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宿替えは整理のチャンス。ここ5年で3回も引越しすることになってしまい、その度に荷物を減らしたいと思ってきた。服やら機材やらはもともと少ないので、減らしたいのは紙だ。本なんかは40代になった頃から、これから先、死ぬまで貧乏なままであることがほぼ確定し、処分するしかないのだ、と自分に言い聞かせてそれなりにやってはきた。

それまでは、古本屋を歩くのが好きで「いつか読むかも」と拾い買いをすることが多かった。これからの残り時間や、自分自身のこれまでを振り返ったら、「いつか」なんか来ず読まないままで終わるだろう、ということがはっきりしてきた。「いつか」には、どこかの大学の専任になって、個人研究室を持てるかもという淡い期待が込められていたが、自分の人生には関係のないものだった。「捨て始め」の頃は、作業中、何度か泣いた。

そんな中、捨てにくいものが「競輪関係の資料」だった。修士論文のテーマにして以来、競輪について紙に書かれたものは入手したり、図書館でコピーしたりしていた。しばらく、熱が冷めてしまった時期もあり、見返すことなどもうないだろうと思ったのだが、「いつか競輪の本を書きたい」という願望はうっすらと継続していたので、大きな地方図書館や大学図書館でもすぐには再読しにくい資料は残しておくしかなかった。段ボールに入れっぱなしみたいにして、一応とっておいた。

競輪の本を書く、の方の「いつか」は実現した。肩の荷がおりた。ただ持っておくだけ状態から抜け出して、活用できるようにして整理しようと思っていたが、生活に余裕がなかった。使いやすいスキャナーがあれば、はかどるだろうな、とツィッターでつぶやいたら、何かと気にかけてくれる高校時代以来の友人が、持ってるけど今は使ってないから、と送ってくれた。ありがとう。

競輪の運営団体が発行していた『月刊競輪』は200冊以上、90年代に一時期刊行されていた競輪雑誌、何十冊、広報誌など、一冊一冊カッターで背を切り取り、スキャンにかけていった。数日かかった。子どもの頃から「落ち着きがない」と通信簿に書かれる程、集中力の欠如した人間の割には、集中して作業した。暑さと、引越にまつわる生活上のいろんな疲れからの逃避という側面もあった。今はただカッターで切って行けばいいんだ、という。


徐々に切り方も上達

ちなみに『月刊競輪』は十年ちょっと前に休刊している。今は「ネット版」に移行しているが、ただ形式的に名前を残しているだけで、興味深い内容はなく、自分はほとんど読んでいない。紙の頃も、そんなに面白かったわけではないのだけど、今の競輪がどうなっているか、これを読んでおけば一応チェックできる、という存在感はあった。他のジャンルもそうだろうけど、21世紀に入って「紙の雑誌」がファンカルチャーの中心になる時代は終わった。


時代を彩るスター選手たち

スキャン作業は淡々とできた。古い物には昔吸っていたタバコの匂いが染みついていた。30代の中ごろ、西中島南方のボロアパートに住んでいた頃の痕跡が「物」には刻まれている。電子化するとそれはなくなるが、そんなもの無くなった方がいいのよ。中身だけ一応とっておいて捨てる。自己啓発的ダンシャリとしては、中途半端なものだが、それでもかなりスッキリはした。ついでに、「ダメだ、ダメ人間だ」とか書いているだけの手書き日記なども、スキャンして捨てた。中二的な内容だが、中年以降のもの。今頃、再生トイレットペーパーになって、誰かのお尻を拭いているのかもしれない。(もう少し先か。)


ゴミ捨て場まで5往復くらいした

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