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#41 浄土真宗の学びノート 龍樹菩薩② 称名報恩

今日はコテコテの浄土真宗のお話です。
浄土真宗に興味あるよ!という方、お付き合いください。

七高僧の第一祖 龍樹菩薩の教えのうち、
「称名報恩」についてです。
浄土真宗の根幹となる教えですね。

今日のテーマを一言で言うと、
「南無阿弥陀仏」を称えるのはどんな意味があるか。
念仏の位置づけについてです。


以前に龍樹菩薩①を書きました。
よろしければ、こちらからどうぞ。




念佛「南無阿弥陀仏」=ありがとう

「南無阿弥陀仏」の意味とは何でしょうか?
シンプルに「ありがとう」です。

何が「ありがとう」なのか?
阿弥陀如来が私を極楽浄土に往生させて下さるから「ありがとう」です。

よく間違われやすいポイントとしては、
×「阿弥陀さま、お願いします」
何かをお願いする呪文ではありません。
×「念仏を称えることによって往生する」「往生するために念仏する」
念仏するから往生するのではありません。

何のために念仏するかと言えば、「ありがとう」を言うため。
難しく言えば、称名報恩です。念仏を称えて恩に報いるわけですね。
この称名報恩は、浄土真宗の教義の大きな柱になっています。

私たちは、何かをもらったら必ず「ありがとう」と言います。
御礼を言わない人は、有難さを感じていない人。
つまり、極楽へ往生させていただくことを当たり前だと思っている人です。

私が極楽へ往生できるなど有り得ないこと。
凡夫のまま他力(阿弥陀如来)によって極楽へ往生させてもらう。
まさに有難いことだから、「ありがとう」を言うわけです。

阿弥陀佛の本願は是くのごとし、若し人我を念じ名を称して自ら帰すれば、即ち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得と。是の故に常に憶念すべし。

十住毘婆娑論『易行品』


信心か?念仏か?

念仏するから極楽往生できるのではない。
じゃあ、往生のためには何が必要か?
信心です(信心正因)。
往生するための正因は念仏ではなく、信心です。

※私の文章では情けないほど有り難みがないので、
⇓聖典を読んで味わってくださいませ。
他にも信心について説かれた聖典は沢山あります。

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。このやうをよくよく御こころえ候ひて御念仏候ふべし。

末燈鈔

往生の正因は信心。
「じゃあ、念仏を称えなくても信心さえあれば良いんでしょ?」
となると、それは違っています。
念仏も信心も両方大事です。
「信心さえあれば良いなら念仏しません」はダメです。
必ず「ありがとう」をセットで言いましょう。


いかがだったでしょうか。
信心と念仏について、コテコテの浄土真宗のお話でした。
教義の根幹を成している「称名報恩」を辿ると、
龍樹菩薩の『十住毘婆娑論 易行品』につながります。
原典を読むことは難解ですが、
真宗の教義のどこを切り取っても
ちゃんと三部経や七高僧にたどり着く。
体系だった教義があるということは
大きな安心感につながると改めて感じました。

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。

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