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子どもの頃、夏休みには母親の故郷、福井県の鯖江に家族全員で行くことが多かった。高校生の頃が最後で、それ以降は行かなくなった。主な目的だった祖母がなくなり、自分も大人になり家族での行動は嫌になっていた。

たぶんその最後くらいの頃だったと思う。母の実家にいるとき、父親が突然「海に行こう」と言い出し連れていかれたことがあった。自分は行きたくなかったが、母親が「つきあってあげてや」というので仕方なくついていった。鯖江から越前海岸まで車で小一時間ほどだったか。もっと小さいころは他の親戚も一緒に海に行くのが定番だったが、そういう機会もすっかりなくなっていた。

父ちゃんと二人で海に行っても話すこともないし、つまらない。思春期以降、父親とは趣味嗜好が全く合わず、苦手意識をもっていた。まぁベタな父子関係だった。

どんな「海行き」だったか、細部は、ほとんど覚えていない。ただ、父がひとり海に入っていき泳いでいる姿を浜に座って眺めていた情景は、印象深い記憶として残っている。ベージュの海パンだった。父親は体毛が多く背は高くなかったがスリムな体型だった。その時の私が、その姿を見て何を思ったのか、そのあと、自分も一緒に泳いだのか、さめたふりをして見ていただけだったのか、全く思い出せない。法事か何かの行事の隙間時間で、そんなに長居する余裕はなく、すぐに引き返したのではなかったか。他に海水浴をする人がいたかどうかも覚えていないが、イメージの中では、父と私の二人きりだった。シーズンオフだったのか、穴場的なところだったのか、ただの記憶違いか。

この時のことは、夏になるとたびたび思い出す。父ちゃんはどんな気持ちで自分を連れ出したのだろう。不思議な記憶だったが、今になると何となくわかる。とにかく父は海に行きたいだけだったのだろうと。それは、夏だから。

おそらく80年代の終わり、父親は50前後だったはず。今の自分より、ちょっと若いくらいか。近頃は自分も夏になると海に行きたくてしょうがない。若い時は、行きたくなればいつでも行けると考えていた海も、徐々に縁遠くなっていき、自分の人生に夏はあまり残っていないこと、というよりすっかり秋であることに気づかされる年頃だろうか。

父と違い自分は子どもをつれていくという口実も作れない。また、何が何でもどこでもいいから行きたい、というほどでもない。無理して行っても、たぶん何も楽しくないだろう。海に行きたいな、という願望が夏に湧いてくること自体を、生きている証として感じつつ、残りを過ごしたい。できれば前向きに。

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