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「自分が許せなくなったら」芸術家に会ってみるのを試してみてほしいお話。

私が人生で一番芸術家と関わった体験は、高校2年生の夏に美術大学の予備校に入った時まで遡ります。私の進路を心配した母が、母自身が油絵を描いていたこともあり進められて入った美術の予備校。
当時、美大入学は人気があり、高2から予備校に入って受験しても現役で入るのは難しく2浪3浪があたりまえでした。


実際、東京にある多摩美術大学の資料をみると1999年~2003 年度の5年間は、学生定員増が完成期を迎えた時期で一番人数が多かった世代と資料に書いてありました。
・デザイン科やグラフィックデザイン科が14~17倍
・日本画や油絵科が12~14倍
・彫刻家が9倍(志望者倍率)
この中で1番低い彫刻科でも30名の定員に対し270人が受験する倍率でした。


そんな厳しい現実はあるもののとても楽しく通えたのは、共に難関を受験する個性豊かな仲間とさらに上をいく個性豊かな大人が近くにいたからだと思います。
高校の授業が終わると電車で20分かけて予備校に移動し、その後3時間絵の実技をする毎日、3時間×週5日通っていました。夏季講習は、もっと時間が永く家族といる時間よりも塾の先生や仲間と一緒にいる時間の方が永かったです。
A4サイズ×6枚分くらいの大きさの用紙に鉛筆や木炭で濃淡をだして立体的に描く石膏デッサンや、石膏を粘土で同じ形になるように作る模刻を学んでいました。
30キロの粘土の塊をこねくりまわし、トンカチや木を使っての制作は体力的にはキツかったですが、毎日あっという間に終わる程超集中状態で、とても楽しい時間でした。(私は彫刻科希望でした。)

個性豊かな彫刻科の先生達!

美術講師の先生は現役の美大生(19~23歳)や、作家として活躍されている芸術家の先生(40~50歳くらい)が1つの科に7人くらいいました。
余談ですが、美術科の種類によって人のカラーに特徴があるなと認識していました。(ここは100%私の主観です。)
・デザイン科、映像科、空間デザイン科は→だいたいおしゃれな人が多い。
・油絵科は→思慮深い人が多い。
・日本画科は→繊細な細かい作業が好きな根が真面目な人が多い。
・彫刻科は→文化系なんだけど体育会系みたいなどくとくの雰囲気が流れている。


彫刻家の先生方は、東京芸大を首席で卒業したなど皆さんレジェンドエピソードをそれぞれお持ちでしたが、私が一番影響を受けてカッコイイ!と思っていた先生は、Y先生というお方だ。
Y先生は、髪が肩より長く。いつもタオルを頭に巻いて後ろでしばり、白いTシャツに下はツナギでエンジニアブーツを履いていました。東京藝術大学だけしか受験しない一本主義で浪人6年目にして東京芸術大学に入学した伝説をもつ男。
生徒の木炭デッサンが上手くいかない時、先生が来て先生の直しが入ると、たちまち絵が命を吹き返すように立体感と奥行きがでてくるすばらしい絵になっしまうのでした。「はぁ~、どうしたら、あんな風に上手に絵をかけるようになるんだろう。。先生は神か!」と日々憧れとため息をついていました。
先生から対象物をよく観て感じて描くのを教わりました。
目に見えない空気の流れから空間を認識しそれを線の方向として描く。
一見、白に見える石膏もよく見ると色が反射してピンクがかってみえるところもある。全体をみてから細かいディテールを観る(当時なかなか出来なかったけど。。)
そして口癖が、「気合入っていますか!?パッション感じてますか!?」

もう一人の先生は、彫刻科の先生をまとめる主任で50歳位の男性の先生で、今も芸術家としてご活躍されている方です。自由に使える窯をお持ちで、土で形を作り窯で焼く大きな作品をつくられています。交流会のブレイクタイムの時間にお話してくれたお話が印象的で、富士登山に行ったらとても険しい道で、横は崖のように急斜面で道幅が50cm位しかないところを慎重にゆっくり歩いている時に、50円玉が落ちているのを見つけてしまい、命をかけて拾うか悩んだお話をしてくれたのが、真面目ですごい作品を作る先生が迷うこともあるんだ。と思いました。

お二人とも気取らないフランクな性格で、表現されることを常に頭の隅においているので日々感じるBeingモード。他人がどうこうなど、指摘したり大して気にしません。自分らしさ100%を体現されている方々でした。
そんな大人がいる環境は、とても居心地が良く。
私のそれからの人生にも大きく影響を受けていると思います。

「自分が自由で在るから、他人も自由であることを許せるんだな。」

と感じていました。

個性のある自分をどう活かすか悩んだ10代

私は十代の時から外見と中身のギャップに苦しんでいた時期がありました。
他者からは、外見はおとなしい女の子らしい性格と受け取られますが、内面は少年とおじさんを足したような割合が多くさらに繊細さん。今もお酒を飲むとおじさんの様にヨガについて熱く語りだしてしまう事がありますw。
第一印象で私を大人しい女の子と捉えた周囲からは、一瞬引かれる事が多く。自分をだすべきか、周りの期待を裏切らない方が上手く平穏に世間を渡っていけるのだろうなと悩んでいた時期がありました。

高校二年生になって、個性豊かな芸術家の大人の背中や、芸術家を目指す同級生の仲間に出会い。こんなに個性豊かで変わっている人がいる。。。

周りの人の期待の枠に無理に自分をはめなくても
「自分は違っていいんだ!」
「私も私でいいんだ!」

と思えるようになりました。

そして、自分が自分で在ることに許可をしていると、 人も大好きだし自分も大好きで、助けて欲しい時には助けて!と言えるようになるので、とてもエネルギー高く毎日楽しく人に感謝して過ごせると感じました。(その後社会に出てから、また自分を枠に無理にはめる体験をすることになります。ピカソで言う青の時代が到来。それがきっかけでヨガを始めることになります。)

「あなたはもっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である。」

アメリカの起業家であり自己啓発を手掛けるジム・ローンはそんな風に語っています。

枠に自分をはめることに疲れたら、この人なら!と思える人に連絡をしてみたり、逢いに行ってみたり、新しいコミュニティに入ってみたり。一緒に過ごす人のタイプと時間を少し変えてみるのはいかがでしょう?

自分の性格をだしてその後一瞬引かれる事があっても、「私の良さをみんなそのうち解ってくれるハズ。」と3か月くらいの周囲の慣らし期間を、自分を信じて待てるようになりました。

「ARTは人を自由にする。」

私の原体験はそこからきているのだと思います。
ART = 自分の感じたことを表現する =意識の軸が自分に戻り枠(フレーム)が外れる = 自分らしく在ることに近づく

周りの方のちょっと位の粗相が気にならなくなるくらい自分を生きている人が増えれば、今より居心地よい世界になるんじゃないかなぁと思います。
ねばならない~に疲れてしまった時には、芸術家や自分らしく生きている人に会いにいく回数を増やすこと良かったら試してみてください♪


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