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暴言は怖いけど気持ちいい

酒を飲まないと書き出せない自分がいるのを許してください。言わなきゃ分かんないのにね。すっかり軟弱代表になりました。何かの力を借りないと、心も体も緩めることができないのが現状です。ん?体はあっちこっち緩んでいるな(笑)お目汚しですが、つらつらと。

常に頭の中で声がしているので、気が向くとそれに耳を傾けます。この時点でおかしい。病院行けとか言われそうですけど、そうなんだから仕方ないです。私の中ではいたってスタンダード。そんなとき、偶々引っかかる面白い言葉を拾い上げると、いい文章が書けるんじゃないかなあと昔は思っていたんですよね。

ただ最近は、思いつくパーツがバラバラで、まとめることが難しい。書かなくなってしまったことで、書くことへの筋肉が退化してるかもしれません。変に勘ぐって、それを書いて何になるのか、人に見せたことでどうなるのか。その先に、何を見据えてるのかなんて考えて、ああ…やめておこうと削除し続ける日々です。前はこんなことなかったんですが。もうちょっと書き続ければ、スマッシュヒット的なものは出るかもしれないけど。その考えが緩いやん。ですよね。すんません。

ここ最近、人に触れることで生まれる感情が、大幅に欠如しているのを思い知らされます。喜怒哀楽がどんどん薄くなって、無感情になっていくような。一つくらい、カンフル剤のような恋でもすれば、一発で治るんでしょうけどね。

じつは今日、広報担当しているサイトで言葉の流れ弾に当たって、ぐぬぬとなりましたが、うまいこと切り抜けました。こうしてたまたま不機嫌なものに遭遇すると、まあなんだか自分でも驚くくらい過敏に反応してしまってですね。鈍感力が足りないなあと改めて思います。

怒りと哀しみと内向性が加速して、元に戻るのに随分と時間がかかるようになった気がします。人前に出せないような毒や、あほみたいにどん底な言葉が溢れてボロボロと零れ落ちながら、脳を支配していることに気が付きます。

みんなはそういう時ないんかな。あるとして、どうしてるんかな。私はどうにも堪らなくて、心のバランスをとる手段として、紙とペンで書きなぐることがあるのですが、それをしていて思うのは、

「暴言」って怖いけど、気持ちいいってこと。

人を褒め讃えたりするより、随分すらすら書けちゃうんです。ありませんか?恥を承知で言えば、ちょっと楽しかったりしてる自分を見つけてしまうんです。それが拍車をかけて、さらに悪い方へ向かわせる。ひとしきり落ち着いて、ふと書いたものを眺めた時、ああ何て恐ろしいこと書いてるんだろうと戒める。とどめていられるうちは、まだ大丈夫なんだろうな。気を付けようと思います。

世の中が変に便利なって、見えなくても生きていけるはずのいろんな物事が透けて見えるようになって、機械が人の心や欲求や好奇心を先読みするようになった分、感情が鋭利になって、曖昧を許さなくなってるというか。なんていうのかなあ…常に完璧になろうとして、感性の精度が機械的にあがった分、文句や暴言の解像度まで上がっていると感じます。鋭すぎて傷つき方がえげつないんです。
やられた方も、傍受する感性が研ぎ澄まされてるから、病的に傷ついて、心の器は割れてしまって、修復ができない。

一度割れた器を何かで貼り付けても、「治った」というのは名ばかりで、入ったひびは消えないし、ちょっとしたきっかけで、簡単に割れてしまうこともある。よく「傷つく度に強くなれる」なんてありがちな歌詞みたいなこと聞くけど、私はもう嘘だと思ってる。鈍感になってるだけで。

常に壊れないよう緊張して、気を遣って気を遣って過ごすから、心は凝り固まってガチガチ。感情の循環がままならなくなってしまう。

だからといってさ、吐き出さないわけにいかないんだよね。自分ばっかり我慢してたら潰れてしまう。隠しちゃいるだろうけど、どちらか片方だけの人なんか絶対いない。笑った分泣いて、怒った分喜んで。バランスとらなきゃもたないでしょ。

人なんて、必ず相反するものを両手に抱えて、ゆらゆらと天秤のように揺れて生きるもの。普段は戦わなくちゃいけないから、取り繕っていい風に見せてる。強くてしたたかな自分を見せてるけど、ほんとは小さくて、弱くて、儚い。そこもまあまあ受け止めて、ふわっとバランスとってるのが一番心地いいのになあ。難しい。傍から見れば、ずるいとか捉える人もいるんだろうけどね。

そういう「遊び」の部分があるから、人間っていいのになあと思う夜。

ほかに気持ちいいことを探さなきゃね。

今度はもっと楽しいこと書こう。





読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。