見出し画像

『月刊ココア共和国2022年11月号』佳作掲載と感想

詩誌『月刊ココア共和国2022年11月号』の佳作集に拙作「木になる君へ」が掲載されました。

佳作集は電子版のみの収録です。よろしければご鑑賞ください。

以下はココア共和国11月号を読んで気になった詩についての感想です。


森崎 葵「プレゼントはいりません」

「もらえるものは病気以外はもらっとけ」なんて言葉もありますが、贈り物を受け取ることも時には息苦しく感じることがあったりする…ことを思い出させてくれました。

「贈与」って、そこでやりとりする「もの」の内容よりも、贈り贈られる「関係」のほうに重きが置かれているので、「呪い」とか「義務」が生じる土壌になってしまうこともあるのでしょう。そこに個人として「ほしいもの」とのギャップを強く感じてしまうこともあり、どちらかと言えば私もプレゼントを貰うのは苦手な口です。

これまで貰ったプレゼントを「湖に捨て」て、果たして自由になれるのか。そこから先は、その人にしかわからないことでしょう。

少し話がそれますが、最近読んだニーチェの『ツァラトゥストラ』に、連想する文章があったので下記に引用します。

「何も与えるな」と、森の聖者が言った。「むしろ人間から何かを取ってやって、そいつをいっしょに背負ってやれ。――それが人間にたいする一番の親切じゃ。(…)」

フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ(上)』、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫

確かに、与えてくれる人は世の中を見渡すと結構いるけど、(自分の)何かを背負ってくれる人ってそうそう見つけられないんですよね。背負う側としても、安易に背負うわけにもいかないし。

まぁ社会の中で生きているあいだは、意識せずとも多くのものを多くの他人に背負ってもらっているのですから、そのことについては感謝の念を忘れたくないものです。持ちつ持たれつ。


こえちた「卒経」

なんだか勇気をもらえた詩です。自分の体の変化に戸惑いながらもそれを自分なりに見つめて、乗り越えて、受け止めて、前向きに再解釈していくのが良いですね。

心細かった幼い頃に相談に乗ってくれた「オバちゃん」のように、年を経て自分も誰かの助けになろうとしていく流れが、素直に見事です。人として開けていくものが予感されます。

最近は、学校などのトイレに生理用品を常備しようというニュースもあり、いい傾向だと思います。男性目線だけだと、日常的に馴染みがない場合どうしても配慮を忘れがちになってしまうところがあると思うので、仕組み的にもいざという時の備えがより広がるといいですね。


長谷川仁音「嘘泣き」

身近な人の死に対してさえ、どう向き合うべきか、どんな姿勢をとるべきかわからなくなってしまうことがあります。自分はこの詩を読んで、自分の祖父が亡くなった時に、なぜだか泣けなかったことを思い出しました。泣けなかったことについて少し悩んでいたような、今その悩みは薄れているような、なんだか寂しい感じですね。

この詩では「悪い子になっていた」とありますが、大人に求められるのがわかって嘘泣きを続けるのは、どちらかと言えば「いい子」だなぁと個人的には思いました。自分のためじゃなくて誰かのために泣けるんだから、大したものですね。近ごろは嘘でも、自分のためにも人のためにも泣けなくなってきたような気がします。

詩は「死」についてのものでもあるのですが、亡くなった人に向き合うのって難しいですね。頑張っても、生きている人のためになってしまって。


真摯に悩まれた詩は、得難い慰めになるものですね。

気が向いたらまた、どうぞよろしく。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?