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追悼と鎮魂の物語

※『すずめの戸締まり』のネタバレ記事です。


『君の名は。』を観た頃、震災の記憶はまだ生々しくて、前々前世というふざけたタイトルの曲で流行った映画に、彗星が落ちて街がなくなるという描写が出てきたことに驚いた。
私たちが経験したこと、経験していることを、描こうとしている人が出てきたのだなと思った。

『天気の子』は劇場で観た。よく知っている東京の街の汚さが美しくて、その頃確かに実感としてあった異常気象に、ファンタジーの視点から向き合い、未来を描く物語はとても新しいように思った。
しかし1年後にテレビ放映された頃には、この映画が恐ろしいスピードで古くなってしまったことを感じた。
コロナが1年で世の中を変えたからだ。
天気の子のラストシーンでは、雨が止まなくなった東京で、人々はレインコートを着ているのが普通になっている。レインコートはマスクになって現実となった。そう思うと、この映画がどれほど真摯に、時代の現実と向き合ったものだったかと思ったのだ。
そして今予想だにしなかった世の中で、新海誠は次に何を描くだろうと。


例によって大々的に宣伝されるものは疑ってしまうので、『すずめの戸締まり』は昨夜テレビで初めて観た。そして配信でもう一度観た。
それほど興味のなかった娘も、私も、目を離すことができなかった。
これは追悼の、鎮魂の物語だ。
あれほど大掛かりに宣伝して、愛らしいキャラクターを使って、子供にも知名度を上げて、親しみやすい恋愛の物語であるとしながら。この映画は真正面から震災を描いている。
九州から始まったすずめの旅は、北へと向かっていく。


あの日たくさんの人が命を落とし、その何倍もの人が忘れられない傷を負って、その後もたくさんの理不尽に泣き、故郷を追われたりしたか。
直接関係がない私たちもそれを覚えている。そのことをどう受け止めていいか分からなかった気持ちを覚えている。
申し訳ないけど日常に戻っていくこと、痛みを共有できないということ。
その後もたくさんそういうことがあった。あればある程鈍感になった。
現実にあの時、私たちと同じに過ごしていた日常を突然奪われた人々がたくさんいて、今も帰ることができていない。そのことをなかったことのように世の中が進んでいる、と感じるのも事実だ。
傷付いた人々がいる、そのことは消えない。そのことを忘れることはできない。

東北に向かう道中に描かれる違和感を、娘は理解していない。私も言葉が出ない。
変わり果てた風景をきれいだという芹澤に、すずめは目を丸くする。経験した人々の痛みが本当に理解されることはない。それでも芹澤は優しい。

最後の場面で、草太が生きたいという願いを口にした時、それがどんなに尊く、どんな人にも言う権利のある言葉か、と思い涙が溢れた。

命がかりそめだとは知っています
死は常に隣にあると分かっています
それでも私たちは願ってしまう
いま一年、いま一日、いまもう一時だけでも、私たちは永らえたい!

それこそがあの時私たちが言いたくて、これまで言うことができなかったことだ。どれほど生きたかったか、そして私たちは生きたいのだと。
震災遺児であるすずめが、幼い頃の自分に、あなたはちゃんと大きくなる、光の中で大人になっていくのだと言う。あの時から過ぎた時間が、今それを言わせることができる。ここまで来たのだ。


子供の頃観たドラえもんやポケモンの映画では、主人公が突然世界を救うと言っていた。
今の映画の主人公は、自分の身を犠牲にして天気を晴らしたり、地下で蠢き地震を起こす力を閉じ込めて鍵を掛けたりする。
今を生きる人々の願いは素朴なファンタジーとなって、もう一つの世界で人々を救う。ファンタジーには力がある。現実で言えなかった言葉がそこで伝えられる。
追悼と鎮魂のために。
私たちは忘れない、忘れることはない。生きたいという願いは、私にもあなたにも変わらないと。




先月のトナカイさんの地球通信の詩を読んだ時、少し泣きそうになった。

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