[妊活編①]妊娠→出産→育児は、全てが事前学習やイメージ通りにはいかなかった

はじめに

私は34歳から、ステップをすっ飛ばして高度不妊治療を始めた。なぜなら、もともと30歳頃に35歳には卵子凍結をしようと考えていて、一般的にその辺りから卵子の数も質もぐっと悪くなるとクリニックの卵子凍結セミナーで聞いていたからだ。
不妊治療を振り返ってみて、30代の治療は高度不妊治療で1発で上手く行く人と、悩み続ける人に大きく分かれる印象を受けた。私はこの分け方で言うと後者になる。私の治療履歴と取り組んだ内容について纏めてここに記載したいと思います。


わたしの治療履歴と体質

治療履歴

大まかな治療履歴は以下の通り
採卵①→移植①→稽留流産(8w)→転院
胎盤遺残のためMVA法で除去→採卵②→移植②→死産(16w)→採卵③(PGT-A)→採卵④(PGT-A)→採卵⑤→移植③→第一子出産
妊活①では、流産までについて書いています

体質

・10代の頃から生理不順。多嚢胞卵巣症候群と言われる。(大人になって勉強すると、実際には多嚢胞卵巣症候群に近い状態)
・生理時の出血量少なめ、期間が短い
・20代以降は生理痛もなし
・治療開始時のAMHは5
・痛みには比較的強い方

クリニックの選択

高度不妊治療に初めて足を踏み入れた時は、正直なところ苦労すると思っていなかったし、知識も全然なかった。ただ、クリニックはどこでもいいとは思っておらず、漠然とした考えに基づいて決めた。

重視ポイント

主にひとつめのクリニックを選んだポイントは以下
・働きながら+自宅から通いやすい
・高刺激をやっている(効率が良さそうと思っていた)
・そこそこ評判が良い
・静脈麻酔ができる
後に考えは変わったが、当時はこう考えていたし、はじめから分からないためこの基準に後悔はない。ただ、はじめて治療をする友人にはその人に合った考えと経験を踏まえて全力でアドバイスしている

治療過程と結果

採卵

私はAMHも比較的高く、自分自身も高刺激を希望していたため、毎日の自己注射で刺激する方法をとった。自己注射は自分で薬剤を混ぜるタイプで、薬液を混ぜる時に瓶を手で折るのだが、どうもうまくできずよく手を切っていた。注射はペンタイプではないため、最初はこんなに奥まで刺すのかと怯えたが、やり方を教えてもらえるので、不安なく実施できた。卵は順調に育ち、15個以上は取れそうとのことだった。初めての採卵は言われるままに分からないままに進め、採卵当日を迎えた。静脈麻酔は数をいち、に、と数えているうちに意識がなくなり、気付いたらベッドの上だった。痛みはゼロ。術後については当日〜2・3日はお腹が重く痛いというか具合が良くないと感じ、じっとして過ごしていた。

採卵結果

採卵結果は15個取れて胚盤胞は1つ。体外受精と顕微授精の割合まで選べるクリニックで、どちらも行ってもらったが、体外受精の方が受精率が悪いが胚盤胞になり、顕微受精は受精するも胚盤胞にならないという悩ましい結果になった。正直なところ、ものすごくショックだった。ネットで採卵数と胚盤胞の平均割合のようなものをみて、少なくとも胚盤胞3個はできる想定で勝手にいた。

移植

移植については迷わずホルモン補充周期にした。これについては、生理の出血が少なかったため、内膜を自力で厚くできる自信がなかったからだ。お腹にテープを張り、膣錠を1日3回入れる方法で実施した。膣錠はアプリケーターがついているタイプだったので、本当に助けられた。慣れるまで時間がかかったが、アプリケーターのおかげで奥までしっかり入れられたと思う。
貴重な胚盤胞のため、やれることは全てやりたく、内視鏡+アシストハッチングも行ってもらった。
移植については、痛みはない。とにかく無事着床することを願った。

妊娠判定と流産まで

妊娠判定までは不安の日々だった。不安になることがわかっているのに、妊娠検査薬を何度も使った。ネットで調べては自分はまだ反応がない、、こんな連続だった。諦めるに諦めきれず検査薬を試すと、うっすら反応がでた。私、妊娠できた!と嬉しくて仕方がなかった。
病院での判定日では陽性。ただし、値がかなり低いと。hcgは伸びが大事だからまだ様子をみましょうという反応だった。hcgはローペースながら増えていき、心拍まで確認できた。初めて見る我が子の心拍に希望を見出していた。
産院の初診があり、所謂有名病院に行ったが、正直ものすごく印象が悪かった。なぜか診察中に双子と間違えられたり、もろもろこの病院はどうなのか、と思った。
産院での初診の翌日、不妊治療クリニックでの診察があったのだが、そこで胎児の心臓は止まっていた。産院では動いてた?と聞かれ、そういえば聞いていないことに気づいた。なぜ止まってしまったのか、悲しみと絶望感がすごく、その場で大泣きした。そして産院に不信感が募り、次妊娠できた際なは違う産院を選ぼうと思った。
流産後は自然排出でも手術で掻き出すこともできると言われたが、どちらでもいいと言われたので自然排出を選択した。1週間程度経った頃、腰が物凄く痛くなり、自宅でぐったりしていた日があった。立ち上がって移動しようとしたら、その時、長ズボンから床に血がボタボタ垂れて床が真っ赤になるほどの出血と共に赤ちゃんがでてきた。握り拳程度の大きな塊がでてきた。血は止まらないしパニックになってしまい、外にいた夫を呼び、床の掃除や介護用のオムツを買ってきてもらい、血が止まるのを待った。結局、もう一度少し大きな塊がでて、ようやく出血が収まった。

不妊治療中の情緒

特に採卵前の高刺激中はとんでもなく情緒不安定になった。少しのことで不安になったりイライラしたり、悲しくなったり。今思い返してもすごかった。夫へのイライラがすごく、喧嘩も何度もした。

はじめての体外受精を振り返って

やってみないと分からない。これが経験した感想だ。何度も繰り返した今からすると、もっとこうした方が良かったと思うことが多々あるが、この時点ではこれしかなかったと思う。今回はあくまで当時のことのみを記載しているが、転院の理由や不妊治療全体の振り返りは追って纏めたいと思う。


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