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遺伝子の設計から神の実体を探る 第三章

■第三章  み父とみ子の関係

まず初めに次の聖句を考慮しましょう。

《私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。》(コリントⅠ 8:6)

多くの神や、多くの主があるが、「父なる唯一の神」と、「唯一の主なるイエス・キリスト」すなわち、神も主もそれぞれ「一人づつ」しかいないとパウロは述べているのです。
「父なる唯一の神」という表現は言い換えれば「唯一の神」とは「父」だけであるということです。そしてキリストを「主」という別々の称号で表しています。それは例えば「大統領と首相というような感じで、ちゃんと区別を付けて両者の違いをはっきりさせています。

この文章を読んで筆者はただ一人のことを述べていると本気で思う人がいるものでしょうか。もしいるなら、読解力なさすぎだと思いませんか。
唯一の神と唯一の主の存在、この両者がそれぞれ唯一の存在であるということは、明らかにここに神と主という二者が存在するのは明らかです。

この二者が本質(実質)において、同一(一人)ということはあり得ません。
明確にその役割や、権能が異なっているからです。
この句を端的に表現すれば「すべては神から出、その出たものは主によって存続している」ということです。

この一連の記事で当初から示している「創出」と「存続」の役割分担を思い起こしてください。

この句の中で注目したいのは、「神から【出ており】「神の【ために】」「主に【よって】と記されている部分です。
「出て」と訳されるギリシャ語は「エク」であり、「・・の外、他」という意味を付す前置詞としても使われていますが字義的な意味は「~から」という意味です。
そして「ために」と訳されている語は「アイス」という語で字義的にとは「~へ」という意味の語です。
字義的に訳せば、「万物は【神から】であり【神へ】なのです。」という風になります。

後半の「主に【よって】という語は「ディーア」という語で、「~を通して、~のため|」という意味の語です。数多く出てくる「預言者に【よって】語られた」とい言うフレーズによく用いられています。
預言者が自分の見解を述べているのではなく、預言者を通して神が語っておられるということです。
岩波訳では3節を「すべてのことは、彼を介して生じた。」と訳しています。これは続く7節の中でバステストのヨハネがイエスについて証するために到来したことに言及して「すべての人が彼を介して信じるようになるために。」と述べて、同じ「ディーア」という語を用いています。

これは他ならぬ神(み父)がみ子を通して、万物も人も存在するようにされたということです。すなわヤハウェがロゴスを介して創造のエネルギーを放出されたということです。
ですから明らかなように、創造においても、み子は究極的な原因者ではなく、仲介者です。

ここで、「み父とみ子の関係」に関連するいくつかの聖句を上げておくことにしましょう。
この話のまとめとして、今一度冒頭に挙げたコリント18:6を引用します。

《私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。》(コリント18:6)

ここから分かるのは、神は創出、つまり無から有を存在せしめた原因者であり、み子はその存在を存続もしくは永続せしめる方であると言い換えることができるということです。
ここにも、遺伝子の法則や、命のメカニズム(YXの染色体の役割の違い)と同じ法則が働いていると言えるのではないでしょうか。


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