むようになって学んだことだけれど、彼は季節の変わり目や少し悪いものを食べてしまったときに人よりも体を壊しやすい。 起きてきた同居人が、「ど

          38.2℃の熱を帯びた夜

          正気じゃ絶対できないことをしている

          数歩歩けば風に背中を押される一日だった。 台風の影響で朝からびゅうびゅうと音を立てて強い風が吹いているのを知っていたのに、まんまと買い出しに出かけてしまった。結果として髪の毛をぼさぼさにして帰ってくる羽目になって、そういうままならさこそが生活そのものだな、などと考えながら汗をかいた。 昨日は少し同居人との関わりの中で嫌なことがあって、思い返してみれば本当に些細なことなのに、その時の自分にはそれがどうしても許せなかった。こういうことは多々ある。私の場合は幸いにも一晩眠るとけ

          正気じゃ絶対できないことをしている

          振り向いた先の暗闇に足を浸して生きていく

          長い長い夢を見ているような、降り注ぐやわらかい光に向かって目的なく腕を伸ばしているような、そんな目隠しの時間を消費してきた。何も見ず、何も聞かず、少しでも自分の脆い輪郭をこそぐかもしれないものを徹底的に遠ざけてきた日々は、輪をかけて私を臆病にさせ、瞳の奥に重たい淀みが積み上がっていくのみだった。 他者との関わりを避け、自らの殻に閉じ篭り、その度に肥えていくお門違いの自尊心に気付いていなかった訳ではない。けれど、その滑稽な「私」という存在の証明を振りかざすことでしか、私は私を

          振り向いた先の暗闇に足を浸して生きていく

          あなたの中に脈打つあかいろ

           彼女から、故郷のにおいがする。燦々と照る陽の光を浴びる、真っ赤ないのちのにおいが。 「トマトが甘いなんて、絶対嘘だと思ってた」  飛行機の窓側の席で、彼女がはにかむ。本場のはあんなに甘いんだね、と笑う彼女の頰のまるみは、彼女がずっと食わず嫌いをしていた赤い果実のそれとよく似ている。 「昔は六月柿って呼ばれてたくらいだからね」  私がそう返すと、彼女の白い肌がぽっと薄く血潮の色を透かせる。  知らなかった! と目を細める彼女の横顔を見つめながら、私は、彼女が私の実家の

          あなたの中に脈打つあかいろ

          自由で不自由な「迷い」と生きている

          「迷うことができる」という状態は、とても自由で不自由だ。 大学を卒業して、就職して2年と少し。今年で25歳になる。そういう自由さと不自由さを感じる機会は、学生だった頃に比べてうんと増えた。 俗に言う「社会人」と呼ばれる存在になって、学生だった頃と一番違うと感じたのは、自分で稼いだお金を自由に使うことができるということだ。学生の頃にもアルバイトはしていたけれど、1日中働いて、それが生活の中心になるというのは未知の感覚だった。 当然、自分のために自由に使うことのできるお金がポ

          自由で不自由な「迷い」と生きている

          あの日のコーヒーの味を思い出すことはしない

          新社会人の男の子ととある喫茶店のマスターの間に流れた時間の話です。 ーーー  最寄駅までの道にある、昔ながらの佇まいをしたやや小汚い喫茶店がずっと気になっていた。踏切沿いにあるその店は、ほんの三、四席のこじんまりとしたカウンターと、四角い白いテーブルが五つほど配置されているだけのシンプルな造りで、いつも地元の人間であろう初老の男性や大学生の一人客が疎らに席を埋めている。  とりわけ僕の興味を引いたのは、カウンターに立つマスターの存在だった。地域密着型の喫茶店のマスターと言

          あの日のコーヒーの味を思い出すことはしない

          人間と人間で暮らしている

          今からちょうどひと月ほど前、私はこのアパートの一室に引っ越してきた。三月も末だと言うのに、空は曇っていて、とても春の気配など感じられない薄暗く寒い日だった。 最低限の家具と洋服、それから布団を持って、私は二十四年間暮らした実家を後にした。もっと感動とか、達成感とか、そういう情動があるかなと思っていたけれど、特に何もなく日々は過ぎる。ともあれ生活は続くので、振り落とされないように目先のことに集中して、ひとつひとつ確かめながら歩いている感じだ。 住み始めたこの物件はもともと大

          人間と人間で暮らしている

          本当の私なんてどこにもいないのかもしれないけれど、それでも良いと思えるようになれたら

          ふと考えてみると、20歳を迎えてからは「この人と一緒にいる時の自分はいい感じかもしれないな」と思える相手としか積極的な関わりを持たないようになっている。無意識のうちにそうやって人付き合いを選り好みしているから、友達とか大事な人は多い方ではない。けれど、今でも一緒にご飯に行ったり何でもないような時間を過ごす人たちのことを、私は自分なりにとても大切にしているつもりだし(大切にしている、と言い切れないのはご愛敬)、これからだってそうしていきたいと思っている。 「若いんだからもっと

          本当の私なんてどこにもいないのかもしれないけれど、それでも良いと思えるようになれたら

          「私は子供を産まないんだなあ」と思いながら職場のトイレで啜り泣いた日があった

          「子どもを授かること=幸せ」なんて方程式は現世において本当に呪詛のようなものだと思う。女性の独身はかわいそうだとか、子どもを産めないのはかわいそうだとか、そういうのはまったくもって不要な気遣いだ。 子どもの頃に聞いた歌(多分何かのアニメのOPか何かだったと思う)に「今の自分がかわいそうなんて誰がどうしていつ決めた」というフレーズがあってそれが今でも印象深く記憶に残っているのだが、20代も数年が過ぎた今、まさしくそう思う。 今日、職場に産休中の社員さんが顔を出した。うちの会

          「私は子供を産まないんだなあ」と思いながら職場のトイレで啜り泣いた日があった

          はじめから全速力で走るのは置いていかれないようにするためだよ

          繋ぎ止めておきたいな、と思うことがよくある。私の好きな人たちの心に、いつでも好きな時に触れさせてもらえるように。 ただの友達では少し遠い。でも、私の人生の責任を取って欲しいなんてそんな厚かましいことは当然言えるはずもないし、言うつもりだってない。 型にはめようとしている。あの人を繋ぎ止めておくために、私は自分の輪郭を少し溶かして、無理やり「恋人」の形をした鋳型に流し込んでいるのかもしれない。それはたぶん、ひどく不毛なことなのかもしれないけれど、他にこれといった方法が思いつ

          はじめから全速力で走るのは置いていかれないようにするためだよ