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ヘヴンズドアーは開いている

今日は1ヶ月に一度定期的に高校の頃のバンドメンバーがやっている整体に行く日だったので、昼頃に連絡を取って向かった。
途中でハンバーガーを買ってこいという指令があったので、途中の駅のマクドナルドでハンバーガー2つを買って向かう。
その友達がやっている整体院が母校の高校の近くなので、自然と高校へ通学していた電車に乗ることになる。平日のお昼前の時間帯。いつもサボって3時間目に通学していた自分にとってはこれが見慣れた通学時間の景色だ。おしゃべりするおばさんたち、眠そうにしている大学生、平日のこんな時間帯から何をしているのかよく分からない人たち。きっと今の自分はあの頃の自分から見たら"平日のこんな時間帯から何をしているのかよく分からない人たち"に含まれてしまうのだろうと思った。人間にはいろいろあるのだよ、少年。

整体院に着いて施術をしてもらうときは大抵高校生の頃の話か、高校の同級生の現在の話になる。そんな時は決まってあの頃と同じような感覚の2人になれる。その瞬間はとてつもなく尊く、17歳の自分とアクセスしているような、タイムトラベルをしている気持ちになる。
誰かが結婚した、子供が産まれた、今はこんな仕事をしているらしい…。あの頃から10年も経つとこんな話が当たり前になる。きっとこの先はもっとずっと当たり前になっていく。そしてこの瞬間すらも"あの頃"へと変わっていくのだろうなと思った。

いつも通り身体をしっかりほぐしてもらうと決まって友達の写真を撮り、家路に着く。
僕らには同じだけ10年という時間が流れたのだなと思う。2011年、16歳だった自分達は高校2年生で何も知らなくて、なんでもできる気がしてた(香水)。修学旅行や文化祭、漠然とした将来の不安はあるものの常に今日と明日のことで頭は一杯だった。決まりきった道はなく、毎日ひたすら泥道を走っていた。

そんなこと思い出しながら放課後の制服姿の高校生たちを山ほど乗せた昼下がりの小田急線に乗り込んだ。当時と同じようにBase Ball Bearを再生しながら、少しだけウトウトすると五感が反応するように心がまるで当時のような気持ちになった。毎日不安で、毎日満たされていて、いつもお腹が空いて、いつも眠たい。
ただ、10年という年月はとても長い。この10年でたくさんのことを知った、たくさん考えた、たくさん落ち込んだ。
どうしてか今と過去を切り取って考えてしまいがちになる。だけどその過去も、この現在もずっと同じ自分という人間がただ生きているということに過ぎないのだ。なんの意味もない、なにも地球や人類の歴史に貢献しないたった80年生きるか生きないかの短い短い一生なのだ。

そんなことを考えて眠っていると最寄りの駅に着いた。イヤホンを外すと高校生たちの笑い声が耳に流れ込んできた。
生きている限り僕らの人生は繋がっている。過去も未来も現在も自分の十字キー持ってスクロール始める。たったそれだけのこと。

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